第十一話 神出鬼没

天正十二年五月。豊前国門司城。


「またそろりと増えているか」


 昨夜までなかった位置に篝火を認めて清水宗治は言った。山の上の城からは敵陣がよく見える。


「兵二百。将は長野とのこと。豊前国衆城井鎮房の縁類でござるな」


 答えたのはこの門司城代を務める仁保隆慰だ。大内が豊前、筑前を納めていた時代から九州で戦い、毛利に下ってからも三度にわたる大友との門司城争奪戦を知る老将だ。


「これで都合七千。当方の三倍となった」

「なんの。二十年前は三万がここを囲みましたぞ」


 中国と九州を分ける細長い海、関門海峡。九州側から海に突き出た瘤のような山に門司城はある。源平合戦の壇ノ浦を望み海峡の一番狭い場所を扼するとともに、海峡を通過する船を一望できる。中国の毛利にとって関門海峡を制することが出来るこの城はまさに戦略上の重点となる。


 無論ひっくり返せば九州北部の五ヶ国太守を称する大友家にとっては喉に刺さった棘のような存在である。だからこそ幾度も争奪戦が繰り広げられてきたのだ。


 城を囲む大友軍七千の大将は田原紹忍。本陣を門司城の向かいの山に立つ東明寺城に置き、左右に豊前国衆の陣を広げて城を半包囲している。最初は五千ほどだった兵力は十日経った今は七千を超え、二千三百余の門司城兵の三倍に達した。


 門司城から放った草の知らせでは、中津城には総大将大友義統が率いる五千の兵がいる。それらが加われば一万二千を超える。一方の毛利は総大将輝元が正反対の播磨へ向かっている状況。


 それでも両将が落ち着いているのは、三方を海に囲まれたこの城は、一万程度の兵力で攻めきれるものではないことが分かっているからだ。実際、初日の攻撃を狭間筒で撃退した後は、大友軍はひたすら城を囲んでいる。案の定兵糧攻めの構えである。


 敵中に孤立することを想定された門司城には多くの兵糧弾薬が蓄えられており、長門との海上補給路が生きている限り補充の心配もない。海上には大友の関船が遊弋しているがその数は多くない。毛利方の港を監視しているだけだ。


 大友水軍は伊予の河野水軍を警戒してか、大友義統と共に中津にとどまっている。


「何をやりたいのか」

「かつてこの城が落ちた時は防長にて大内方の残党が暴れ申した」

「此度はそのような懸念はない」


 往時は毛利が防長を支配して間もなくで大内家の威光が生きていた。そこに大友に養われていた大内輝弘が乗り込んだことで、反毛利の大火となったのだ。だが今や毛利の支配はゆるぎない。後方の心配と言えば、長門櫛崎に入った内藤元盛の動きが鈍いことだ。まだ十七歳の素行の評判が悪い武将だが、その立場血縁から毛利を裏切ることはまずないと言える。


 となるとやはり大友の動きは管領代への義理立て。そう考えるのが妥当だ。


 それでも宗治は疑念を捨てきれない。手伝い戦のつもりならなぜ兵力が増えていくのか。大友水軍が海峡を封鎖しない限り陸の人数が一万を超えても意味はない。むしろ増やせば増やすだけ大友方の兵糧が苦しくなる。


「問題は士気かと。やはり敵の篝火が増えることは兵どもに不安を呼びまする」

「なるほど。敵の総大将が来る前に一当てするが定石なれど」


 三方を海に囲まれているのは守りとしてはいいが、城からの攻め口も限られるということだ。兵数的に優勢な敵と正面からぶつかるわけにはいかない。毛利主力が遠く播磨にいる状況で、冒険は出来ない。


「やはり後詰と呼吸を合わせるが肝要か。呉からはそろそろ立つとのこと」

「海兵隊ですか。四国での働きは聞こえておりまするが、兵五百ではちと心もとなきこと」





 夜間、大友軍の右翼城井鎮房の陣の一角で突如火の手が上がった。同時におびただしい銃声と兵の悲鳴が響いた。


「殿。毛利の夜襲でございまする。五郎佐様の陣が裏から襲われました」

「海手からということは長門からの渡海か。海の見張りは何をしておった」


 城井鎮房は鎧を付けながら怒鳴るように言った。銃声から見積もって鉄砲百丁は下らない。すなわち兵数は少なくとも五百以上。それだけの兵が夜の海を渡るのを見逃すなど船手衆の怠慢だ。


