第八話 外交Ⅱ
「鎮守府将軍様に直謁が叶うとは光栄でごわす」
薩摩訛りでそう言った四十男は一見無害な雰囲気だった。烏帽子直垂の正装に『丸に十文字』の島津家門を背負い、私に向ける表情は温厚篤実。
だが折り目正しい服装と温厚な面構えに反して、直垂から覗く腕には戦傷をいくつも刻んでいる。さもありなん。島津軍の総司令官として九州を席捲、明朝鮮にまで武名をとどろかすことになる男だ。
島津四兄弟の次男義弘、それが薩摩からきた使者の名だ。
「鎮西に勇名隠れなき兵庫頭殿にお訪ね頂くは毛利の面目です。ぜひとも戦のことなど聞きたいものです」
「十四ヶ国をお持ちになられる鎮将様に御聞かせするようなものはございもはん」
「いやいや例えば木崎原の戦いなどいかがか」
「あのような小戦のことまでご存じとは」
「何を言われる。御家が三州太守に復した嚆矢と心得ます」
木崎原の合戦は十二年前に起こった。島津義弘が三百の兵で三千の伊東軍を撃退した戦いだ。島津軍の八割以上が戦死していたという激戦。それで勝っているのが理解できない。
寡兵で大軍を撃退だけならあるとして、野戦で兵力差十倍をひっくり返すなんてほぼ皆無、何より八割以上が戦死するまで戦闘を続けるというのは想像を絶する。
数十人に減った島津軍に二千人以上残っていた伊東軍が追い立てられ逃げていく光景がどうしても思い浮かばない。
しかもまぐれではないのだ。島津義弘は本来の歴史では慶長の役の泗川の戦いで五倍の明朝鮮軍を撃破した。その後の露梁海戦で朝鮮水軍の李舜臣を戦死させている。豊臣秀吉の死という大ピンチの中で、日本軍が無事撤退できたのはこの男の功績と言っても過言ではない。敗戦となった文禄慶長の役で唯一加増を受けた大名が島津家だ。
そしてあまりに有名なのが関ヶ原での島津の退口。敗戦後に敵正面を突破して撤退するという軍事行動? を成功させている。しかもその後一目散に薩摩に逃げ帰らず大坂城で人質になっていた自身と息子の妻を救出して帰還している。
私? 所領安堵の餌につられて何もせずに大坂城を明け渡した挙句、だまし討ち的に四分の一に減封されましたけど。
「つまり九州は島津、大友、龍造寺の鼎立とみるべきであるということですね」
「左様にごわす。当家は肥前島原をめぐり龍造寺と、肥後の阿蘇をめぐって大友と対立しておりもす。その龍造寺と大友も筑前国衆をめぐり争いの最中」
文字通りの三つ巴。俗に言う九州三国志だ。
本来の歴史なら九州探題として最大勢力を誇った大友が耳川の戦いで大打撃を受けて衰退したことで島津と龍造寺が拡大する。その島津龍造寺の衝突により沖田畷の戦いが起きて龍造寺が敗北、九州は島津一強になる。豊臣政権が介入しなければ島津は九州を統一したはずだ。
だがこちらでは大友が盛り返したことで三国の鼎立がまだ維持されている。
「ご舎弟のことご無念です」
「歳久は我ら兄弟の要でありもした。兄義久も儂も弟あればと思うこと既にしきりでごわす」
義弘は阿蘇氏の裏切りに端を発した
島津の北上を恐れた阿蘇氏が背後の大友を頼る。だが阿蘇大神宮宮司から出た阿蘇氏とキリスト教に傾倒する大友氏では、呼吸が合わない。その間隙をついて阿蘇氏の支族を裏切らせた島津三男歳久が攻め込んだが、大友義統自ら率いた援軍に背後を突かれて打ち取られたというのだ。
同床異夢だった大友と阿蘇がどうして見事な連携が出来たのか、耳川の戦いで多くの重臣を失い、ガタガタになった大友家をどうやって義統がまとめて迅速な動員を成したのか。
「最近義統に取りたてられたという男ですが。土岐家から遣わされたということでしょうか」
「それが分かりもはん。大友は鎮西探題家格を誇りもす。よそ者をおいそれと重用せぬはずでごわすが」
義弘も首をひねっている。情報収集は必要だな。私は伊予法華津を通じて毛利、河野、島津間の連絡を強化することを提案した。義弘は一も二もなく受け入れた。島津にとって伊予河野家による側面からの大友牽制は願ってもない話だ。
「我ら両家にとって大友は不倶戴天の敵。心を合わせて対処いたしたいものです」
「異存はございもはん。さすれば国分のことご存念を承りたく」
「大友の分国は豊後、豊前、筑前、筑後そして肥後の北半分の四ヶ国半」
大友の本国豊後は現在の大分県、豊前筑前筑後は福岡県、そして肥後の北半分は熊本県北部に当たる。実際には筑前と筑後は龍造寺と大友の係争地だがあくまで大まかな割り振りだ。互いの担当地域の割り振りと言った方が正確だろう。
決めておかないと、現地で毛利方の国衆と島津方の国衆が同士討ちして、それが次の毛利、島津の戦争の芽になったりする。
「毛利は大内旧領、すなわち豊前筑前の二国が望み。北肥後、筑後、豊後でいかがか」
「当主義久の名代として異存はありもはん」
四ヶ国半を毛利二ヶ国、島津二ヶ国半に上下で分けるという国分だ。数の上では半国分島津が多いし、肥後半国を現在管轄している義弘にとっても不満はないはずだ。
