第二十話 キリシタンの糸

 門司城を囲む大友が、水陸共に極めて強固な陣構えであることが確認された後、私は櫛崎城の居室で秘密会議を開いた。参加者は児玉就英、佐世元嘉、堅田元慶の三人だ。


「門司城の包囲を我々の今の戦力で崩すのは至難です。つまり大友家中に割れてもらわなければ手が出せません」

「確かに調略しかございませんな。しかし鎮守府の者だけでは……」


 私が秘密会議の目的を告げると、就英が参加者を見て懸念を口にする。私の秘書役の元嘉と鎮守府奉行中の最年少の元慶。大友家中の調略に適したメンバーではないのは確かだ。


 調略はその性質上、人間関係が大きく物をいう。例えば豊前衆の城井鎮房を調略するとしたら、鎮房と私の両方につながりがある人間が必要だ。敵味方に分かれている人間同士が話し合うときにこそ、それを取り次ぐ人間の信用が一番大事なのだ。


 だが今からの謀議はその前提の段階。いや内心では家康の次、下手したら一番警戒している勢力の話だ。これから話すキリシタンのことは、秘中の秘にしておかなければならない。


 宗教の恐ろしさは通常の政治軍事とは別レイヤーであることだ。例えば三河一向一揆では松平家の家臣として忠実に仕えていたものが、そのまま一揆側に付いた。平気で国境を超え組織の中に入り込む。正真正銘の味方が突然敵になるのだ。別レイヤーとはそういうことである。


 しかもキリスト教の場合、その中心が国外に有るので把握はより困難だ。ザビエル、フロイス、バリニャーノといった大物宣教師は個人として日本に来たわけではない。世界最大の宗教組織であるカトリック教団の中のイエズス会という有力組織を背景にして活動しているのだ。


 さらに海外交易の利益とがっちりつながっている。キリスト教の布教を認めないと南蛮船が港に入らない。東南アジアの硝石、鉛など軍事物資とも大きくかかわる。


 きわめて大きな脅威であり、私が最大限警戒している理由だ。


 ただ矛盾するようだが、実は西洋人自体は直接の脅威ではない。この時代の木造帆船の輸送能力で運べる武器や人数は知れている。当のヨーロッパが地中海を挟んだアフリカのイスラム海賊に苦労しているし、アフリカの黒人王国に敗北したりしている。


 南北アメリカと違って疫病への耐性があり、ましてや人口の密集地帯である東アジアを軍事的に占領というのは兵站的に不可能なのだ。現地人の協力が必須。だからこそ日本人の、それも大名クラスのキリシタンネットワークが恐ろしいわけだ。


 今のイエズス会の東アジア代表はそういう意味で傑物なのだ。アレッサンドロ・ヴァリニャーノ、東インド管区の巡察師として極めて強大な権限を持つこの男は、柔軟で現実的な実行力を持つ恐るべき相手だ。


 それまでの宣教師が日本人サルにキリスト教を教えてやるという態度だったのに対し、この男は部下である西洋人の宣教師に日本語を勉強させたり、日本人を司祭に任命するなどのやり方をした。その表れの一つが天正少年使節団の派遣の実施だ。


 アジア人を劣等民族として見ない態度は個人的には素晴らしい。そしてだからこそ警戒対象だ。信教の自由は政教分離とセット、これが私の基本的な考え方だからだ。


 そして今の時代にそれは不可能なのだ。


「元慶。キリシタンについてこれまでに調べがついたことを説明してください」

「はっ。まず二宮殿と児玉殿が広島の商人どもから得た情報ですが。小西という堺商人が豊後府内にしばしば行き来していることが分かりました」

「小西といえば行長……いや隆佐ですか」

「小西隆佐でございます。薬を商う堺の大商人で、キリシタンであることから浮かびましてございます」


 商人という立場を利用して瀬戸内海を素通りしていたわけだ。っていうかいきなり大物だ。


「この小西隆佐は摂津の武将高山右近と通交しており……」


 元慶は続ける。話が進むたびに私の気分は重くなっていった。


「つまり光秀家臣の高山右近が堺商人小西隆佐を経由して大友と繋がり、大友が有馬、大村とつながっている」

「はっ。キリシタンの糸が畿内、中国、鎮西を通じておりました。御屋形様のご慧眼、恐れ入り奉る」


 元慶は言った。就英、元嘉も明らかに感服したという表情だ。だが私は当然それどころではない。


 想像どころじゃなくヤバかった。


 まず高山右近。この男は正真正銘ガチのキリシタンだ。秀吉のバテレン追放令で信仰を守るために大名の地位を捨て、家康のキリシタン国外追放で国を捨てて、最後はフィリピンのマニラにて死んだ。


