閑話 山陰戦線

 天正十二年六月。因幡国鳥取城。


 隣国但馬との国境近く、鳥取平野を望む山に鳥取城は立つ。山上へ延びる三層の曲輪をもつこの城は、かつて因幡守護山名豊国の居城だった。山名家は幕府四職を務め一族で十一ヶ国の守護を得た屈指の名門だ。だが多くの分国を得たがゆえに一族は分裂、互いに争いを繰り返して衰退した。


 因幡守護として命脈を保っていた山名豊国も毛利と織田の間で右往左往。豊国が織田、家臣が毛利という家中分裂の中、最後は城を捨てて逃げ出した。鳥取城は毛利の城となり吉川元春の一族である吉川経家が入城した。


 そして起こったのが鳥取城の飢え殺しともいわれる凄惨な籠城戦である。経家の自刃という形で城は織田家の中国大将羽柴秀吉の手に落ちる。


 本能寺の変によって状況は再びひっくり返った。織田信長が討たれ、織田中国大将羽柴秀吉も播磨夢前川の戦いで敗北、因幡は再び毛利のものとなり、吉川広家が城主を務めることになった。広家は二十を過ぎたばかりだが、父元春譲りの勇将として期待されている。


 そして鳥取城は再び上方との戦の最前線となっていた。


 但馬より攻め寄せた土岐軍は南に羽柴勢三千余、東に丹後守護細川藤孝、忠興親子の六千余。計一万近い軍兵が城を囲む。さらにその背後には土岐家宿老明智光忠の一万が但馬国境まで兵を進めている。両者の間には近江の京極、若狭の武田などの兵もあり、総勢は二万五千をかぞえる。


 広家の手勢は二千五百。出雲から派遣された牛尾春重らの加勢五百を加えて計三千だ。鳥取城は堅城として名高く、かつての轍を踏まぬように兵糧備蓄は半年以上ある。後方との連絡も万全だ。羽柴との戦では伯耆の南条の離反により孤立したが、今は伯耆衆を従える兄元長が後詰として因幡に入っている。山陰方面大将である吉川元春も伯耆八橋城まで進出していた。吉川軍全体では一万五千を超える。


 地の利はこちらにあり、守りに徹する限り敗北することはないと考えていた広家だが、状況はそれを許さなかった。未だ一度も干戈を交えていないのにも関わらず、広家は押されていたのだ。


 その原因は敵陣の奥にあった。詰みあがった残土の山の周りには、鍬ともっこを担いだ多くの人足が行き来している。


「あれほどの黒鍬者、土岐はどこから呼び寄せたのか」

「おそらくは生野の者たちかと」


 広家に応えた老将は吉川経安だ。息子経家の死後に石見吉川家の当主に復帰、広家の補佐として息子の奮戦の跡に派遣されている。石見銀山をよく知る経安の判断は正しい。但馬生野銀山の金堀衆を動員したとなれば、あの数も合点がいくのだ。


 広家たち城方を恐れるように後方から坑道を掘り始めた時は余裕をもって構えていたが、積み重なる残土の山は日に日に大きくなる。地下の坑道は城近くまで伸びているであろう。城の最外郭である三の丸を任せている猛将牛尾重春も、地下のことにはなすすべもない。


「地中にて火薬を用いられれば石垣で補強した表門も崩されるであろうな」

「兵糧などは二ノ丸に上げるように指示しておりまするが……」


 城の一番外側である三の丸が落とされれば、広家たちは山上に押し上げられることになる。


 三千の兵は狭い二ノ丸に押し込められ、外部との連絡が断たれるのみならず水不足に見舞われる。あるいは敵は黒鍬者にその水の手を切らせるかもしれないのだ。


「やはり後詰と呼吸を合わせて敵を退けるしかございませぬな」

「分かっておる。だが兄からは出雲勢がついてからと連絡があるのみ」


 出雲勢と言っているが、問題は吉川家当主でこの山陰方面の大将吉川元春だ。鬼吉川の異名を持つ元春も五十の半ば。かつては病知らずだったが最近は伏せることも多い。


「ご無理あってはなりませぬからな」

「左様。万が一のことあらば因幡どころではない」


 出雲、伯耆、因幡の三国は元春が重しとなっている。もし元春の病厚いとなれば、山陰の毛利傘下国衆の動揺は激しいものになる。特に鳥取は新付の国衆も多い。中村、森下など先の戦で吉川経家と共に戦った者は戦意も高いが、向背が見えぬものも当然いくらでもいる。


 だからと言って元春なしには土岐の大軍には抗しえない。広家は遠く西方を見た。





 同日。伯耆国八橋城。


「……殿。小早川様よりかような知らせが」


 脇息に持たれるようにして絵図を見ていた吉川元春に近臣が遠慮がちに声を掛けた。


「そうか、北陸勢が播磨に着到したか」


 億劫そうに身体を起こした元春。弟からの知らせを読むと表情を険しいものとした。


 前田利家率いる北陸勢一万五千が播磨三木城に入ったとの知らせだ。三木城はかつての別所家の居城で、毛利と共に織田家に抗った結果、鳥取城に先だって悲惨な落城を迎えた城だ。


 東播磨の山側にある三木城に入ったとなれば、普通に考えれば主戦場たる山陽道の加勢だ。姫路城を山側から圧力をかける配置。


 だが元春はそうは見なかった。


 確かに山陽道は山陰に比べてはるかに大軍を動かしやすい。だがそれはあくまで瀬戸の海あっての話。弟の水軍が備前、讃岐に閂を賭けている状況で播磨にばかり大軍を置けば危うい。


 すなわち山陰、山陽どちらにも向かえる位置に一万五千を数える軍が入った。歴戦の猛将は敵の動きがそう見える。


 瀬戸内海に重心を置く毛利に対し、土岐光秀が国力兵数の優位を生かすなら多少の手間があっても陸の戦いを選ぶ。


 この北陸勢が北寄りに進み、播磨との連絡を絶つ形で因幡を斜め下からえぐれば……。


 因幡が土岐の手に落ちれば山陰山陽ともに窮地に陥る。但馬が土岐に属したことですでに半ば突出部となっている西播磨は東と北の両方から包囲される。さらに因幡から美作に土岐軍が出れば播磨は後背に回り込まれたことになる上、弟の備前まで脅かされる。


 すなわち、かつての備中高松城の頃まで毛利は押し戻されかねない。


 尼子勢力と多くの戦を繰り広げてきた元春にとって美作から四方に延びる道はまさに急所と承知だ。同じ絵図がもし光秀に見えているなら毛利は既にその死命を制されようとしているのではないか。


 元春が伯耆から動かないのは体調によるものではない。このまま東進して因幡に入るか、それとも因幡は三男ごと捨てる覚悟で美作に下るか、その決断のためだ。


 仮に己が因幡ではなく美作に入れば光秀の戦立てが崩せるか。守る自信はある。だがそれはあくまで己が動けるときまで。


 この大戦においてそれでは足りぬ。


 ならば、わが生涯最後の刃を突き付けるべきは土岐のどの腸か……。


 元春は片膝を立て腰を起こす。傷だらけの右手が脇差を引き抜いた。その切っ先が絵図の国々をゆっくりとさまよう。


 主の体調に遠慮していた近臣が、彼の殺気に気圧されていることも気付かず、元春はただ絵図を睨み続けた。

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