第七話 外交Ⅰ
天正十二年三月。広島城本丸。
毛利国家の中央政庁である中奥で、私は国家元首としての仕事をしていた。
各大名国家そして傘下国衆にもそれぞれ取次がいるので国内統治と対外関係の境目があいまいだ。日本という一国の中に自国、傘下国、敵対国、友好国があってそれらが全て人間関係で結ばれる。極端なところ、国内からの報告が信用できるかどうかも報告元と取次が婚姻関係にあるから、みたいなことで担保されている。
親戚相手にそうそう嘘は言わんだろ、で十数ヶ国の内政軍事外交が動いているのだ。全国の大名家が大して変わらない水準だから文句は言えないんだが。
毛利家も父が大内に人質にいって人脈を結び、さらに重臣内藤氏の娘を大内義隆の養女として娶って婚姻関係を結んだ。これは松平家が家康を今川義元に人質に出し、今川一門関口氏の娘を娶ったのと同じパターンだ。
家康は今川家でいじめられたとか言われていたが、実際には一門待遇で重用されている。父隆元もその人脈を生かして生前は周防長門に影響力を発揮した。
遠く奥州でも伊達家の先々々代、つまり政宗の曽祖父である伊達稙宗は周辺国全てを親戚にする勢いで娘や息子をばらまくことで奥州の覇権を握った。中国、東海、奥州で同じようなことが起こっているわけだ。
結局のところ人間社会は動物の群れだ。ただ血は水より濃いがバシャバシャの液体に過ぎないので機能するのは力の裏付けがあるうちだけだ。
毛利家は義隆を裏切って陶方についたし、義元死後に家康は織田について自立した。稙宗に至っては肝心の伊達本体の家臣が不満をため、その家臣が担いだ息子晴宗に反乱を起こされ敗れた。
伊達家のこの親子喧嘩を
でこの複雑怪奇なシステム、つまり取次のまとめ役は本家宿老の福原貞俊だ。貞俊は高齢だが人間関係に規定されるから簡単に交代できない。もちろん少しづつ何とかするつもりだが、光秀との戦争には到底間に合わない。
「播州姫路城の穂井田様から姫路城の普請滞りなくとの知らせ」
「因幡鳥取城の吉川広家様から、但馬の羽柴家未だ調略に応じずとのこと」
「讃岐の乃美殿は阿波に未だ動員の気配なしと、小早川殿を通じて知らせ」
「村上殿から淡路港城の拝領の御礼が届いております」
「清水殿は豊前門司城の検分を終え海沿いに新たな狭間を普請とのこと」
私は福原の下に集まった各方面軍からの報告をまず確認する。
山陽方面は土岐との戦争で最大の戦場になることが予想される。西播磨を纏める姫路城主穂井田元清が前線の司令官、その背後の備前岡山城の小早川隆景が総大将。実績も実力もある叔父二人を配している。
土岐方は宿老三沢茂朝が三木城に入り、別所残党など国衆を従えているようだ。三沢茂朝は本来の歴史では光秀の介錯をしたと伝わる。三木城は東播磨の中心で、織田家の攻撃に二年耐えた巨城。つまり姫路三木間で主戦線が形成される可能性が高い。
主戦線である山陽道の南北が第二戦線である四国と山陰だ。
まず瀬戸内海の制海権という意味でも重要なのが四国。土岐光秀の娘婿となった長宗我部信親はおそらく讃岐を突いてくる。讃岐を攻略すれば山陽方面軍の本拠である隆景の備前を横から窺うことになる。これを防ぐために讃岐には乃美宗勝を置いている。土居清良を先鋒に伊予河野家に土佐を窺わせることもできる。
淡路西岸にある港城は瀬戸内海を東西に広がる村上水軍の東端、村上武吉にとって重要な港になるので必死に守ることを期待する。
山陰のポイントは丹後と因幡の中間である但馬の羽柴家だ。竹田城で粘っている羽柴家の実質的な指導者は秀長で、彼にとって毛利は兄の仇だ。そして当主秀勝にとって土岐は父信長の仇だ。
