第十三話 戦略破綻

「広島が放火された?」


 対土岐戦略が決まり安心して眠りについた私は、早朝佐世元嘉に起こされた。早船が夜を徹して届けたという知らせを聞いた私の眠りは一気に冷めた。土佐水軍が広島湾に上陸、建物を放火したというのだ。


 なんだそのドーリットル空襲は?


 私の脳裏に浮かんだのは第二次大戦序盤、真珠湾から半年もたたない時期に起こったアメリカによる日本本土爆撃作戦だった。太平洋における支配域を広げていた日本にとっては東京をはじめとする太平洋側の主要都市を空爆されたことはまさに青天の霹靂だった。


 日本海軍首脳に大きなショックを与え、否が応でも太平洋のアメリカ空母を撃滅するという方針に繋がった。ミッドウェー海戦の敗因を生んだともいわれる。


 不吉な戦訓を思い出したおかげで皮肉にも少し冷静になれた。『ドーリットル空襲』は無理に無茶を重ねた作戦だ。アメリカ海軍はなんと空母から陸上爆撃機を発進させるという離れ業でそれを成したのだ。


 あの時点でアメリカが太平洋で使える正規空母は三隻しかなく、六隻の正規空母を運用していた日本軍に対して劣勢だった。絶対に失えない空母を二隻も日本近海に派遣することは極めて危険だった。


 そこで長い飛行距離を持つ陸上双発爆撃機 を使ってなるべく日本に近づかなくとも良いようにしたのだ。


 B-25は長い陸上滑走路を前提とした機体だ。空母からの発艦すら本来は困難で、着艦は不可能。無理やり空母から発艦して空襲後に大陸に抜けるという方針を取った。この無茶を実現するためB-25の改装、訓練などに膨大な時間をかけている。


 十六機のB-25は見事日本上空に到達し爆弾を投下した。空襲自体では一機も失われることなく、全ての機体が日本上空を抜けて大陸へ向かった。だが、十六機中十五機が不時着で失われ、残り一機もソ連によって拿捕され戻っていない。


 乗員はパラシュートで脱出した後、中東経由で地球一周してアメリカに帰っている。一歩間違えば全滅していただろう。


 これだけの費用と危険を冒して行われた空襲だが純軍事的成果は小さかった。要するに完全に心理戦として行われたのだ。


 今回も同じはずだ。如何に毛利主力や海兵隊が留守でも土佐水軍が広島湾でまともな作戦行動が出来るはずがない。


 案の定、報告を詳しく聞くと広島に現れた土佐水軍はわずかで海沿いの建設途中の小屋を少し焼いただけ。そして駆けつけた広島城番に射すくめられてすぐさま撤退したことが分かる。戦時体制ということで、広島の町交番には、数丁ずつの火縄銃が置かれていたのが幸いしたらしい。


 つまり心理戦だ。こちらが焦らず、人心も含めて対応すれば対処可能な事態。そう結論付けた私に次の知らせが飛び込んできた。


「河野家が長宗我部軍に攻められて後詰依頼? しかも豊後に二万を超える大友軍が現れた?」



 …………




 赤穂城の本丸曲輪には諸将が再び集まっていた。全員が厳しい表情だ。淡路洲本城攻めなんて吹っ飛んでいる。


「まず宍戸殿よりの知らせですが長宗我部信親率いる土佐勢は港山城を囲んでいるとのこと」


 四国情勢だけでも重大だ。長宗我部信親率いる一万の軍は土佐から南伊予の大森城に侵攻、これを落とすや丸串には押さえの兵を置いただけで北進して大洲城を囲んだ。大洲城は丸串城と湯築城の中間にある要衝だ。


 大洲城を救うために湯築城から出陣した河野軍は長宗我部軍に大敗。湯築城まで撤退を余儀なくされた。長宗我部軍は北進し港山城を攻撃した。港山城は丸串の戦いで私が四国に上陸したあの港だ。広島にちょっかいを掛けた土佐水軍の動きと重なる。


 まさしくナイフでバターを切り裂くような進撃だ。最初から伊予を狙って力をためていたとしか考えられない。だがあまりに無謀な軍事行動だ。長宗我部軍が如何に強くてもこんな進撃は兵站が持たないはず。


 だがこれは九州情勢と連動した動きだったのだ。九州では大友家が大軍を豊後に派遣した。大友の筑前守護代立花道雪、大友義統率いる豊後衆が加わり、門司城を囲む大友兵は総数二万五千を超えている。大友軍はそのほぼ全力を毛利に向けたことになる。


 長宗我部と大友は完全に連動している。だがどうしてそんなことが出来るんだ?


「御屋形様」

「あ、はい。そう島津に後方を脅かされている大友が総兵力を門司に向けられた理由が――」

「今そのようなことは分かりませぬ。肝要なのはいかにして安芸を守るか」


 隆景がぴしゃりと言った。


 目が覚める。この時代の情報通信技術で九州の奥の状況が分かるのを待っている余裕はない。ドーリットル空襲なんてとんでもなかった。米軍の沖縄上陸くらいのインパクトがある。


「御屋形様は急ぎ広島に戻られよ」

「しかり。安芸に万が一のこともあってはなりませぬ」


 混乱する私に隆景と元長が言った。つまり毛利両川に対土岐戦線を任せて、私は西方の防衛をするという戦略レベルの転換だ。しかし土岐の大軍を前に播磨に入ったばかりの私が即時撤退となったら……。


「軽重をわきまえられよ。万が一広島が、いや長門が落ちただけで毛利は崩壊ぞ」


 隆景は有無を言わさぬ態度だ。それでようやく現実がしみ込んだ。


 冷静に考えればその通りだ。大友と長宗我部を合わせた西方の敵軍は三万五千を超える。水軍力も十分持っている。門司城が落ちただけで関門海峡の制海権は失われる。そうしたら大友水軍と土佐水軍が広島を攻撃できる。


 広島を守れたとしても瀬戸内海の制海権はぼろぼろになり、播磨への補給も途絶える。つまり全軍が崩壊する。


 五千の兵を播磨に残し、一万は広島に引き上げることを決めた。赤穂には隆景が陣取り、因幡の吉川軍、姫路の穂井田軍と連携して土岐戦線を指揮することが決まる。私自身は川ノ内警固衆の船ですぐさま帰還だ。


 あわただしく船に乗り込んだ私の気分は重かった。


 毛利軍の戦争戦略は内線作戦+機動戦。西方の危機に対して私が機動軍として取って返すのはある意味戦略通りに見える。だが実際には違う。大友と長宗我部の戦力を考えれば私は安芸に拘束される。


 ただでさえ国力に劣る毛利が、その軍事力を東西に二分されることになる。これはつまり私の戦争戦略そのものが光秀に打ち負かされたことを意味する。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る