第十七話 伊予高木の戦い Ⅱ

天正十二年六月、伊予国岩子山。長宗我部信親。


 港山城から半里(二キロ)ほど北の海沿いに立つ岩子山。低い山の谷間に人馬が潜んでいた。千に満たない軍勢の中心に、長身の若い武将が立っていた。


「三津浜沖にて敵方水軍と御味方の船が睨み合い」

「毛利本軍、南下を開始。足遅し」


 左右の尾根から駆け降りてきた物見の知らせを、その若い武将は同時に聞いた。


 長宗我部信親の脳裏に東西双方の状況が一瞬で描き出される。狭い山中にあって、一万五千を超える敵味方の動きが正確に認識される。


 敵大将は毛利輝元。鎮守府将軍にして、中国十四ヶ国を領する日ノ本で二番目の大名だ。土佐と阿波の二ヶ国に過ぎない長宗我部が挑むにはあまりに大きな相手と言えよう。実際、上方にて土岐宰相光秀の大軍と対峙しながら、一万を超える軍を伊予に向けてきた。


 だが長宗我部家が伊予を取るためには毛利に勝利して見せるしかない。守護河野通直を破ったにもかかわらず伊予国衆がなびかないのは、その背後の毛利強しとみているからだ。先の二度の戦により四国でのその武名は高く、祖父元就以上ともいわれている。


 だが信親の見立ては違う。毛利において注意を要するは海兵隊と称する軍。『鉄砲に櫓』の特異な旗印の精鋭のみだ。先の二度の戦、丸串でも徳島でも長宗我部の急所を突いてきた。亡き父はこの海兵隊に敗れたと言っていい。


 その特徴は船を巧みに操り、全員が鉄砲を装備していること。その練度から考えるにおそらく毛利水軍から選び抜いた精鋭だ。実際、将は毛利水軍の児玉就英である。


 信親は京都で伊予攻めを指示される前から、海兵隊の動向に注意を払っていた。


 今『鉄砲に櫓』の部隊は長門にその大半、残りは淡路に置かれている。つまり今の毛利軍はその切り札である部隊を欠いている。そのことは毛利軍のこれまでの動きに現れている。


 堀江ヶ浜への上陸。水軍を用いた港山城への圧迫。長宗我部軍が港山城に籠れば海と陸から攻められ、決戦を挑めば湯築城の河野との挟撃を恐れなければならない。優勢な兵力をもって不利な二択を迫る。


 まさに大国の取るべき戦である。


 だが信親には恐れはなかった。この絵図は彼が描かせたものだ。定法通りの戦を好む輝元ならば港山城を目標とすることは明白。ならばそれを囮にすれば敵の動きを操れる。戦況はまさに彼の将才が輝元に勝ることを証明していた。


「大魚と言えども餌に食いつけば吊り上げるすべあり」


 彼の背後には騎馬二百と足軽七百。港山城に籠るべき兵のほとんどだ。すなわち毛利にとってはいないはずの兵。そしてこの谷を抜ければ、毛利の横腹がある。だが敵の兵力は一万、本陣の守りだけでも三千を超える。


 確実に崩すにはあともう少し、獲物を前に出さねばならない。


 毛利の歩みが遅いのは河野が抑えの軍を抜くのを待っているからだ。河野との挟み撃ちの体勢が整えば文字通りの必勝が約束されている。輝元は一切焦る必要がないのだ。


 逆に信親にとっては湯築城の抑えを任せた一門の比江山勢が持ちこたえる間にことを決めなければならない。針の穴を通すような戦だ。


 餌を加えてやらねばならない。敵のもっとも欲する餌を。


「四郎左衛門に引くように合図」


 信親は池四郎左衛門頼和への合図を指示した。池頼和は義理の叔父にあたる土佐水軍の将だ。港山城の前で毛利水軍と対峙している土佐水軍が引けば毛利は港山城を攻撃する。空の城が毛利水軍に攻め込まれればどうなるか。


「港山城陥落」

「毛利本陣、南進を開始しました」


 そう勝利を確信した毛利軍は撤退する長宗我部軍を逃すまいと、攻勢を開始する。この瞬間、信親はまさに戦場を支配したことを確信した。


「火縄に火を入れよ」


 信親はそう下知すると馬にまたがる。中間から短筒を受け取ると、真っ先に駆け出した。騎馬二百と徒歩七百、長宗我部の刃が岩子山という鞘から抜き放たれた。




「まさに頃合い」


 山間を抜けた信親の前には背中をさらす毛利の本軍があった。長宗我部の撤退に食らいつこうと足を速めた先鋒と本陣の間も開いている。


 信親の接近に気が付いた毛利軍が慌てて反転する。「後方から敵の奇襲」「狼狽えるな。小勢にすぎぬ」という上ずった声が聞こえてくる。敵後衛は八百ほど。旗印から石見の益田。毛利の大身国衆だ。