羽柴がどちらにも付かず緩衝地帯となってくれればいいのだが、それは考え難い。どちらも嫌いなら強い方に付く。私が秀長なら秀勝を人身御供にして土岐に服従する。山陰方面軍司令官の吉川元春も同じ意見だ。ならなぜ交渉を続けるかと言えば羽柴が土岐に従属するのが遅ければ遅いほどいいからだ。
どうせ敵になるから、というわけにはいかないのが外交だ。大国同士の争いで、十分の一の国力しかない小国がひっくり返っただけで差し引き二割の差が付く。戦国時代はドミノ理論が容易に発生するので周囲への影響を考えるとそれ以上だ。
主戦線とその両脇だけでこれだけ複雑なことになっている。
守りに徹する九州方面はもう少し単純だ。とにかく門司城を守れればいい。安芸からの後詰も比較的容易だ。問題はその時私が率いる本軍は東に向かわなければならないことが予想されることだ。山陽道に光秀が大軍を率いて出てくれば、当然私も本軍を率いて向かうことになる。
そこで広島から瀬戸内海を通じて九州、四国、上方のいずれへも短期間で後詰できる海兵隊というわけだ。就英の報告では四月には最大千名になる。
国内と隣接部の状況を把握したところで、いよいよ大名国家間の外交だ。
「元俊。三河殿からの使者はなんといってきたのですか」
「はっ。使者の鷹匠が言うには……」
私は福原貞俊の後ろに控えていた元俊に聞いた。徳川家取次は宿老貞俊が直接務めるが貞俊は全体を見なければならないので、実務者は嫡子の元俊だ。
家康の居城浜松城までは遠く、土岐領内の使者の往来も極めて難しい。元俊は広島の塩物座の商人を大山崎に派遣して徳川が派遣した使者と会っている。家康から派遣された使者は将軍義昭への鷹の献上にかこつけた形で、本多という名の鷹匠だったという。
元俊は自分は毛利家家臣扱いの商人を遣わしたのに鷹匠如きと不満のようだ。だが私は内心いい知らせだと思っている。徳川家の鷹匠本多、つまり本多正信だ。三河一向一揆で家康に反旗を翻したことで一時出奔したため表向きの身分は低くとも、将来の家康の懐刀だ。
本来の歴史なら関ヶ原後に毛利が平身低頭する相手だ。まあそれは元俊の子の広俊の代の話だが。
使者の話で東国の状況が分かった。家康は歴史通りに甲信両国を獲得して上野国をめぐって上杉、北条と緊張状態にあるようだ。
「三河殿は北条との和睦の儀を進めておられるということですね」
「はっ。何より幕府からの東海探題を三河守様は未だ受けておらずとのことでございます。さらに使者が言うには……」
元俊は声を潜めた。
「三河様は母の家を復興させたいと常々周囲に語っておられるとのこと」
北条との和睦と光秀への臣従拒否。つまり家康は西に拡大したいと思っているということだ。家康にとって母の家というのは水野家のことだ。水野家は尾張と三河にまたがる領主で、信長の命で粛清された。
つまり家康は尾張を突く意思があるということだ。まあ本来の歴史の最終勝者である徳川家康は私の日本統一の最大の障害だ。そういう意味では尾張を取ってほしくはない。だが光秀に負けてしまえばその先などない。
私としては土岐と徳川で小牧長久手をやってくれれば万々歳。流石にそんな欲張りは言わないが、光秀の背後を脅かし、その兵力を少しでも多く拘束してもらわなければならない。
次は九州だ。
「元至。例の物は入手できましたか」
「博多にて明の商人から買い取りました。これにございマス」
鎮守府の外国掛奉行、張元至が私にある植物の根塊を差し出した。島津が使者によこすと言ってきた男の名前を考えればしっかりと馳走しなければならない。
この芋はその切り札だ。
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