第五話 士官教育Ⅱ

 鎮守丸の講堂で、私は就英に講壇を譲った。


 就英は物珍しそうにチョークを手にする。次の瞬間、パキッと音がしてチョークが真っ二つにおれた。「脆いですな」と言ってもう一本を取る。なお士官候補生の中に笑うような命知らずはいなかった。この場に榎本元吉かんじょうがたがいたら顔色を変えたかもしれないが。


「厳島の合戦は今を去ること三十年ほど前天文二十四年の戦である。場所は厳島。毛利軍は日頼様が率いられた四千。対する大内軍は逆臣陶晴賢の一万二千であった」


 就英は黒板に薩摩芋のような形の島を描いた。就英は当時十歳前後だが父就方が川ノ内警固衆の将として参戦している。就方から繰り返し聞かされているのだろう、私の要請で客観的な軍の動きに徹しているのに臨場感がすごい。


「荒天の海を渡った毛利水軍は包ヶ浦に上陸、夜間山険をものともせずに博打尾に達する……」


 黒板に陶軍の配置から毛利軍の上陸、進軍経路が詳細に記され、戦況図が出来る。陶方が一万二千なのが私の知っている通説と違うくらいか。とはいえ陶軍に参加している将の顔ぶれから考えてこちらの方が違和感がない。


「……日頼様の号令一下、毛利軍は山麓の大内陣へと逆落としに突撃。大内軍は大混乱となり脱出しようとするが港は小早川水軍に既に侵入されており、海上では村上水軍が敵船を焼き払った。退路も失った逆臣晴賢は大江浦にてもはやこれまでと自刃。かくして毛利軍の勝利となった」


 講堂に「おおっ」というどよめきが響いた。譜代なら耳にタコが出来るほど聞かされている話だが百姓出身者が多い彼らには耳新しい話だ。


 まあ就英が言外に強調している忠義は関係ないけど。大寧寺の変クーデーターにおいて祖父は完全に陶方として行動している。安芸国内の義隆派の城を攻撃して勢力を拡大しているくらいだ。


 厳島の合戦は毛利家のみならず中国地方のその後の歴史を決定づけた重要な合戦だ。毛利家が大内家のくびきから解き放たれ戦国大名として自立した。


 つまりこの合戦は毛利家の創業神話でもあるのだ。これが多くの人間を束ねるための神話である。歴史家ハラリもニッコリだ。


 とはいえこれはあくまで士官教育。重要なのは客観的な戦場の事実と、そこからどんな戦訓を引き出すかだ。


「いま教授された合戦の毛利軍は攻め手の優位、守り手の優位のいずれをもって戦ったのか。攻と思うものは右手を、守と思うものは左手を上げてください」


 私が問う。全員が迷わず右手を上げた。私は内心頷いた。


 ちなみにこの手の質問を前提無しにすると「日頼様に厳島大明神の加護があった」とか「日頼様の武略が陶に大きく勝り給うた」とか「日頼様の忠心を天が嘉したもうた」的な答えが大真面目に出てくる。


「攻め手で正解です。では具体的にはどのような形でその優位が現れたか言える者は」

「はっ、申し上げます。毛利軍が背後に回ったことを、いや攻めてくることさえ陶軍は予想しておりませんでした。これは御屋形様のおっしゃった攻め手はいつどこを攻めるかを選べるという優位と言えるかと」


 候補者たちは互いに顔を見合わせたが、前列に座る一人が立ち上がっていった。候補者の中で唯一の二期生だ。やけに凛々しい顔つきだ。しかし言葉遣いが完全に武家の者だし、地侍の子か?


「一番槍見事。正解です。ではこの優位を実現するために毛利軍に必要だったものは何か、別の者答えてください」


 私は問いを重ねる。議論を深めると同時になるべく多くの者に発言させることで、自ら考えさせる。軍事組織ではないがトヨタは『Why×5』といってこういう手法を取った。


「す、水軍かと。厳島は海に囲まれておりますゆえに、船がなければ渡れないのでは」

「ただの水軍では荒天の海を渡れぬ、練達の水軍であらばこそ」

「いやそもそも荒天でなければ……」


 だんだんと口が滑らかになっていく。しかし一人だけ沈黙している候補生がいる。手元の紙と黒板を何度か見比べながら一度も手を上げない。同じ青竜章でも先ほどの二期生と全く違う。消極的なのかそれとも……。


