閑話 奉公年季

 夕刻、鎮守丸の城番本部に警邏の報告をした儂は町へ戻るため侍町を歩く。本丸の周りを囲む大きなお屋敷は将軍様の親戚のご家老様たちのもの。高い塀を巡らせたお屋敷は小さな城にも見える。領地では城に住んでおる方々じゃからな。


 鎮守丸に近い隊将児玉様のお屋敷はそれよりは小さいが、儂の目から見れば御殿じゃ。菫の仕えておる児玉様のお屋敷は本丸表門の近くじゃったか。呉からの見送り以来会ってない。あの時はいきなり儂に組の者と一緒に広島まで船を出せとの命令じゃったからな。


 それはともかく町の警邏にも大分慣れてきた。見回りは町人からずいぶん頼りにされておるらしく、商人や女子に声を掛けられることも多い。じゃが良いことばかりではない。賄いを受け取って罰を受けた者もおるのじゃ。


 頭である儂がそんなことになったら組の者に示しがつかん。とにかく後二月、年季を終えるまで無事勤め上げることが大事。それが終わったら……。


 ああ、いやその前に先日の教授のことがあった。これは気が重いのう。


 あの時はしもうたことをした。ついつい考え込んでおって将軍様に名指しされた時は答えていないのは儂だけじゃった。おかげで皆と違うことを言ってしもうた。あれは恥をかいたのう。


 ええっと『攻め手の優位』じゃったか。丸串城の戦でも徳島城の戦でも、儂らは敵が攻めてくるとは思っておらん場所に、敵が警戒するよりも早く攻め掛かったから勝てたのじゃ。要するにこれまで儂らがやってきたこと。


 じゃが最後に渡された課題の紙、起こってもおらぬ戦などどうしろと言うのじゃ。


 報告のついでに大組頭の山縣様に課題のことを聞いたが「かように大きな戦のことは考えたことがない。実は我らも考えよと言われて困っておる。こは大将の考えることぞ」と首を振られたくらいじゃ。給金の内と言われてはやるしかないが大組頭どころか隊将就英様の真似事など無理難題ではないか。


 だいたいなぜ城攻めが題ではないのじゃ。敵に攻められておる城の後詰で『攻め手の優位』をどう使えばいいんじゃ。


 攻められている味方の城を助けると言うなら丸串城での戦に似ておるかのう。同じ理ならば門司城ではなく敵の大本……豊後府内じゃったか、ここを攻めればいいのじゃろうか……。


 いやそりゃ無理筋じゃろ。相手は西園寺とは比べ物にならぬ大大名じゃ。府内は大きな港で多くの軍船を持っておる。我らが丸串に向かった時ですら対岸を警戒してこそこそ進んだのじゃ。


 では阿波の徳島城か。あの時は敵の玉薬と川港を燃やしただけ。なぜそれが役目じゃったかといえば、大本である川上の白地の戦で毛利軍が長宗我部軍よりもずっと大勢じゃったからじゃ。この題は大友の方がずっと数が多い。


 そうなるとむしろ教授で聞いた『厳島の合戦』ではないか。敵は門司城を攻めておるわけじゃ。では儂らは背後に上陸して……。


 絵図を思い出す。関門というのは狭く長い海じゃ。隠れようがない。儂らが近づけば敵に気付かれてしまうのではないか。敵方は軍船も多い。門司城以外は敵地。どこに上陸すればいいのじゃ。いや地形を見ると門司城は海に突き出した山じゃが、その周囲は平たい。そう簡単に奇襲が出来るじゃろうか……。


 近くの味方の港と言えば長府と彦島、あとは門司城自身の船溜まり……。となるとこの壇ノ浦が難所じゃのう。


 うーむわからん。っともう城門じゃ。門の外には沈みかけの夕日に照らされた町屋が見える。侍の真似事はやめじゃ。考えても答えは出ぬ。今日は直で長屋に戻ればいいで途中で酒でも買って……。


 道の向こうに見知った若い娘の姿を見つけた。


「菫ではないか」

「余吉さん」


 儂は思わず話しかけた。その時後ろからぐっと肩をつかまれた。


「余り者がなんでお城の中におる。分際をわきまえよ」

「む、村乙名」


 儂の背後におったのは濁声の四十男。生まれた村の三人の乙名の一人、そして菫の父親じゃ。村にいた時は何度も殴られ、いつも顔色を窺っておった。敵兵に比べればと思うても、つい身体がすくむ。


