第六話 黒板上の軍議

 「元嘉でございます。御屋形様にご報告が」と男が講堂に入ってきた。元嘉といえば尼子旧臣の佐世元嘉か。主君輝元の信頼厚い側近だが「御屋形様の耳に心地よいことしか言わぬ奸臣」という世評も耳にも届いている。


 確かに声音に軽薄の色があるが、仕事ぶりは真面目に見える。とはいえ君側の奸などというものはそういう質だが。主家であった三村家でも主君元親に同調して毛利への謀反を煽り家を滅ぼした者たちがいた。


 「九州より……ご使者について……」という途切れ途切れの言葉が耳に届いた。輝元は元嘉と共に足早に講堂を出ていく。


 清水宗治は直立して去っていく主君に一礼した。九州からの使者ということは島津から。長門と門司の守りを預かる宗治にとって気になる話だ。だが戦奉行児玉就英が漆板の前で組頭の質問に答えているのを見ると緊急の事態ということでもなさそうだ。


 広島にいるうちに就英とは相談しなければいけないことが多くある。一手の大将を拝命している立場なら、組頭如きは押しのけるが当たり前のこと。だが宗治は異形の将と兵のやり取りをしばらく見守ることを選んだ。


 ここに集められたのは先の長宗我部との戦で選りすぐられたものと聞く、だが如何にそうだとしても……。




「戦奉行殿。四国表における無双の武功、是非に新参者にお聞かせください」


 組頭どもが就英から離れたのを確認して宗治は前に出た。見知らぬ白い文字の掛かれた板の前で辞を低くして願った。


 相手は戦奉行という宿老に準ずる身。今や十四ヶ国に及ぼうかという毛利国家の軍事における重臣だ。大友への備えを任された宗治としては一にも二にも懇意にせねばならない。それゆえに備中から書を出し交流を求めた。返書にあったのがこの士分教授への参加だった。


 移封のため時がいくらあっても足りない中、組頭のような軽輩相手の教授など時間の無駄。あるいは新参外様と侮られたか、とも思った。だが四国での海兵隊の軍功の目覚ましさへの興味もあり承諾したのだ。


 結果は驚愕すべきものだった。鎮守府将軍直卒とはいえ本家当主が自ら教授するだけでもあり得ぬことだが、それだけではない。


「察するに先ほどの御屋形様の講義についてでは」

「……確かに驚きました。身共みどもも初陣より二十年ですが今聞いたような兵法指南は存じ申さず。御本家においては常道でござろうか」

「無論さに非ず。実は海兵隊においても士分教授は此度が初めてのこと」

「初めてと。しかしこのような用意は……」


 宗治は黒板を見た。間を開けても見やすく布で容易に消せる。軍議においても間違いなく有用と見た。


「御屋形様がおっしゃるには南蛮において絵師が用いる白墨はくぼくというものとか。鎮守丸の奉行に唐の者が一人おり、外国の物を扱うに長ける。最近も御屋形様の命で唐から芋を手に入れておるよし」

「なるほど南蛮物となれば陰陽が逆さまなるもあるのでしょうな。しかし組頭如きがかように字を操るとは」


 宗治は玉木吉保にもらった紙を広げた。読みだけでなく書くことが出来なければ意味をなさない物だ。宗治は兄が早世する前に寺に入っていたことがあり、文字を操ることには自負があった。その宗治から見ても漢語交じりの文字を操る水準は高い。


「海兵の戦の調練の中に文字も入っているのでござる。文字を疎んじれば夕餉を与えぬ定め。ここだけの話草津の配下よりも達者。むろん仏典や四書五経ではなく孫子に出る漢語でござるが」

「つまり最初から斯様な教授を御考えであったと」


 孫子を読める兵など聞いたことがない。もし海兵隊の四国での功を知らなければ、なんと無駄なことと笑う自分が思い浮かんだ。


「教授の内容にも驚きました。さらに自ら己が下知を誤りとするは……」

「白地のことでござるな。毛利屋形は戦下手との風聞、聞かれたことがござろう」

「…………」

「御屋形様は戦下手でも勝つための方策をお考えになる。まこと頼もしき御大将でござる。四国での某の功は御屋形様の御深謀の現れにすぎぬ」


 聞けば聞くほど驚愕することばかりだ。慌てて「それを成したは戦奉行殿の御差配かと。いや四国における見事な御勝利、得心いった次第」と付け加えた。あからさまに持ち上げるつもりはないが、今の話を聞くにしても就英が主君の股肱として重きをなしていることは明らかだ。