「次は今の『攻め手の優位』を自らに当てはめて考えてもらいます。海兵隊は攻め手と守り手のどちらを得手とする軍であるか。攻めと思うものは右手を、守りと思うものは左手を上げてください」


 全員が迷わず右手を上げる。


「では攻め手の優位を活かすために、海兵隊はどのような備えをしているか。一人ずつ挙げてください」

「我らは常に陣営に居りまするので、ご下知が下れば翌日には出陣できます」

「我らは船を備えておりますので、港にて船が集まるのを待つこともなく発てます」


 次々に声が上がる。


「その通りです。速さこそが海兵隊が攻め手の優位を活かすための要点です。……村田余吉其方はまだ答えておらぬな。速さ以外に何か思いつくことはありますか」


 私が指名すると余吉は顔を上げる。戸惑ったように左右を見る。分かりやすい答えは既に出てしまっている。どう答える。


「あの、我らは、その……常に玉薬を備蓄しており、しゃぼんなど金創への備えをしております。それゆえ攻め続けることが出来るかと」


 流石期待通りだ。攻め手の優位の為に速さは絶対だ。敵の意表を突く攻撃は確かに強い。だがもし受け止められてしまえば途端に弱くなる。


 消耗戦、物量戦それこそ織田家が得意とした戦い方だ。柔よく剛を制すは、一会戦の考え方であり戦闘が連続する大勢力同士の戦では単純さが強い。


 第一次大戦を本当の意味で経験しなかった日本が、日露戦争の決戦主義から逃れられなかったのが第二次大戦における帝国海軍の敗因の一つだ。


「戦場は千変万化です。伊予丸串城と阿波徳島城での戦いは全く違う。ですが海兵隊として攻め手と速さという己が得手を活かすという意味では同じです」


 私は攻め手の優位、速さの戦をもう一度強調した。あらゆる戦場において海兵隊の作戦行動の基盤となる海兵隊の戦闘教義ドクトリンだ。孫子で言えば『敵を知り己を知らば百戦危うからず』の己を知る。


「では次は守り手の優位の話をします。これは先の阿波国白地の戦が分かりやすい」


 私はチョークを取って阿波の白地城の戦況図を書く。私の指揮する毛利本軍の大軍を長宗我部元親が如何に準備をして待ち構えたか、それにより毛利本軍の攻め手の優位が如何に潰されてしまったのかを説明した。


「結果、毛利軍は白地城を攻めあぐねた。其方ら海兵隊を阿波まで出撃させることになったのは、長曾我部元親が守り手の優位を活用したからです」


 それに見事に引っかかって山中に大軍で入り込んだのは私だ。ぶっちゃけ一つ間違えば陶晴賢になっていたかもしれない。ちなみにこれを私自ら説明するのは大事だ。こうでもしないと、人間組織は失敗を隠したがる。それでは戦訓が得られない。


「では、これから課題を出します。今言った講義を用いて解答を定め提出してください。期限は十日後です」


 玉木吉保が用意していた問題用紙を皆に配る。これは三問のテストだ。一題目は海兵隊の性質について、二題目は実際の海兵隊のこれまでの戦をどう解釈するか。そして三題目がこれから起きるであろう門司城を使った未来の戦のシミュレーションだ。


 これで彼らがどの程度講義ドクトリンを理解したか、そしてその理解を活かす資質があるかを測る。海兵隊生え抜きの大組頭を出すための小論文形式の試験だ。


 隊将の視点で、攻め手の優位を用いて速さの戦をするという海兵隊の戦闘教義ドクトリンを応用させる。戦場の霧の中で隊将からの命令を実施する大組頭に必要な技術だ。


 自分たちがこれまでしてきた訓練と実戦を概念化して、未知の未来の戦を考える。これが実戦ので学問を納める効果だ。


 千変万化の戦場をパターン分けることは本来不可能。敵味方の攻守は刻一刻と変化する。机上の理論は所詮単純化なので、学問した後で実践したら実戦に飲まれ消えてしまう。


 だから実戦経験を得た後に理論を、原則ドクトリンとして教える。


 戦場の霧の中でコンパスのごとく南北の目安だけでも付ける。それがドクトリンの役割だ。戦場全体の指揮を取る将と、前線指揮官がそれを共有することで、携帯電話がないこの時代において可能な限りの連携を果たす。


 兵を手足のごとく動かすのは天性の才を経験で磨いてようやく成せる神業だが、これなら何とか人の領域の技術だ。

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