第九話 惣無事令

天正十二年四月。安芸国広島城。


 四月半ばも過ぎ、安芸では田植えが終わろうとしていた。吉田郡山城は城の真下まで田んぼがあった、広島城にいると季節感覚が狂うのだと実感した。この時代の農業が国力GDPに占める割合を考えれば、感覚が乖離しないように注意した方がいいかもしれない。


 今度試作させているサツマイモじゃなかった甘藷の畑でも視察するか。


 私は鎮守丸で児玉就英から海兵隊三期生の訓練完了の知らせを受けていた。これで海兵隊は合計千人近い人員になった。


 二期生を広島城番に移行しても、一期生と三期生で七百人を超える海兵をいつでも動かせる体制が出来たことになる。鉄砲の確保は頭が痛い問題だ。備前長船に派遣している鉄砲頭鈴木重朝からは、鉄砲の生産が軌道に乗ったという報告が届いている。


 長船は日本刀の産地で近くには鉛鉱山もある。宇喜多時代から小規模な鉄砲づくりが始まっていた。直家が三村家親を暗殺した鉄砲も長船産だったのかもしれない。生産量は堺や紀伊に遠く及ばないが鉄砲の自給は安全保障上の重要なステップだ。特に従来の産地が売り惜しみ、というかあからさまに絞ってきているとなれば。


 後は造船だが、日本統一の道筋が見えるまで外洋航海には手を付けないつもりだ。この時代、西洋諸国のアジア進出は既に始まっているが、その規模はイメージほどは大きくない。南蛮船は和船よりも極めて高い航行能力を持つが、それでも風の力で進む木造船だ。その輸送能力は高くない。


 人口密度が全く違うアジア、それもその一番端にある日本に直接兵士を送り込むような兵站能力はない。日本は和船で朝鮮半島に十数万の軍隊を送り込み数年間の戦いを維持したが、同じことをスペインやイギリスがやろうとしたら間違いなく国家が破綻する。


 だからこそ内側に入り込むキリスト教が怖いわけだが。この時代のイエズス会東アジア代表は本物の傑物と言っていい人間だからな。


 山陰方面軍司令官の吉川元春から羽柴秀長の因幡侵攻という知らせが届いたのはその日の夜だった。兵数三千で多数の鉄砲を備えているという。羽柴軍は鳥取城の隣にある市場城を落とし、勢いのまま鳥取城に寄せてきた。


 鳥取城主吉川広家は城を固く守り、伯耆からの兄元長の後詰を得て羽柴軍を撃退した。羽柴勢は市場城に居座っているという。


 山陰における土岐との国境は因幡と但馬の境。現代なら鳥取兵庫の県境だ。これは毛利と土岐が決めた境界であり、但馬の羽柴は当然同意していない。


 つまり羽柴が勝手に因幡に攻め込んできたぶんには土岐が協定違反したとは言えない。もちろん単独の動きのはずがない。竹田一城に閉じ込められていた羽柴の因幡進行は、土岐の援助がなければ不可能である。つまり羽柴は土岐に服従したということ。


 問題はこの軍事行動における光秀の意図だ。山陽方面の隆景からは、光秀は近江坂本城で武田、京極といった畿内近国の旧名門を集めた茶会を開いているという情報が入っている。


 土岐家からも毛利との手切れとは届いていない。幕府と朝廷の権威を背景にする光秀は大義名分を上げて堂々と攻めてくるはずだ。


 境目国衆、そう言われるとは羽柴家も落ちたものだが、の軍事行動に常に全力で反応しては光秀が動く前に疲弊してしまう。あるいはそれを狙った挑発である可能性がある。光秀が羽柴に忠誠の証に因幡をつつけと要求するのはあり得る。


 翌日長門の清水宗治から知らせが来た。豊前中津を出た大友軍五千が門司城に向かっているというものだ。おおむね予想通りの数だ、門司城を落とせる数ではないが同盟相手に義理立てするには十分。


 東西同時に毛利の城が攻められる後ろで糸を引いている光秀の本気度が伝わってくる。そのさらに翌日、播磨から土岐本体の動きが届いた。天王山城に兵糧等搬入。これで確報と言っていい。


 天王山は山城国と摂津の境目で、この山の占拠が山崎の合戦の勝敗を決した。羽柴秀吉がその後大坂築城まで居城を置いたことからも重要性が分かる。西から京を狙う軍勢を見下ろす位置にあり、その近くには一大商業地である大山崎がある。


 毛利と土岐の戦争が始まれば天王山城が総司令部になる可能性は高い。


 光秀が天王山を押さえるとはなんという皮肉だ。歴史の轍は踏まないという光秀の意志に見えてしまうのは、本来の歴史を知っている私の被害妄想だけど。


 とにかく因幡、豊前、そして山城のこの動きで、光秀が毛利との戦争を決意したのは間違いない。さて、どんな大義名分で来るか。






 四月末日、広島城の中奥の大書院に私は入った。ここは現代日本で言えば閣議室、毛利国家の最高意思決定が行われる場だ。


 本家筆頭家老福原貞俊、一門吉川家当主で山陰方面軍司令官の吉川元春、そして山陽方面軍の司令官の小早川隆景の三宿老がそろっている。末席には戦奉行児玉就英も参加している。


