閑話 土佐の驍将、筑前の雷神

天正十二年五月。土佐国岡豊城。


「土岐宰相様、尼崎城に御着陣のよし」

「毛利輝元率いる毛利軍、備前到達」

「大友家より手合いの催促」


 長宗我部家の本城である岡豊城の本丸詰間には中国、畿内、そして九州からの知らせが次々に飛び込んでくる。土岐と毛利がその総力を挙げてぶつかる大戦に、詰間に集まった家臣たちは興奮を高めている。


 そんな家中の様子を危ういと見ているのは、最前列に座る一門衆筆頭香宗我部親泰だ。一見すれば戦意に満ちているように見えても、その実はばらばらであることを、彼は熟知している。


 先の戦で讃岐の所領を失ったもの、白地城で親兄弟が討たれたもの、伊予丸串から命からがら逃げ帰ったもの。彼らはそれぞれの理由で、戦を渇望している。利、恨み、面目など失ったものを取り戻そうとしている者たちだ。


 しかも土岐の勝ち馬に乗らんとする卑しさがある。土佐の一国人から三ヶ国まで、拡大を続けた長宗我部家中は敗戦と兄の死で本当の自信を失っているのではないか。老練な親泰には彼らの熱気がある種虚勢のように見える。


 勢いに乗っている時は良くとも、敗れれば一挙に崩壊しかねない危うさだ。


 今の長宗我部は毛利包囲網の中で最も小さな勢力であり、土岐と大友を繋ぐ難しい位置にある。しかも光秀から示された攻め口は伊予。石高だけなら同等の河野家が相手だ。


 親泰は若い甥、新しい主を見る。家臣たちの熱気に当てられている様子は皆無。むしろ静かに見える。父の敵討ちと逸るよりはよい。親泰の見立てでも今はまだ情勢を見るとき。ただ、何も言わないのでは家臣たちの不満と、そして不安が高じる。


「殿、家臣らにご下知を」

「いまだ時期尚早」


 香宗我部親泰は沈黙を守る新当主に方針を問う。だが信親は一族重鎮の言葉を短く退けた。自分の背後の家中に不満の気が漂う。だが親泰は「畏って候」と頭を下げる。


 二日が経った。


「毛利輝元播磨着陣。土岐宰相様の軍は八万をこえる御人数とのこと」

「因幡において細川軍が鳥取城に攻撃」

「河野水軍港山城を出港。大友水軍衆の若林殿より土佐の助勢をこうと」


 連日の軍議はいよいよ緊迫を増していた。山陰、九州で戦線が開かれ始めている。親泰も自らが焦りを覚えていることを自覚する。


 土岐一門としての扱いは責任と表裏だ。ふさわしい働きを示さねば逆に責めを受ける。細川忠興は信親と同じく光秀の娘婿だ。


 毛利を破れば土岐はかつての織田家を越え誰も逆らえぬ存在となる。もし早々に播磨で決戦となり光秀自ら毛利を敗北させたとなれば、その後にいくら動いても長宗我部家の未来は暗いものになる。


 土岐の大軍勢により毛利の主力は播磨に引き寄せられた。九州の戦線は既に開かれて十日。大友家からは同盟の手合いを果たすように矢の催促。親泰の判断でも今がまさに動くべき頃合いだ。


「殿。すでに兵糧弾薬整ってございます」

「今少し待ちたい。元より四国の采配は一任されておる」


 信親は首を振った。場が騒めく。


 若武者は「毛利の横腹を突くべきときに口惜し」といきり立ち、老臣は「殿は雪蹊様の御遺恨を如何お考えか」と涙ぐむ。親泰もあるいは当主の重責に臆したかと失望を感じた。


 やはり強く諫言すべきか、親泰がそう考えた時だった。


 軍議の場に似合わぬ狩衣の男が足音もなく入ってきた。谷忠澄はすいすいと足を運んで信親に近づき、耳打ちをした。「呉の軍船ことごとく長門へ」という言葉が最前列の親泰に届いた。


 次の瞬間、信親が立ち上がった。


「時は来た。毛利の傀儡河野を通貫し、安芸までも我ら長宗我部の刃を届けるべし」


 言葉と同時にどんっという音が床に響いた。信親が長刀で床を打ったのだ。一瞬の沈黙、新当主の力強い下知が家中に浸透していく。


 あるものは面目、あるものは領地、あるものは仇、各人の思いが一つの方向を向く。ため込まれた不満が一気に戦意に転嫁した。先ほどまで頼りなく見えていた若武者が、今は家臣のばらばらの気持ちを束ねている。


 なるほど亡き兄が家を託したはこの器量か、ならば我はその危うさを支え切るべし。




同日。長門国六連島沖。


 夕刻。関門海峡の入り口である彦島から少し北、長門国西側にある小さな島六連島。その沖合に安宅船とその周りを取り囲む小さな小早船が浮かんでいた。


 安宅船から小舟に向かって次々と荷が下ろされていく。最後の荷の後で縄梯子を伝って村田余吉が自分の小早船にもどった。先端に朱を塗った小早船は大組頭の船の印だ。


「それで次はどこなんじゃ、大頭」

「西からかなりの兵が進んできておることを別隊が見つけたで、門司に付く前に一撃加えたいとのこと。ちょうどこの島から真南の小倉という地じゃ」

「まだ戦場ではないと油断しておる所を一突きというわけよな。これはまた勝ったわ」

「油断してはならんぞ。此度の敵は油断ならぬとのことじゃ」


 余吉たち海兵隊は大組ごとに漁村を移動していた。関船が付けるような港でなく、船を浜に上げて休むだけの漁村ならいくらでもある。


 弾丸玉薬は夜間海上で安宅船や村上水軍の関船から補給される。そこで各隊の報告が突き合わされ、次の目標が決められるのだ。


 大友水軍が安宅船や関船といった目立つ大船の動きに気が付いたときには、浦々に隠れた余吉たちは指示された襲撃に向かうという戦術だ。


 本来、決められた港に刻限を合わせて到着することすら容易ではないのに、このような複雑な作戦行動を出来るのは日ごろの訓練のたまものである。まさに海兵隊の速さと、攻め手の優位を組み合わせた戦術だ。


 海兵隊の補給のために改装された安宅船や、焙烙玉などを扱うため火薬の保管になれた村上海賊の関船の特徴もあってのことだ。


 結果としてどこから来るかわからない神出鬼没の海兵隊に大友方は翻弄されている。夜間に大量の鉄砲を用いられては兵数すらわからない。三百人程度の小さな国衆の陣にとっては六十丁の鉄砲に撃たれれば、数百の兵に攻められていると思う。


 だが次はこれまでにない大掛かりな攻撃だ。筑前から東進してくるのは五千を超える大部隊だ。海兵隊五百の内、五大組の三百人が二手に分かれて夜営を襲う。むろん今まで通り一撃加えたらすぐに引き上げる。あくまで狙いは敵の士気だ。


 気がかりだったのは敵の旗印を聞いた時の就英の表情だ。「筑前守護代が動いたとなれば、早急に御屋形様にお知らせせねば」とただならぬ様子で早船を指示していた。


 西の筑前から五千以上、そして東の中津の総大将も動き出したという。となれば敵の数はあの課題よりずっと多くなるのではないか……。

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