第四話 士官教育Ⅰ

天正十二年二月。安芸国広島城。


 本丸から突き出た正方形の郭、鎮守丸は本丸に少し遅れて完成した。予想より早く普請を終えてくれた児玉元良には感謝しなければならない。本来の歴史では二ノ丸と呼ばれたのだが縁起でもないので鎮守丸と名前を付けた。元良から『二ノ丸の普請についてでございますが』と言われるたびに心臓に悪かった。


 とはいえ名前だけではない。ここでの私は毛利家当主ではなく鎮守府将軍だ。鎮守府の本部機能を移したので呉は海兵隊の訓練や出撃基地という実務に集中させることが出来る。


「御屋形様。石見銀山および塩座からの運上についてご確認を」


 鎮守府勘定役の榎本元吉が私に予算を提出する。榎本ら五人は正式に鎮守府奉行として、旧小早川領から五百石を役料として与えた。これで彼らも自前のスタッフを抱えられる。


 海兵隊の財源の最大のものは石見銀山から納められる銀だ。鉱山の公害対策を任せた張元至の働きで収益が増加している。銀の産出が増えたというより熟練工の損害が減ったためだ。これは今後もしばらくは改善し続けるだろう。


 広島町奉行とも言うべき二宮就辰が管轄する塩物座は始まったばかりだが、日本一の製塩地である瀬戸内海を毛利が抑えたことで商人が競って株券を購入している。大山崎の塩物座に流れていた金の一部が毛利に入るようになったことで、かなりの収益になっている。


 銀山と塩物座から鎮守府に入る収入は十万石に匹敵する。小早川家の転封で私の蔵入地となった二万石を合わせて十二万石に財源は強化された。普通なら三千人以上を養える経済規模だが、海兵隊は装備や訓練、そして隊員の給金に金がかかるので千人分となる。


 来春千名になる海兵隊を支える財政基盤が出来たのは大きい。


 あとは鎮守府の帷幄、つまり参謀部門の構築だ。海兵隊をいつどこに何組出撃させるか、予想を含めて立案する部署がいる。呉の総本部と伊予法華津や淡路岩屋に置く支部の管理も考えなければならない。


 これまで各地を飛び回ってきた堅田元慶に任せたいところだが、流石に年が若すぎる。人間が足りない。鎮守府に次男三男を出仕させたいという声も上がっているのだが、たたき上げの海兵から参謀が出来る人材が育つまでおいそれと外部の人間は入れられない。


「元嘉。鎮守丸の中間小者など奉公人はどうなっていますか」


 私は秘書役の佐世元嘉に聞いた。組織においてはこういう縁の下の力持ちも必要だ。仕事自体は誰でもできるが、情報漏洩に気を使わなければならないので元嘉に命じている。


「ご安心ください。女中衆は綺麗所を家中より集めております」

「……あまり無茶はしないでください。奥の手前もあるので」

「ご案じには及びませぬ。実は乃美の大方様に一方ならずご助力いただいております」


 乃美大方の人選なら安心ではある。祖父の継室で穂井田、天野、小早川嫡子という大身一門の当主や跡継ぎの母親だ。乃美閥を形成できる立場だが、政治に口を出すことはないありがたい存在だ。正月に妻と一緒に挨拶したときは「跡継ぎのこと如何お考えか」みたいなことは言われたが。


「御屋形様。講堂にて候補者たちがそろいました。清水殿も着到いたしました」

「分かりました。すぐ向かいます」


 私は呼びに来た就英に答えた。


 組織の最大の役割の一つが構成人員の教育だ。そして軍隊ほどそれが重要な組織はない。


 …………


「……これでいいでしょう。ただ神仏の加護や忠義を強調しないようにしてください」


 講堂に向かう私は、就英から差し出された講義帖を確認した。講義帖には広島湾に近いひし形の島が書かれている。


「ずいぶんと省いたつもりですが……いや承知仕った。それでまず大組頭の身に着けるべき戦場いくさばの理を御屋形様が講義なさるということですが……」


 就英は微妙な表情で言った。大組頭は五、六十人の兵の長で、その役割は戦場における前線指揮官に当たる。このレベルの指揮を生まれた時から大大名の跡継ぎだった私はやったことはない。