 私を含めたこの五人が毛利の大本営のメンバーということになる。


「羽柴の背後では丹後守護の細川、丹波守護の明智光忠がすでに動員体制に入っている」

「管領代は未だ京にとどまっているが、天王山城に宿老筆頭の藤田行政を入れた。播磨三木城の三沢茂朝の下に摂津の高山、中川といった国衆が参集している」


 まず元春、隆景から山陰、山陽の様子が説明される。土岐方の配置はおおむね予想どおりだ。五宿老の内、西方の要である明智光忠をあえて山陰に置き、中央で光秀の補佐をする藤田行政が天王山城ということは、光秀自身が天王山城に入るとみていい。


 斎藤利三、明智秀満はどうやら尾張と近江にいるようだ。土岐軍の最強武将の利三を尾張に置いているということは徳川の牽制が効いていると見ていい。近江に勇将として知られる明智秀満を置いているのは、戦略予備軍といった配置だろう。


 予想通り山陽を主軸に攻めてくるつもりだ。


「門司城に入った清水殿よりの知らせでは、大友の陣容は豊前の国衆が中心で……」


 就英が周囲に少し遠慮したような声で九州情勢の説明を始める。清水宗治は自ら門司城に入り籠城戦の陣頭指揮をしている。それに対して大友勢は遠巻きに城を取り囲んでいる。近場の豊前勢がほとんどで、大友水軍にも大きな動きはないようだ。


 大友義統は豊前に入っているが中津城にとどまっている。中津城は本国豊後から国境をまたいだすぐ。形だけの豊前入りという感じだ。少なくとも今のところ門司攻略や関門海峡の封鎖が出来る戦力ではない。


 先代宗麟が臼杵城で日向への備えに回っているところを見ても、島津を警戒している。


「宍戸殿を通じて河野家からの知らせですが。長宗我部信親は土佐岡豊から動く気配なしとのことです」


 貞俊が補足する。法華津を通じて就英の元に土居清良から同様の知らせが来ている。本来なら土岐勢の先鋒となってもおかしくない信親の動きが鈍い。家督継承直後で家中の掌握が上手くいっていないのか。


 包囲網の中で一番弱い環である長宗我部がごたごたしているのなら、僥倖だ。


「幕府管領代の名でかような書状が届いております」


 状況を再確認した後、私は京から届いた光秀の書状を皆の前に広げた。


一つ、毛利は大友、羽柴と直ちに矢止めをする事。

一つ、国分については双方の言い分を聞いたのち幕府管領代が裁定に委ねること。

一つ、矢止めに従わない場合は幕府への反逆と見なし討伐となる。


 いわゆる惣無事令の形式だ。大名同士の戦を私戦として違法化、その代わり中央権力ばくふが大名間の紛争を裁定するという法理だ。


 勝手な争いはやめて話し合いで解決しましょう、という一見いいことに見える。というか国家権力というものは警察にしろ裁判にしろそういう為にある。国防も究極の無秩序状態である戦争から自国を守るためだ。


 権力の第一の役割は秩序の維持であり、人権はその秩序の上で初めて実現できる。


 もちろん秩序さえ守られれば人権が付いてくるわけではないことは軍事独裁国家を見れば明らかだが、それでも内戦のような秩序崩壊しているよりはましと言わざるを得ない。ソクラテスは「悪法は無法に勝る」と二千年以上前に喝破した。


 人間は群れを作る動物なので秩序の崩壊に対する恐怖も、平等への願望も持っている。どちらも本能として本物だし、どちらも必要だが感情なので別に美しいものではない。


 問題になってくるのがその秩序を誰、あるいはどの組織がどうやって維持するかだ。


 室町幕府も中央権力として秩序を維持する意志や仕組みは持っていた。ただそれを担保する武力の裏付けがなかったので、極めて限定的な効果しか持たなかった。そしてそれすら失い戦国の世になった。


 織田政権はその実行力を担保しようとしていた矢先に崩壊した。豊臣秀吉の惣無事令は織田から引き継いだ圧倒的武力と天皇の代理人である関白の権威によってそれを成そうとした発展版だ。


 そして惣無事令自体ではなく、その大義名分で振るわれた強力な軍事力により九州島津、関東北条などを討伐することで中央権力が確立して、秩序が成立したという順番だ。


 なぜ島津や北条が惣無事令に従わなかったかと言えば、この時代の戦国大名にとっては主権の剥奪に等しい大事だからだ。要するにこれは平和の名を借りた服従命令、拒めば戦争だということ。


「国境を犯したのは羽柴である。それを毛利に対して矢止めを命じるは無道の政、従う道理なし」


 吉川元春が言った。しばらく会っていない内に老けたように見えるが、こういう時の声は力強い。


「仮に毛利が矢止めしても、土岐一類である大友と羽柴に有利な裁定が下るであろう。門司城を座して大友に渡すことになるは必定」


 小早川隆景が冷たい声で断定した。この叔父はいつも正しい。


「仮に此度の幕命に服しても、次はより厳しき命を受けよと迫られることになりましょう。家臣国衆に対して毛利家の面目が立ちませぬな」


 福原貞俊は苦りきった表情で言った。


「仮に豊前門司、淡路岩屋を奪われれば鎮守府は両端を縛られた袋の如きものとなりましょう」


 就英の発言は海兵隊指揮官としてのものだが、同時に瀬戸内海の制海権は毛利国家の戦略に直結している。


「土岐光秀との和睦は破れたと言わざるを得ません。毛利は土岐と手切れとします」


 私の言葉に貞俊、元春、隆景、就英が頷いた。これで開戦決定だ。


 備中高松城以来の毛利より大きな国家との戦争がはじまる。












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2024年5月16日:

第三章一幕が終わりました。二幕の準備のため土曜日は一回お休みさせていただきます。次の更新は来週火曜日の予定になります。よろしくお願いします。

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