第十二話 必勝戦略
天正十二年六月。播磨国赤穂。
備前から播磨に入ってすぐの赤穂の地で私は軍を止めた。ここには隆景によって新しい城が作られている。後世は赤穂城と呼ばれることになるかもしれない。もちろんここに城を作ったのは忠臣蔵は関係なく戦略上の理由だ。
海に面していて広島などとの連絡が保たれ、周囲に大軍を置けるだけの平地があり、前方には千種川が天然の堀となる。播磨と備前のつなぎ目として押さえておかねばならない要地だ。
ちなみにこの先には龍野城、姫路城と毛利方の軍事拠点があり、土岐の播磨拠点の三木城はさらにその先なので前線からは十分距離がある。
端とはいえ播磨なので「毛利輝元播磨表に出馬」とプロパガンダ出来る。後、あまり大きな声で言えないが万が一播磨から毛利が撤退するときの退き口だ。
本曲輪に入ると、すでに集まっていた対土岐戦線の将帥が私を迎える。私よりも先に播磨入りしていた小早川隆景、山陰の吉川元春の代理元長、讃岐から海を越えて駆け付けた乃美宗勝、姫路城から来た穂井田元清だ。
これから始まるのは主敵である土岐軍にたいする軍事戦略を決定するための軍議だ。倍の国力を持つ土岐戦線の戦略会議なので厳しいものとなるだろう。まあいざとなったら隆景が決めたことに従えばいいんだが。
「土岐方の陣容を教えてください」
「まず正面の山陽筋ですが。土岐管領代は摂津尼崎城に本陣を置く構え。播磨の前衛は三木城と明石城を結ぶ線。前衛大将は三木城の三沢茂朝。明石守将は中川清秀」
姫路城主として最前線にある穂井田元清が発言した。祖父元就の四男で、私にとっては元春、隆景に次ぐ叔父にあたる。正妻の子ではないため家中での地位は両川に劣るが最前線の東播磨を大きな混乱もなく統治していることから、その有能さが分かる。秀吉に冷遇された赤松旧臣をしっかりつなぎとめている。
ちなみに元清の子が後の毛利秀元だ。本来の歴史では慶長の役や関ヶ原で毛利軍総大将を務め、長州藩においても初期藩政を支えた。これから分かる通り私よりもありとあらゆる面で有能だ。
まだ三歳なのでそういう話は出来ないが、私に実子が生まれることはないだろうから養子として後継者とする可能性が高いと思っている。本来の歴史でも秀元の子孫が本家を継承しているんだけどね。
今は未来の話よりも正面の情勢だ。光秀のいる尼崎城は大坂湾岸にある。かつて信長に反逆した荒木村重が立てこもった城だ。私が広島を出た時から進んでいないのは意外だが、光秀の支配地域の扇のかなめの様な位置だから、本営として各方面を指揮するのに適しているともいえる。
三沢茂朝は土岐五宿老の一人。中川清秀は槍の瀬兵衛と言われた摂津茨木の武将だ。本来の歴史では秀吉方の先鋒として山崎の合戦で活躍し、賤ケ岳の戦いで討ち死にした。
彼の守る明石城は淡路の対岸で、向かいには毛利方の岩屋城がある。毛利軍が京に向かうなら決して無視できない城だ。むしろ山側にある三木城よりも重要かもしれない。戦闘意欲旺盛な猛将である清秀は先鋒大将として脅威だ。
「山陰方面は羽柴が市場城に居座り、但馬には細川幽齋、忠興親子が丹後から出てきております。この方面の大将は丹波守護の明智光忠」
元長が続く。山陰の最前線は因幡鳥取城。南から羽柴、東から細川の圧迫を受けている状態だ。とはいえ前回と違い兵糧は十分だ。出雲や伯耆との補給線も保たれている。
「四国の長宗我部は未だ動きが見えませぬ。ただ白地跡に普請の気配あり。また淡路ですが、村上元吉殿から洲本城に仙石秀久が置かれたとのこと。淡路の向かいである和泉には伊賀から出てきた筒井順慶。紀伊には雑賀の土橋春継」
乃美宗勝が報告する。仙石秀久とは意外な名前が出てきた。本来の歴史では秀吉の最古参クラスの武将で、山崎の合戦では淡路を押さえることで貢献している。淡路で孤立していた状況で光秀に下ったのだろう。戸次川の敗戦で悪名高いが一武将としては有能だし水軍も扱える。強敵と考えた方がいい。
それに筒井順慶だ。本来の歴史では洞ヶ峠でどっちつかずの態度を取った。大和出身だから適材だ。紀伊の土橋春継は雑賀衆の二大巨頭の一人。彼によって雑賀を追われた鈴木親子はこちらに付いた。
前田の北陸勢は近江に入ったばかりらしい。あといずれ長宗我部が讃岐を狙うだろう。
「管領代の布陣は我らが播磨を広げた翼で囲い込む、いわば鶴翼の構え」
