第十五話 OODA

 鎮守丸の奉行部屋で堅田元慶に九州のキリシタン大名の情報収集を命じた。海外貿易との絡みもあるので張元至や二宮就辰にも協力を求めるように指示した。現時点ではあくまで客観的な情報収集に努めるべき段階なので「九州に大友中心のキリシタンネットワークがある」などという先入観は与えない。


 将来的な懸案を分離した後、私は鎮守府将軍執務室に入った。


 福原達には明日までに方針を定めると言ったが、私の頭の中にあるのは混乱である。九州四国の膨大な情報、その尽くが毛利に不利、によってパンク寸前。


 「もう何をやっても駄目だ」と「あれもしなければ、これもしなければ」と矛盾した思考が脳内を回っている。


「御屋形様。白湯でございます」


 差し出された茶碗を何も考えずに口にした。温めの白湯が乾いた喉にしみこむ。口内がカラカラだったことに今更ながら気が付いた。


 人心地付いたことで、冷静さが戻ってくる。もともと戦争は不確実性の塊だ。最初から素の頭脳で扱える対象ではない。裏を返せば、そういった状況に対処する方法を考え続けてきたのが、軍事学という分野なのだ。


 複雑な状況を理解するために様々な概念が考案されてきた。海兵隊の士官教育でやった『攻勢の優位、守勢の優位』なんかはその代表だ。『外線作戦、内線作戦』や『機動戦、消耗戦』もそうだ。複雑な状況を二項対立に置き換えることで、大まかに理解する。


 あくまで単純化だが、複雑だからこそ単純化して対処し合う、戦争の目的とは国益の達成であり、真理の追求ではない。ましな行動をした方が勝つ。


 ではそう言った概念を用いて構築した戦略が破綻した場合はどうすればいいのか。当然、これも戦争における問題解決の一部だ。というよりも、戦争における意思決定の大半がこちらと言ってもいい。


 予想外の状況変化に対して、どうやって計画を再設定するかは、実はまっさらな状況から計画を立てることとは似ているが違う。状況がすでに始まっていて、しかも予想外に変化しているというのがスタートなのだ。


 その為の思考の手順としてOODAウーダというフレームワークがある。


 OODAはアメリカ空軍のパイロットであるジョン・ボイドが考案した意思決定の方法で観察Observation判断Orient決断Decide行動Actの頭文字を取ったものだ。PDCAに似ているが、その考え方は大きく異なる。


 PDCAが平時の主体的な意思決定フレームワークだとしたらOODAは有事の受動的なそれだ。PDCAがPlan(計画)から始まり、その計画をどれだけうまく実現するのかを重視するのに対し、OODAは観察、つまり対応すべき状況の把握から始まることがそれを象徴している。なにしろ空中戦というハイスピード状況に対する意思決定方法として作りだされたのだ。


 第二次大戦に例えると、真珠湾奇襲により太平洋のアメリカの海軍戦力を行動不能にして、その間に南方資源地帯の占領を終えるという、初期日本の快進撃は開戦前に綿密に立てた計画、つまりPDCAの成功であるのに対し、ミッドウェー海戦後の戦略状況の変化に対応できなかったのがOODAの失敗と言える。


 最初のOである観察は終わっている。先ほど本丸で聞いた九州、四国の情勢だ。


 次のOは情報をもとに基本的な方向性を考えるフェーズだ。集めた情報が自分にとってどういう意味を持つのかを解釈して、新しい状況に対応するための基本的な方針を定める。


 西方戦線が開戦前の想定よりはるかに困難となり、内線作戦+機動戦という毛利の基本戦略が破綻した。戦力が東西二分された毛利は最終的に光秀の国力により押しつぶされる。これが言わば現状認識だ。


 大まかな方針としては西方防衛体制の再構築だ。それもなるべく短期間で、なるべく最低限の戦力で。


 それにより内線作戦+機動軍という毛利の戦略に復帰する。水軍力を生かして主導権を取り戻すチャンスが生まれる。これが現時点で私が考えられる基本的な方向性だ。


 極めて困難な課題だが、不可能というわけではない。長宗我部や大友に勝とうとしているわけではないのだ。そもそも龍造寺、大友、長宗我部の三国家は連動しているように見えて、それぞれの目的に向かっている。


 龍造寺は肥後、大友は豊前、長宗我部は伊予、各国が欲しいものに手を伸ばしている。それぞれが主体的に行動しているのが厄介ともいえるが、やり方によっては各個撃破、いや各個防衛が可能だ。


 島津と龍造寺の戦いがどう転ぶかわからないのが問題だが、それはひとまず置こう。現時点で対処できない。強いて言えば島津義弘に期待だ。


 次がD。要するに西方防衛体制を再構築するための具体的目標の決定だ。


 長宗我部に対しては伊予港山城の奪還だ。土佐水軍が広島を攻めるための基地を潰し、大友との連携を断ち、毛利は湯築城の河野家との連携を回復する。


 河野家には南伊予の土居と東伊予も残っている。毛利との連携が回復すれば伊予防衛は成せるはずだ。長宗我部の快進撃は、事前の宇都宮などの調略と物資に大きく依存している。一度止まったら、最初の勢いは維持できない。それこそ第二次世界大戦の日本軍のように。


 私は将軍室の黒板に『対長宗我部の目標:港山城奪還』と書いた。


 次は大友だ。これは一も二もなく門司城の海上封鎖の解除だ。関門海峡の制海権を取り戻し、門司城と長門との補給線を回復させる。関門海峡という自然国境を防長の戦力で守ることは不可能じゃない。