毛利としては大陸との貿易港である博多を得ることが出来れば大きい。
肥前を対象外にしているのは島津との軍事同盟はあくまで対大友であること。そして表には出せないが、大村や有馬などキリシタン大名がひしめく肥前は扱いが難しく保留にしておいた方がいいからだ。
場合によっては肥前も島津に取ってもらっていい。島津家は戦の方針を籤引き、つまり神慮に委ねる古い体制だ。実際には当主義久が籤引きを利用して政治を行っているわけだが。
キリシタン大名となった大友、有馬、大村などでも宗教をめぐって大きな軋轢があった。島津は実際にキリシタンに染まっていない。まあこれに関しては、南蛮貿易の代わりに琉球貿易の利権を握っていたからというのもあるが。
起請文の内容は決まった。国分は絵に描いた餅に近いが、とにかく毛利と島津で大友を挟み撃ちにすることが確認できれば目的達成と言っていい。
本来の歴史より大友の勢力が残っているとはいえ、毛利も河野通じて伊予をしっかりキープしている。
「ちなみにですが京よりは何か言ってきましたか」
「公方様より道澄様が遣わされ大友との和議を斡旋されもした」
「道澄様と言うと聖護院の御門跡で近衛家の。どれほど強く推されましたか」
「さほど強くは。むしろ代替わりの挨拶という意味合いが強いと、主義久は見ておりもす」
「なるほど御当家と近衛家は古くからの縁でつながっていますからね」
聖護院門跡は全国の修験道の大本山で、先代道増は九州から東北まで将軍の使者として駆け回った。道増、道澄ともに近衛家出身で足利義昭の母も近衛家の娘。そして島津家と近衛家の縁は深い。島津家の始まりは鎌倉初期に惟宗忠久が島津荘の地頭となったことで、この島津荘の荘園領主が近衛家だったのだ。
九州最南端にある島津家は近衛家との縁を用いて中央とのつながりを維持している。
つまり近衛家は
「琉球の砂糖を頂いたお礼が遅れましたね。返礼を用意しております。元至、お持ちしてください」
私が部屋の外に合図すると「かしこまりマシタ」と張元至が入ってきた。膳の上に紫色の皮に包まれた芋が湯気を立てている。
「南蛮より明に伝わったという甘藷です。御存じですか」
「いえ、このような食べ物は初めてでごわす」
「甘さは砂糖にかないませんが、なかなかの美味なのです」
私はそういうと先に金色の中身を口に運んだ。ちなみに炭で石を焼いてその中で芋を焼くという手間をかけて甘さを引き出している。味付けは瀬戸内の塩だけだ。
「菓子のごとく甘い芋とは、良い土産話が出来もした」
義弘は微妙な表情だ。現代の改良種ほど甘くはないし、大名が出す進物としてはまったく見栄えがしない。明から取り寄せたというブランドがなければ、粗末なものを出されて島津の面目を潰されたと怒ってもおかしくない。
だけどこれは将来島津家にとって重要極まりない作物だ。
「元至の話によると明でも暖かい地、それも米や麦が取れぬ土地で良く育つとのこと。しかも植えてから収穫まで四月もかからぬと言うのです」
「…………なんと」
まるで世間話のようにそう言った私に、義弘の目の色が変わった。義弘は改めて甘藷、本来の歴史では将来薩摩芋と呼ばれるそれを口に運び、そして確かめるように味わい始めた。
私は義弘を本丸の門まで見送った。元至に準備させていた大陸での栽培法の書付と種芋を手に義弘は戻っていった。
薩摩大隅は桜島の火山灰でやせた土壌で米がとれにくい。だからこそ甘藷は薩摩に根付いた。本来の歴史なら明から琉球を経て島津に伝わるのは江戸初期だが、ショートカットさせてもらう。
キリシタンに対抗するための島津家の長期的な梃入れだ。それに義弘は戦歴から分かるように下々から慕われた将。煮ても焼いても食えない政治家義久と違って義理人情を重んじるいい意味での中世人だ。恩を売っておくのにこれ以上の相手はない。
これで島津との軍事同盟も形が出来た。
大友を島津で抑えることが出来れば毛利は土岐との対決に専念できる。そして毛利と徳川で土岐を挟み撃ちにする。これが毛利国家の外交戦略、文字通りの遠交近攻だ。
無論徳川は自家の存続が第一の独立大名。同盟が機能するためには毛利に味方すれば土岐を破る見込みがあることを示さねばならない。
内線作戦+機動軍で土岐相手に毛利が戦えることを示す。徳川が首尾よく参戦したら四国長宗我部を叩き土岐と大友を分断する。光秀が不利になれば義昭との関係は割れる。参議として朝廷に、管領代として室町将軍の権威にという中途半端な光秀の弱点が露呈する。
そうすれば京も見えてくる。この時代の経済の重心である西日本そして大陸と南蛮貿易を制する。これで将来の海洋国家としての基盤は整う。相手が家康であっても消化試合に持って行けるはずだ。
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