 鎮房は鎧を付けるや馬廻と共に駆け出す。だが、彼が海辺に到着したときには陣幕の火の向こうに引き上げていくわずかな敵船を見ただけだった。


 その翌日早朝。後方から遠雷のような銃声が聞こえてきた。


「父上。野仲殿の陣に毛利勢。後詰を願うとのこと」


 嫡子朝房が駆けこんできた。敵二隊から挟み撃ちに合っているという。鉄砲の数から兵千はいると使い番の悲鳴のような声が聞こえる。


「千だと。こちらと同数だぞ。いつの間に後方に回られた」


 連夜のような夜討ち朝駆けが大友軍を襲った。ある夜は東、ある朝は西。そして次の夜は東西の両端が同時に襲われる。




「ここまで勝手にされるとは、海の見張りは何をしていたのか。水軍衆の管轄は大将の責務でござろう」


 数日後、東明寺城で大友方諸将の軍議が行われていた。場には険悪な空気が漂っている。憔悴した豊前国衆を代表して城井鎮房が口を開く。


 床に拳を打ち付けてそう言った鎮房に同調するように頷いたのが野中、長野と言った面々だ。三家は豊前に広く割拠する宇都宮一族として連携している。


 彼ら豊前衆は豊後から来た田原紹忍を信用していない。紹忍は大友庶家である田原の一族で、先代大友宗麟に重用され豊前でも活躍した戦歴を持つが、同時に耳川の合戦の敗戦責任者でもある。


 ちなみに大友水軍の多くを占めるのが豊後国の国東くにさき半島の海賊衆だが、その国東半島では耳川の敗戦後に田原本家が大きな内乱を起こした。宗麟の寵愛を頼んで本家を蔑ろにした分家紹忍への反発が原因だ。


 鎮房らにしてみれば大友水軍の動きが鈍いのも大将である紹忍の責任と言いたくなる。


「先ほど申した通り櫛崎の港に動きはないことは確認しておる。彦島でもない。周囲に見えるのは小さな漁船ばかりじゃ」

「では門司城からと申されるか。我らの目は節穴ではござらんぞ」

「そのようなことは言っておらん。しかし目付の報告では毛利勢の足跡は二百そこらと言うではないか。小勢に不覚を取られたのでは」

「何を言う。あのおびただしい銃声は寝ぼけていても届いたであろう」


 鎮房は食い下がる。彼も実は敵が少数であることは察し始めている。鉄砲を撃ちかけるや混乱した味方の陣に切り込むでもなく松明を放り込んで速やかに引いていく。


 一度水際に追い詰めた時は、数人ごとに鉄砲を交替に撃ち放ちながら速やかに船に乗って引いていった。鉄砲の射程と命中精度で全く手を出せなかった。何より海を背にして統制を保つ様は、あまりにも異様だった。


「とにかく我らは陣を下げさせていただきたい。もはや海の近くはどこも死地同然」

「待たれよ。それでは門司城が封鎖できぬ。探題様の着陣まで包囲を緩めぬようにと下知じゃ」

「最初から出来ておらんではござらんか」

「左様。我らの兵を捨て殺しにするとおおせか」


 一回一回の被害はそこまで大きくないが、彼らの兵はいつどこから襲われるのかわからずに戦々恐々としている。鎮房らにとって兵の不満が高じれば戦いどころか領地の維持すらできなくなるのだ。


「そもそも御大将はいつ中津を出られるのか。海賊衆はいつ海を押さえてくれる」

「……水軍は石火矢を備えた船が用意出来次第とのこと。また探題様は肥前龍造寺の動きを待っておられる。今少しじゃ」


 今朝届いたばかりの中津からの書状を元に紹忍は何とか国衆たちを押さえようとする。だが鎮房たちは治まらない。


「あのようなキリシタン者などあてになるのか。田原殿も御大将の南蛮かぶれに憤懣あるはず」

「それに関しては上方の土岐宰相様のご意向もある。堪えるしかないではないか」


 現当主に重用される黒装束の新参者へいら立ちを感じながら紹忍は弁明する。


 出陣前に見せられたあの起請文、あれが本当なら九州の戦局は一変する。悲願の豊前統一、さらに防長にも手が届く。三年前の耳川の恥を雪がんとする紹忍にとって是が非でも果たさねばならない役目だ。


 宗麟の健在なうちに汚名をそそがねば、その寵臣である紹忍の浮かぶ瀬はない。

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