 二人の天下人に反して信仰を守り抜いたことになる。最初に大名の地位を捨てた後も国外追放まで前田家の大名級客将をしており、武将としての活動もあった。


 つまりそれが許されるだけの実力と信望があったということだ。


 小西隆佐は堺の豪商でルイス・フロイスと深いつながりをもつ三十年来のキリシタンだ。しかも息子は小西行長。秀吉に仕えて最後は肥後半国の大名にまで登った。親子そろって有能な上に財力を兼ね備えている。


 先の伊予の戦いで来島に復帰した来島通総を逃がしたのが小西行長の船だという。来島通総、洗礼とか受けてないだろうな。


「堅田殿の探聞お見事でごさいますな。しかしこれほど長き糸となれば尼崎から手繰れるとはいささか考えづらくござりませぬか。管領代が御屋形様ほどの目を持っておりましょうや」


 佐世元嘉が言った。いいところを突く。最後に一言余計なことを付け加えなければ完璧なのに。


 まず光秀自身はキリシタンではない。娘の細川ガラシャが有名なキリシタンだけど、光秀自身はそうではない。例えば「トキは今」の愛宕神社に寄進したりしているし、比叡山や本願寺の復興に取り組んでいるという動きも伝わってきている。


 幕府管領代で朝廷の参議という立場は、朝廷の権威を利用して幕府の立場を相対化しようという政治的な立場となる。すなわち神仏を敵に回せない。


「大友と有馬大村、大友と小西のつながりは明らか。となれば光秀はむしろ端とも見えますね」


 光秀がキリシタンネットワークを使って九州の果ての有馬、大村を動かすなんてできるわけがない。キリシタンネットワークは大友が中心で、光秀にとってはそれは単なる伝手に過ぎない。そう考えた方が現実的だ。


 高山右近がどういう意識でいるのかはともかくとしてだが。


 それに大友と有馬、大村だって利害の衝突はあるはずなのだ。キリシタン大名は西洋貿易利権をめぐって商売敵でもある。


 西洋人も一枚岩ではない。イエズス会がアジアで必死に活動しているのはプロテスタントにイギリス、ドイツなどのヨーロッパの“シマ”を奪われた穴埋め的な意味がある。


 国内と国外、正義と悪といったシンプルな戦いではなく、国内外の組織同士がそれぞれ生存や勢力拡大をかけて争っているのだ。それに先ほど言ったように、西洋列強が武力を極東まで直接投影できるようになるのは蒸気機関と鉄鋼船が必要だ。幕末までの二百年近く、西洋が日本に干渉できなかったのはそのためだ。


 冷静に考えればこれまで以上に警戒は必要だが、それでもやりようはあるはずだ。いや、むしろ大友家中でキリシタンがこれだけ幅を利かせているとなれば、その反発もまた大きいはずだ。


「宗麟、義統二代続いてのキリシタン傾倒に反発する家臣が調略のねらい目だと考えます。例えば黒船艦隊にはキリシタンが関わっていると考えるのが自然でしょう」

「なるほど。大友水軍のなかで黒船の動きが特異なことの裏には水軍本体との軋轢ありと」


 就英がうなずいた。装備や港と言ったシステムで動く水軍は孤立したら終わりだ。


「東明寺城で豊前衆を指揮する田原紹忍。また筑前守護代立花道雪がキリシタンのことで主君義統に諫言したとのうわさ、内藤殿より聞いております」


 元嘉が言った。


 耳川の敗因の一つがキリシタンに傾倒しすぎた主君への不信だという話がある。息子の義統は棄教とキリシタン復帰を繰り返したはずだ。大友家中は宗教問題で揺れているはずなのだ。


 ……そう言えばそんな優柔不断な人間がこのキリシタンネットワークの中心なのか?


 いや後世に伝わる大友義統無能論は鵜呑みにはできない。最終的に改易された理由である文禄の役での敵前逃亡には同情の余地があるし、関ヶ原時に旧領回復できなかったのは相手が黒田官兵衛孝高という無理ゲーだった。


「とにかく、キリシタンに対する大友家中の軋轢を利用して調略対象を探り出します。各人はそれを念頭に冷泉、内藤など大内旧臣を動かしてください」


 私の言葉に三人が頭を下げる。


 門司城の解囲という戦略目標の達成のため、最も現実的な手段がこれだ。そして同時に将来キリシタン勢力に対抗するための準備にもなる。

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