第十八話 伊予高木の戦い Ⅲ

「申し訳ございません。長宗我部信親、逃しました」

「勇将の下に弱卒なしというのはまさにこのことですね」


 長宗我部軍が南に離脱したという報告を宍戸元続から受けた私は鷹揚を装って答えた。


 長宗我部信親の奇襲部隊、高木に布陣していた本隊、そして湯築城の抑え。七つ酢漿草の旗はことごとく道後平野から去った。港山城の奪還も含めて毛利軍の勝利だ。


 私は薄氷の勝利に胸をなでおろしている。


 短期決戦を志向するはずの長宗我部軍がこちらの攻撃を待ち構えるようだったこと、港山城が簡単に落ちたこと、これらに違和感を覚えてはいたが、まさか総大将が先頭に立って奇襲をしてくるとは。しかも騎馬鉄砲とは恐れ入った。


 戦利品として提出された、信親が捨てたという馬上筒を見る。全長は四十センチあまり。一般的な火縄銃が一メートルを超えるのに比べて長さも重さも半分以下の特別製だ。


 火縄銃に限らず火砲の威力も命中率も砲身の長さに大きく依存するから、こんなものはまず当たらない。だがそれはあくまで理屈の話。突撃してくる騎馬武者にこんなものを向けられたら恐怖以外の何物でもない。


 馬上筒自体は土岐からの軍事援助だろうが、この形式を望んだのは長宗我部信親の意志かもしれない。港山城を空にしていたことから考えても、最初から毛利本陣に奇襲をかけるつもりで戦略を立てていたのだ。


 もしも彼らが信親を撃退しなければ万が一を避けるために私は退却せざるを得なかったし、大将が逃げ出せばこの戦は負けだった。いや下手したら四国の桶狭間とか後世言われてしまうところだったかもしれない。


 もちろん長宗我部にとっても一か八かの賭けだったわけだが、倍の兵力を率いていた私が一か八かの局面を作られたこと自体が敗北といっていい。


 しかも本陣を抜けぬと見るやすぐさま撤退した。急襲された本陣を救おうと戻ってきた熊谷兵や宍戸兵の混乱を突くようにして戦場を抜けると、本隊と合流して引いていったのだ。


 軍記物として美化されていたと思っていた戸次川での長宗我部信親の奮戦はあるいは本当だったのかもしれない。


 ……十歳は年下の信親に戦略的にも戦術的にも全く及ばないとは。私としてはいつも一番安全で堅実な勝ち方を目指しているのに、なんで毎回毎回こうもやられてしまうのか。


 とはいえ勇将の下に弱卒なしはこちらも一緒だ。


 長宗我部信親の奇襲を退けたのは広島城番組だ。兵力差が二倍に満たないのが心もとないので戦時動員ということで百五十ほどを連れてきていた。


 問題は彼ら二期生は訓練を終えただけで、そのほとんどが実戦経験を持たないことだった。部隊としての単独行動と攻勢の優位に特化した訓練では、あの混乱の中で本陣を守るのに役に立たなかっただろう。


 だが彼らの指揮を執ったのは長門から呼び寄せた一期生の二十人ほどだ。長門は毛利領だから陸路移動させることは十分可能だったのだ。周防からは徴用した廻船で運んだ。


 丸串、徳島、そして豊前と戦いを潜り抜けた経験豊かな組頭級なら、同じ訓練を受けた兵たちを指揮することは可能だ。実際、他の部隊が動揺する中でも、組頭の指揮に従ってよく対応してくれた。


 もともと海兵隊を軍事顧問として用いる構想は有ったが。この戦争が終わったらしっかり研究しよう。海兵隊を梃に毛利軍の改革を進めないと私の戦下手を補えない。


 だがその前に伊予の防衛ラインの構築だ。


 港山城を放棄した信親は大洲城まで引いたようだ。本陣を突かれた混乱から十分な追い打ちが出来なかったため、今回の戦での長宗我部軍の戦死者は三百に満たない。つまりまだ組織的な兵力を有している。


 大洲城は山間に有る要害。四国から剣の様に突き出た佐田岬半島の根元にある。佐田岬の向かいは豊後佐賀関、大友水軍の大拠点だ。その奥には大友の本拠地府内がある。


 本国土佐との距離、山という地形、同盟国との関係から、長宗我部軍にとっては港山城よりもはるかに現実的な防衛ラインだ。長宗我部軍に決定的な打撃を与えることが出来なかったことを考えれば、長宗我部軍の脅威は残る。


 とはいえ毛利も戦略目標は達成したと言っていい。港山城攻めで被害が避けられたこと。何より短期間で片が付いたのは間違いなく成果だ。


 道後平野から長宗我部を追い出したので、伊予防衛は河野家が主体となってもらう。宍戸元続に千を付けて港山城に残して毛利との連携を保つことにしよう。今回の敗北で南伊予でも土居清良が優位になるはずだ。港山城の元続と南伊予の土居清良が湯築城の河野家と連携しつつ長宗我部に対処すればいい。


 私はそれらの部署を決めると安芸へと帰還することにした。



 …………



「すべて毛利頼みとは河野は頼りないことですな」


 安芸への船上で熊谷元直が言った。河野軍が駆け付けたのは長宗我部との戦いの後だった。湯築城の押さえとして配置されていた長宗我部一門の比江山親興を何とか退けた時には、こちらの戦いは終わっていたというわけだ。


 決戦に間に合わなかったばかりか、比江山にも大きな打撃を与えられなかった河野通直を、私が慇懃に労ったのが気に喰わないらしい。


 こういうところが危うい。まあ、あの場で口にしなかったから良しとするが。


 毛利の国家元首としてみれば、河野は傘下としての役割を果たしている。なるほど長宗我部との三度の戦争の全てが、毛利の力による勝利だ。それに対して河野家の働きは鈍い。だが毛利が河野家に対して期待している最大の役割はそこではない。


 三度の戦争は何れも伊予が戦場になった。これが重要なのだ。残酷な話だが、河野家があるおかげで毛利本国が戦場にならない。それに比べれば多少の敗北や後詰の必要性は支払うべきコストだ。


 まあ、流石にこれからはもうちょっと頑張ってほしいが。何しろ私は次に豊前での戦いが待っている。大友軍はもともと豊前の大半を持っているうえに、兵力は二万五千。次の戦いの方がはるかに深刻だ。


 何より毛利には時間の制約がある。播磨と因幡ではすでに土岐の大攻撃が始まっている。両川が土岐の大軍を防いでいる間に西方戦線の立て直しを完遂させなければいけない。


 次の相手は大友義統、目標は門司城の海上封鎖の打破だ。

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