「父さん。余吉さんは鎮守府の頭なのよ」

「何が頭じゃ。所詮は雇われであろう。雑兵の頭など破落戸と変わらぬ」

「雑兵じゃないわ。私この耳で聞いたの。「余吉に任せておけば間違いはないって」って毛利の御殿様がおっしゃられたのよ」

「わははははっ。夢でも見たのじゃろう。毛利の御屋形様は今や西国一の殿様じゃぞ。その殿様が余吉なんかのことを知っておる道理があるまい」


 村乙名は大笑いしてから、やっと肩を離した。


 儂にも海兵として守らねばならぬ面子がある。もし務め中なら咎めねばならぬところじゃ。まあ町屋ではなく侍町は儂らの管轄ではないゆえ事を荒立てぬとしよう。


「村乙名はなにゆえにお城に」

「お前なんぞに…………。児玉の殿様に賦役ことでお願いに来たのじゃ。菫の年季の話もあったでな」



「菫の年季?」

「いい年じゃで嫁に出すことを考えねばならん。この器量じゃから侍の手が付けばとでも思っておったが、此度のようにお叱りを受けるとなれば言っておれぬ」


 村乙名は吐き捨てんばかりにそう言った。そしてまた儂を睨む。


「余吉がいらぬことをしたせいでなあ。村に居っても邪魔じゃからと外に捨てても祟りよるわ」

「それは余吉さんのせいじゃなくて。私が姫様の……」

「お前は黙っておれ。丁度隣村の長から話があってな。ほれ隣の若衆の本吉じゃ」

「本吉。じゃがあの男は……」


 村境を犯してこちらの娘に夜這いを掛けるような者じゃ。一度菫にひっぱたかれて逃げ出したことがあった。あの男のせいで隣村の若衆と睨み合いの騒動になった。


 儂は菫を見た。つらそうな顔で目を伏せた。


「あのような愚な好色男と縁づくは村の為にも……」

「余り者が何が村の為か。本吉はいずれ村長むらおさじゃ。男はその立場に立てばおいおい形になるもの。其方なんぞには分からぬであろうがな」

「それで年季はいつまで」

「この春にでもと思うたが姫様がしばらくお忙しいのでまだ手元に置きたいといわれてな。来年じゃ。なんじゃ、お前などがそんなことを聞いてどうする」

「い、いや、どうするというわけでもないが……」


 父親が決めたらそれは決まりじゃ。それこそ御領主様でもそうそう口は出さぬ。儂が口ごもると、村乙名はにやりとして、近くの屋敷を見まわした。


「そうじゃ。もしお前が本当に侍、それもかような屋敷の主になるというのなら菫をやらんでもないぞ。毛利の御殿様にお声をかけていただいた出来物なら叶わぬこともなかろうて」


 村乙名はそう言って哄笑した。そして薫を引っ張るようにして去って行ってしまった。


 ここらは町屋に一番近い小さな屋敷ばかりじゃが、それでも百石とかの身上じゃ。確か大組頭の山縣様がそれくらいじゃったか……。




 町屋の城番用の長屋に帰った。儂は蝋燭を灯して課題の紙を広げた。


 味方の門司城の守備兵は三千。敵方の大友軍は一万二千。関門の海峡は大友の船が見張っておる。将軍様は毛利の御屋形様として播磨の土岐軍に備えねばならん。その状況の中、儂は一隊二百四十を率いて呉から出陣する。


 儂が隊将であったらならどう兵を動かす? とりあえず長門の毛利の本陣である櫛崎に入る。近くの長府港には少ないながら水軍もおる。儂らが基地とするにいい場所じゃ。この距離じゃったら一気呵成に櫓を漕げば門司城に駆け付けることはできる。


 それでは城に閉じ込められてそのまま……もちろん鉄砲で戦って見せるが……儂ら海兵隊の役割じゃろうか?


 将軍様の下知である門司城を救うことに本当になるのか……。儂らの足、櫓、鉄砲という得手をもって丸串や徳島のような戦をまことに出来るのか……。


 儂らは攻め手の優位を速さで活かす。向こうはがっちり陣を構えておるから守り手。しかし敵方の目は門司城に向けられておる。やはり厳島のごとく背後から奇襲をかけるか……。


 仮に豊前の海に突き出した半島を回り込むとしても、そちら側は大友に味方する水軍がおる。儂らが大友の水軍を打ち破ることはとても出来ぬ。海を使って敵の虚に上陸し、戦うのが儂らの得手。いっそのこと夜間に城に入ってしまうか。儂らの鉄砲の腕で城から撃ちおろせば敵が大軍とはいえ……。


 いや、だからそれは駄目じゃと考えたではないか。攻め手になれぬでは儂らの得手を儂らが殺すようなものじゃ……。


 まて、そうなばれそもそも櫛崎に入るのが本当に良いのか……。敵からしてみれば儂らが泊地とするに分かりきった場所じゃぞ。


「分からん!!」


 床に転がった。気が付いたらロウソクの火が消えておった。しもうた、一本いくらすると思おておるのか。のっそりと立ち上がり長屋の窓につっかえ棒を立てた。組頭は角部屋を宛がわれるおかげで月明りが入る。


 机を窓に寄せて今一度題を見る。


 やはり答えなど分からぬ。儂に大組頭など務まるものではないのじゃ。ましてや隊将の真似事など笑い話にもならん。あちらに屋敷を持つなど夢のまた夢じゃ。


 じゃがそれでは…………。


 明りに照らされた題と書付をもう一度見る。隊将の真似事が出来ぬなら、一兵の目で考える。


 儂が兵じゃった時はどう漕いで走ってそして鉄砲を撃った?

 儂が組頭としてどう組の者と走った?

 儂が大組頭じゃったらどうやって……。

 儂が隊将じゃったら……。


 …………


 攻め手の優位を活かし、誰よりも早く戦う。その為には儂らではなく、そうじゃ港が動けばよいのでは…………。

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