閑話 山陽戦線
天正十二年六月。播磨国姫路城。
穂井田元清は姫路城の天守に登った。二層天守からは播磨平野が一望できる。
西方、つまり西播磨は毛利国家の領域だ。大国播磨はその西半分だけで二十万石を越え、毛利一門衆であり姫路城主たる彼の管轄である。北西には龍野城、南西には英賀城があり、両城は支城として姫路城を支える。さらに後方には備前国との中継を担う赤穂城がある。これらの城は本国からの兵糧弾薬の補給として、また山陰の吉川軍との連携を確保するために機能する。
山陽方面だけで備中、備前、美作、西播磨、それに讃岐と淡路の半分強を合わせて百万石に達し、山陰も合わせれば百五十万石を越える。
元服したころには毛利は中国の覇者となっていた、元清にとっても今の毛利の力は大きい。実際日ノ本で毛利よりも大きな大名家は一つしかない。
今弓箭におよんでいる土岐国家だ。土岐光秀は幕府管領代、朝廷の公卿として
この大敵の正面を守る重責は、二十万石の旗頭という身ですら心もとなく感じざるを得ない。とはいえ彼はそのような顔は一切見せない。いや見せられない。
「やはり付城で来る様子ですぞ。下野守殿」
「穂井田様にはご承知のことでありましたか。となればいかに応じるかも成竹ありと」
元清は一緒に天主に上がってきた若い武将、赤松広秀に声を掛けた。赤松広秀は播磨国衆の一人で、元清の与力だ。与力の立場で毛利一門に試すような言いようは無礼だが、黙認する。
「左様。敵をこの姫路に引き付けるは当方の思惑通り」
自信ありげに言った元清だが、当然内心は違う。
姫路城の東を流れる市川には三本の舟橋が掛かっている。舟橋の上を竹束や土嚢を抱えた足軽が次々と渡ってくる。おびただしい敵兵は川向うの土岐方の前線拠点から湧いてくる。御着城だ。小寺氏の居城であった御着城は規模と言い立地と言い重要ではあったが、川向うにある為放棄した。
放棄前に徹底的に破壊した城は、すでに柵や土塁は復旧され、多くの小屋まで建っているのが見える。城の本曲輪には土岐家宿老である三沢茂朝の旗印。
破壊された城をこうも早く復旧させたことは、三沢茂朝の力量と土岐の国力を示している。そしてそこから発した勇将中川清秀によって指揮された敵の先鋒は一万以上。大量の竹束と土嚢を背負った兵、おびただしい数の鉄砲兵もいる。
すなわち大量の物資を使って姫路城の前に付城を作ろうとしているのだ。
「夢前川で御屋形様自ら討ち取った羽柴筑前。織田において付城の名手と言えば筑前。この姫路はその筑前守が築いた城でござる。見られよこの広い水堀。それに姫路の周りは開けており、敵の動きは丸見えの上に、味方の後詰も容易な位置」
「確かに播磨随一の城。なるほど得手の築いた城となれば、付城への備えも万全と」
一応納得したという顔の広秀。元清は内心胸をなでおろす心地だ。境目の城主として新付国衆を統率することは敵と戦うのと同じか、それ以上に大事だ。
特に、心中では毛利など虫けらとも思っている者たちならばなおさら。
赤松広秀はその名字『赤松』から分かるように播磨、備前、美作の三国の守護であった名門赤松氏の一流である龍野赤松の当主。父譲りの下野守の受領名を名乗っていることから分かるように、極めて気位が高いのだ。
ちなみに播磨の有力国衆だった別所、小寺など全て元をたどれば赤松の分家だ。敵味方に分かれている播磨国衆がどのような形でつながっているか元清にすら完全に把握できない。
とはいえ姫路城の堅牢さに自信を持っていることは嘘ではない。川向うにある御着城を放棄したのは姫路の守りの硬さを期してのことだ。姫路の城兵は五千を擁する。十倍の兵で囲まれてもそう簡単には落ちない。