 宿老に次ぐではなく宿老並みと心得ねばならぬと、認識を改める。


「身どものお役目にかかわることゆえ今一つ。……門司城を題となされておられるのは如何なる訳にて」


 宗治は課題の紙を指さした。容易ならざる条項が並ぶ。


 門司城の毛利方三千、大友一万二千という数。宗治が把握する限り門司城の守兵は千二百、長門からの援軍を入れれば三千となり、城の規模を考えれば限界。問題は敵の人数だ。一万二千となれば城兵の四倍を超える。


 広島からの毛利本軍の後詰までなら守り切る自信があるが、敵の大本は畿内の土岐、すなわち毛利本軍は正反対の播磨に向かう。敵地に孤立した門司城を万を超える大軍相手に長期間守るのは困難だ。


「ご懸念最も。ここに記されるは最も厳しい案でござる」

「背後に島津、横に龍造寺を抱える大友が万を超える兵を豊前に動かすは考え難きと」

「左様。それに淡路洲本城を攻める戦立て、などと題することは不穏ゆえ。毛利は土岐との戦準備との風聞を生みましょうぞ」

「道理でございますな」

「ただ早ければ田植えが終わるころには土岐は動き出す。大友が呼応することは必定。その時の九州の形勢しだいで」

「最悪万余の襲来もあり得ると。その時宜となれば後詰いただけましょうや」


 本題に切り込んだ。宗治の立場では、いざとなれば本家に後詰の約定を取り付けている、と与力に言えねば統率が危うい。


「御屋形様は土岐との戦は最初は守勢と考えておられる。海兵隊は海を通じて各地の後詰を行うことになる。天との相談となるが実は来月頭にも海兵どもに長門、門司、彦島などへの航路の調練を命じる手はず」

「あらかじめ後詰の調練まで。それは頼もしき事。某はいかにすればよろしいかご教授を」

「かつて尼子攻めの折長門を通ったが、細い海と潮の流れの激しさは難所。肝要なのはここでござる」


 就英は白墨を手に、長門と豊前の絵図を漆板に描くと、その中央を丸で囲んだ。


「壇ノ浦でござりまするな」

「海兵隊は大友の関船と海の上では戦えぬ。もしここを支配されれば動きに窮する。城に入って鉄砲を撃つだけとならば我らの力は半分も生きず、小勢に過ぎなくなるのでござる」

「神速の兵と言えども何処から来るか敵がわかっておれば生きぬと」


 宗治は白墨を手に門司城を囲む大友勢の前後に矢印を記す。


 籠城戦は攻め手と守り手の士気の戦いだ。大軍と言えど、いつどこから襲われるかの恐怖に置かれれば、その士気は必ず下がる。となれば長門櫛崎、彦島、そして豊前門司の港を維持できるほど良いということだ。


「左様。特に門司城にはこの狭い海通をしかと睨んでもらいたい」

「身共の長府櫛崎城が幹で門司城が枝とはなりませんな。門司城なくば長府も危ういとの覚悟が肝要。されば我らは……」


 黒板の上に二人の将の考えが白く刻まれていく。


「櫛崎に着到いたせば日を置かず門司城に渡り普請をいたしまする。土産に頂いた狭間筒を存分に取り回す備えを整えるが肝要…………」


 宗治は白墨をもって門司城を大きく囲んだ。そこではっとした。先ほどの教授の内容が腹に落ちたのだ。


「なるほど、身共の守り手の優位と戦奉行殿の攻め手の優位が合わさる」


 かくも鮮やかに戦絵図を現出せしめるなら、大友が万余の兵を出そうとも関門の守りは叶う。宗治はそう確信して破顔した。


「戦奉行殿のご教授忝く。御屋形様にもそうお伝えくださいませ」

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