 後方から奇襲を受けたのにも関わらず、隊列を組みなおして鉄砲隊を前に出すさまは戦慣れしている。だがこちらの方が早い。


「火蓋を切れ」


 信親の下知と共に一領具足と呼ばれる徒歩侍が膝をつき、益田勢に対して鉄砲を放った。敵がバタバタと倒れる。敵も鉄砲を撃ち返してくるが銃声はまばらだ。信親は迷わず突撃を命じた。


 左右に散る鉄砲兵、その後ろに櫛の歯が欠けたような槍衾が見える。たった一度の撃ち合いで突撃を敢行してきた長宗我部軍に間に合っていない。


 信親は馬上で短い筒を構えると、引き金を引いた。長宗我部の騎馬隊から轟音が毛利の槍隊に向かう。


 上方から取り寄せた馬上筒と呼ばれる種類の鉄砲だ。通常の小筒と比べて砲身が半分程度で、馬上で扱える。奇襲に次ぐ奇襲を受けた敵の後衛が大いに乱れた。


 信親は馬上筒を中間に渡すと、代りに長刀を受け取る。そして馬に鞭を入れた。


「突撃せよ。毛利輝元の首を上げよ」

「殿に遅れるな!!」「今こそ死んでみせる時ぞ!」「ご先代の無念を報ずべし!!」


 騎馬も足軽も共に走る。一団となった長宗我部軍は毛利の後衛を突き崩す。


 敵の後衛は後ろを向いて逃げ出す者が出ている。このまま混乱した敵と共に本陣に雪崩れ込めば兵数の差などあってなきようなものとなる。一丸となった九百が混乱する三千に負ける道理などない。


「敵陣突破。前方に毛利輝元の馬印」

「このまま本陣に切り込み、毛利輝元の首を取れ」


 自ら敵兵を切り伏せた信親に、先鋒の桑名親光の声が届く。信親が勝利を確信した時だった。


 がら空きに見えた本陣と信親の間に六十ほどの兵が駆け込んでくる。鉄砲を持った兵は突撃してくる信親たちを恐れる様子もなく隊列を整えていく。


「馬上筒を」


 中間が玉込めを終えた馬上筒を渡す。信親は新たに現れた敵勢に向けて放った。だが先ほどと違い敵は動揺しない。


 馬上筒は狙いが定めにくい短い銃身である上に、それを揺れる馬上で放つ。確かにそうそう当たることはない。信親がこれを用意したのは音と恐怖で敵を攪乱するためだ。実際、先ほどはその目論見通り敵は算を乱した。


 信親の秘策に一切ひるまない兵の存在はこの戦闘が始まって以来、初めての誤算だった。


 まるで当たらないことなど承知と言わんばかりに全身をさらした組頭がこちらに銃口を向けた。その組頭の指示通りに絡繰りの様に続く兵。目の前の敵兵がそろいの具足と小袖を着ていることに信親はやっと気が付いた。


 海兵隊。丸串と徳島で父に辛酸を舐めさせた兵たちだ。だが海兵隊は水軍、大友水軍により閉じられた関門海峡の向こうに隔離されたのではないのか。


 そういえば広島を放火した土佐水軍から、町から現れた鉄砲衆に撃ちすくめられたという報告があったが……。


 大砲の轟音とも錯覚される一斉射撃が信親を襲った。


 信親の前にいた騎馬武者が次々に倒れていく。そのあまりに正確な狙い。戦場の混乱の中にあって信親たちを的としか見ていないかのような異様。


「桑名殿お討ち死に」

「ひるむな。敵は百にも満たぬ。このまま蹴散らせばよし」


 先鋒を任せていた勇将の死が信親の耳に届いた。信親は馬上筒を捨てると、長刀に持ち替えた。ここまで来て引くわけにはいかない。それに何より敵はわずか数十だ。如何に毛利が大国と言えども、これほどの兵をそう沢山隠し持てるものか。


「殿、新手でございます」


 自ら先頭を切って突撃を敢行しようとした時、左右から前方と同じ姿形の兵が迫ってくるのが見えた。六十余の部隊が二組、その全てが同じ歩幅で走り、ごく自然にこちらを包囲する陣形を取ろうとする。


 なるほど、これが父を破りし兵ども。戦場で相対して初めて分かった。海兵隊の力は船でも鉄砲でもあらず、この統率であったか。


 ここで父の轍を踏めば子として不孝の極み。信親は長刀を大きく振った。


「全軍南進。本隊と合流したのち大洲へ」


 左右からの銃撃の音。倒れる味方の悲鳴。それを背に信親は身体を前に倒し手綱を握る。


 あれだけ注意しておきながらなお海兵隊の力量を計り損ねたは確かに我が不覚。だが、一体どこから二百もの精鋭をひねり出した。

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