「……ここまでやるとは」
一人天守に登った元清は東の光景に思わずそうつぶやいた。
土岐軍が市川を越えて十日経ずして姫路城の前には二つの付城が姿を現していた。積み上げられた土嚢とその上に並ぶ竹束。竹束の隙間からは長い銃身がこちらを向いている。
本来高所から撃ちおろせる守城側が有利な鉄砲戦だが、敵の鉄砲は射程が長い狭間筒。しかも土嚢で盛り上げられた付城から撃つことで、守城の有利さを半ばまで相殺している。
二つの付城の間には竹束が並びその後ろでは柵と空堀が連絡路を作りつつある。竹束で普請現場を守ることで多くの兵が作事を続けているのだ。
本来なら鉄砲の射程距離内でこのような大規模な普請など出来るものではない。竹束は火矢で燃やすという対抗策がある。だが敵の狭間筒のために火矢が届く距離に近づくのが難しい。その結果、想定よりも近くに、想定よりも大きな付城を築かれてしまった。
しかもその規模は拡大しつつある。
「いかがなさいますか穂井田様」
天守を降りた元清の元に、赤松広秀が来た。
「火矢が届かぬなら夜襲をもって焼くのみ。龍野城からも兵を出させる。下野守殿にも働いていただきますぞ」
「承知いたした」
北西の龍野城からの援軍を受け元清は建築途中の一番北の付城を夜襲した。番兵を蹴散らし、竹束や柵を燃やすことに成功し、奇襲軍は意気を上げて姫路にもどった。
だが翌日にはまるで何もなかったように、建築が続けられる。
三つ目の付城が海側に完成し、敵の弾丸が姫路城の城壁を襲う。しかも付城からこちらに向かってじわじわと敵の通路が作られつつある。火矢が届く距離だが、鉄砲と違って弓は全身を晒さなければ撃てない。そうやって火矢を構えた兵は敵の狙撃の的になる。
黒い鉢兜はおそらく雑賀衆だろう。こちらの弓兵を巧みに排除する。そしてその後ろでは更なる建築が続くのだ。
「これはきりがありませぬな」
「何の、毛利には水軍がござる」
元清は小早川水軍に出撃を要請した。隆景重臣の井上春忠が率いる小早川水軍との連携により南の建設途中だった付城を破壊。さらに淡路岩屋城から出撃した山縣率いる海兵隊が市川の船橋を破壊することに成功した。
だが翌日には新たに船橋が川に並んだ。まるでこちらをあざ笑うがごとく破壊したばかりの南の付城の周囲に大量の竹束が囲い、そこには次々と柵や土嚢が運び込まれている。
御着城を放棄して敵に市川を渡らせたうえで姫路城の硬さで止め、後方を優勢な水軍で攻撃するという山陽方面の作戦は今のところは機能している。また岡山、赤穂、英賀を結ぶ海上水運が機能している限り、後方からの兵糧弾薬は姫路城に届く。
だがもしあのような付城が海側に並べば水軍との連携が立たれる。
何よりもじわじわと近づいてくる敵に元清は城の士気を心配せざるを得ない。もしも赤松広秀のような与力が城内で謀反を起こせば如何に堅固な城でも……。
パンっ!!
すぐ近くからの火薬の音。元清は思わず膝をついた。「穂井田様」と近臣が駆けよってくる。元清は頬に手を当てた。頬を流れる血の感触。敵の弾丸、いや味方の裏切りか。
だが城壁の方には腕を押さえて苦しむ兵がいるのみだ。
元清は漆喰に刺さったそれを指で引き出す。螺旋が描かれた杭のような形状は鉛玉ではなかった。
「尾栓か」
鉄砲の筒の後ろを塞ぐ螺子が暴発で飛んできたのだ。煤などの掃除を怠れば鉄砲は容易に暴発する。連日の鉄砲戦で兵が鉄砲を整備しきれなくなってきていた。
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