 つまり『港山城の奪回』『門司城の海上封鎖の打破』これが具体的目標だ。


 やはり先人の知恵と言うのは偉大だ。まあジョン・ボイドはまだ生まれてないけど。


 最後がAct。実際の軍事行動だ。河野軍と清水宗治の防長衆は事実上長宗我部と大友に固定されている。広島に戻した安芸石見衆の一万と川ノ内警固衆。


 海兵隊の戦力をどう活用するかだ。まず淡路岩屋においた二百四十は動かせない。岩屋自体が重要であるからだ。


 残りの五百も実は問題がある。関門海峡が封鎖されたことで長門の日本海側に隔離されている。しかも小倉を攻撃したときに二十人の海兵と大組頭一人を失ったという。筑前から進軍してきた大友軍が門司に付くまでに一撃与えようとしたのだが、相手は小倉の地で夜営に見せかけて陣を敷いて待ち構えていたらしい。


 筑前衆の大将は立花道雪。大友最高の名将だ。そう考えると被害は最小限に抑えたと言うべきかもしれないが……。


 まず『港山城の奪還』と『門司城の封鎖解除』のどちらを優先するかを考えよう。私の手持ちの戦力で同時は不可能だ。まずは港山城だろう。ここに長宗我部軍がいると広島の警戒レベルを常に上げないといけないし、大友との水軍連携をされたら豊後水道はもちろん、瀬戸内海まで危うい。


 まずは港山城の奪回、出来れば長宗我部に一撃与える。伊予防衛戦の再建が成ったら、門司城の海上封鎖の解除に動く。この順番が妥当だろう。


 毛利両川と言えどもいつまで東方戦線を守れるかわからない。だからこそ一つ一つ片付けて、出戻りの危険をなくす。


 私は自分が書いた黒板の内容をもう一度チェックする。少なくとも私が考えられる範囲ではこれがベストだろう。あとは福原らにチェックしてもらえばいい。


 私はやっと心を落ち着けた。


 なんだ考えてみれば出来ないことはないじゃないか。流石OODA。私みたいな戦下手には最適の方法だな。人間、困難な状況にあっても次にやることが見えていれば落ち着けるものだ。まあ、それで何とかなるとは限らないのが戦争という非常事態なんだけど。


「すまない。もう一杯白湯をください」

「どうぞ」


 まるで待っていたように次の茶碗が差し出された。茶碗を手に取ろうとした時、差し出された手が白く細いと気が付いた。私は首を傾げた。


 中学校に入ったばかりくらいの少女がいる。


「…………か、周。な、なぜここに」

「まあ、先ほどからずっとお世話をさせていただいておりましたのに」


 児玉元良の娘、周は澄ました顔で言った。だが私はある意味先ほど以上に混乱している。なぜこの子がここにいるのか、合理的な説明が全く思い浮かばない。


 最近の鎮守府の忙しさから考えて佐世元嘉が拉致する暇なんてなかったはずだ。っていうか元嘉は私と一緒に広島に帰ってきたばかりだ。


「先日よりこの鎮守丸の女中として出仕させていただいております。御屋形様はご出陣中でしたので、ご挨拶が遅れました」


 なるほど私が播磨にいるときに勤め始めたと…………。いやそれは関係ない。


「…………奥は何と言っているのだ」


 本丸と鎮守丸は確かに管轄が違う、だからこそ本来の歴史では彼女は二ノ丸に居住した。まあ逆に言えば妻に本丸に入ることを認められなかったわけだ。ちなみに関ヶ原後に萩に本拠を移した後も萩城へは入れられていない。


 私が存命中は名目上とはいえ初代藩主の母がその扱いだったことに正室の権限の強さが分かる。あと私の不甲斐なさも。


「乃美の大方様のご推挙によりここにおいていただいております」

「な、なるほど、大方様の……」


 少しだけ納得がいった。乃美の大方は乃美宗勝と同族の出で、祖父元就の継室。穂井田元清、天野元政、小早川元総の母親だ。元総が順当に小早川家を継げば彼女の子供の支配領域は百万石を優に越える。いわば祖母なので奥の序列も存命者の中では一番高い。


 そういえば元嘉が乃美の大方に鎮守丸の侍女のことで協力云々言っていたような気がする。鎮守丸の秘密保持の観点から言って児玉元良の娘なら適任ではある……。


 いや待て、その元良はどうした。現代ですら未成年の就業は保護者の許可がいる。この時代の家父長制は職業選択どころか生殺与奪を握ってるんだぞ。それこそ「娘はもう嫁ぎ先が決まりましたので」と言えばいいい。


「……元良は何と言っている」

「父は大叔父様が説得しました」


 児玉就方は児玉一党の長老だ。なるほど一族の娘の進退について一定の影響力はあるだろう。


「児玉家は就英が海兵隊の育成から指揮まで忠義を尽くしています。なにも其方まで……」


 私は遠回しに嫌ならやめてもいいと伝えようとする。この時代はこれがとても難しくて、下手に面目を潰すと自害したりする。そうすると当然私が無体なことをしたから世をはかなんだという話になる。


 そして現代まで続くホラー原作になるのだ。


「児玉家の娘として毛利の御家に奉公することは当然のことでございます。いかなる御用も仰せつけくださいませ。私ももう十五でございますれば。多少はお役に立てることもございます」


 周はそういって微笑んで見せた。十五歳かそれなら……ってこの時代の歳は数え年。最大二歳差し引かなければいけない。中学一年生、アウトだ。


「それでは何かありましたらお申し付けください」


 周はそういって廊下に下がった。


 私は茫然とした。何のためにここを二ノ丸じゃなくて鎮守丸にしたと思っているんだ。あの幼女……じゃなかった少女、将来『鎮守丸殿』って言われるようになったらどうするつもりだ?


 女子の名前としてはちょっと物々しすぎるだろう。どう考えても跡継ぎの男子の名前だ。

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