隆景が総轄するように言った。
土岐方の総兵力は十万に迫る。毛利は私の本軍が一万五千、隆景と宗勝で三万、元春が一万五千、元清が五千の六万五千。土岐が総兵力の六割、毛利は七割という感じか。
展開可能な最大兵力と言うべきだな。これ以上増やしても扱えない。関ヶ原ですら東西両軍合わせて十七万と言われている。
土岐の布陣は顔ぶれと言い配置と言い、堅実の一言だ。私の中の光秀のイメージである有能な軍事官僚のものだ。ただ広島を出る前に私が感じた攻勢の色がない。三方からじわじわと播磨を押しつぶさんとする形。
一方の毛利は因幡と讃岐で敵の両翼の動きを押さえつつ、正面が私、隆景、元清の三軍が並ぶ。そういう意味では魚鱗の陣に近いだろうか。鶴翼対魚鱗。史実なら徳川と武田の三方ヶ原に似ているか。
武田信玄のごとくに、山陽道を進んで敵の中央部を食い破り、あわよくば光秀を討つ。なんて戦略は当然とれない。兵力の優位がある鶴翼の陣に対して中央突破なんて包囲殲滅への一直線だ。
それに何よりそんな賭けをする必要がない。もっと堅実で毛利に有利な戦略があるように見える。
「叔父上。この土岐の包囲に播磨を失う恐れがありますか」
「否。瀬戸内海を毛利が抑えている限り包囲は形だけ。この鶴は左翼が動かぬ」
隆景が断言した。
地形を考えなければ包囲体制に見えるが、瀬戸内海が毛利のものでは成立しない。左翼はこちらを包み込むというよりも、毛利水軍を恐れて守りを固めているようにすら見える。
となるとこちらのやることは優勢な水軍力を生かす戦略の一択。
「我らの最初の目標は淡路洲本城でしょうか」
私は淡路島にある土岐方の唯一の拠点を指した。洲本城は淡路最大の城で、大坂と向かい合う重要港だ。毛利がここを取れば大坂湾に浮かぶ不沈空母とでも言うべき淡路島を抑えられる。
毛利の制海権が大坂湾まで延びる。水軍戦力の優位という戦略的な強みがさらに拡大するということだ。さらに長宗我部を孤立させられる。
つまり最初から狙っていた長宗我部を叩くことで、毛利包囲網を崩せる。
鶴翼の陣の弱点は中央ではなくて端だ。長宗我部を脱落させたら反時計回りに、紀伊、河内と各個撃破する。海と陸から毛利が光秀の本陣を包囲できる。
「他に考えようがないな」「同意いたしまする」「某も不満ござらん」「良き策かと」
隆景たちからも反対意見が出ない。ただし全員が微妙な顔をしている。ちなみに私も含めてだ。
なぜこんな有利な形になる。毛利が海上で優勢なのは最初から分かっていることだ。光秀はこれをさせないために手を打たなければならない。
「叔父上が光秀なら私が到着するまでに何をしますか」
「淡路岩屋城を開戦劈頭に攻略、淡路での優位を確立する。前衛を明石三木より前進させて姫路城に大兵力で圧力をかける。長宗我部信親に讃岐を攻撃させる。あるいはその全て」
するすると毛利がやられたくないことが出てくる。だからこそ①岩屋には海兵隊を最初から増員したし、③讃岐には宗勝を置いたわけだ。そして私が早急に播磨に出たのは②に対応するためだ。
それでもやらない理由はない。なぜ光秀は早々に尼崎まで出ながら毛利に有利な戦略的状況を放置している?
まさか私が馬鹿正直に懐に入ってくるなんて思ってないだろう。
「長宗我部が誤算だったということでしょうか」
「土佐岡豊では連日の軍議で家中紛糾という話は聞こえてきております」
宗勝が答えた。ありそうな話だ。毛利自身が経験しているが拡大し続けていた組織は守勢に回ると脆い。そのタイミングで
だがそういった誤算一つで崩壊するのを戦略とは言わない。一代で天下人まで成り上がった光秀ならなおさらだ。だからこそ奇妙なのだ。
だがこれ以上の戦略など思いつかない。私だけではなく隆景、元長、元清、宗勝という優秀な軍事指揮官が対案を出さないのだ。
そもそも一か八かという作戦でもない、毛利の水軍力ならむしろ正攻法だ。
「では最初の目標は淡路洲本とします。川ノ内警固衆、岩屋の海兵隊、そして港城の村上元吉の軍船により圧倒的な水軍でもって洲本城を落とします」
隆景以下が黙って頭を下げる。
あっさりと戦略が決まって拍子抜けした私は眠りについた。その眠りとこの戦略が、実に短い寿命しか持たないことも知らずに。
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