「海兵隊員は立場よりも一段上の視野をもってもらう必要があります。兵は組頭の、組頭は大組頭の、大組頭は隊将の視野ということです」

「つまり足軽大将の分際で侍大将のごとく戦場全体を見るべしと」

「そういうことです。自軍の大将の心が分からなければ、六十人の長として自分がどうすべきかを戦場で判断できないでしょう」


 軍隊に限らないが階級の上昇とは部下の数の増加と同時に視点の上昇だ。


 毛利国家元首である私は戦争全体を、元春隆景といった軍団長は複数の軍を束ねて一方面の戦局全体を、城主や一軍の指揮官である就英ら侍大将級は一戦場を見るのが役割で、その視野が必要とされる。近代軍のイメージで言えば大将、中将、少将といった将官級の役割だ。


 それに対して海兵隊の大組頭は足軽大将級で戦場の一部所を担当する士官級、組頭は下士官に該当する。命令に従って兵の先頭に立つ組頭までは現場経験で何とかなるとしても、士官は感覚だけではどうしようもない。体系立てた知識が必要だ。


 歴史家ハラリは世界的ベストセラー『サピエンス全史』で人類が本能で組織できるのは百五十人程度だと喝破した。それ以上の集団は神話や宗教、そして法や社会制度と言った抽象的な概念がなければ統制不可能という学説だ。大組頭に隊将の視点を持ってもらうなら、この百五十人を超える。


 ましてや戦場は霧の中だ。訓令戦術において命令は単純なものであることが推奨される。「何のために何を実現せよ」という目的だけが与えられ、手段については任せられる。言い換えれば現場指揮官である士官級に極めて高い質が求められるのだ。


 例えば元祖であるアメリカ海兵隊はトップダウンでもボトムアップでもなく『ミドルアップダウン』という概念を重視した。つまり中間ミドルにあたる士官が将官トップボトムの間を双方向的に繋ぐという考え方だ。


 これを実現するためには情報伝達と命令解釈における基盤が必要だ。大前提は自分達の性質、つまり海兵隊とはこういう種類の軍であるという認識を高いレベルで持つこと。


 個人レベルであれば訓示、賞罰で可能だ。例えば訓示で『朋輩を決して見捨てるべからず』と唱和させ、実際に戦場で仲間を助けた者を勲章で表彰する。前提としての実戦経験は第一である。


 だが士官はより抽象的な概念が必要だ。海兵隊は常備即応だと言葉で言うのは簡単だが、矢玉が飛び交う前線でそれを前提に役割を実現するためには経験を理論で裏打ちしなければならない。


「今回私が説くのは理のみ、実際の戦場においてその理が如何に働くかは就英ともう一人に任せます」


 就英が講堂の戸を開く。私は中に入った。


 講堂は本部から渡り廊下でつながる独立棟で一階が講義室、二階が資料室兼自習室になっている。講義室は畳に黒塗りの文机が並び、その光景はまさに大学……いや寺子屋がいいところか。収容人数は最大で四十人ちょっとだから、小学校の教室だ。


 海兵隊の組頭から選りすぐられた十人が一斉に起立した。九人が一期生だ。功一級青竜章を受けた村田余吉が端っこに座っている。一人だけ二期生がいる。二期生選りすぐりが伊予丸串城の援軍として派遣された時、追撃戦で長宗我部の敵将の一人を打ち取るという大殊勲を上げた。


 候補者から離れたところに九州方面軍大将の清水宗治もいる。あとは記録役の玉木吉保。


 私は皆を座らせて講壇の前に立った。就英が宗治の横に座る。


 講壇の背後には黒板を並べたものが掛けられ、人差し指ほどの白い棒が用意されている。チートアイテムである黒板とチョークだ。黒板は杉板を漆でコートして、チョークは周防国の秋吉台の石灰石で作った。


「今から皆には戦の理を学んでもらいます。大組頭となるための教授と心得てください。最後に課題を出し回答を後日提出してもらいますのでそのつもりで」


 私の言葉に集められた候補生の目が光る。端の一人が表情を曇らせる。


「まず戦には攻め手と守り手があり、それぞれに得手があるという話をします。これを『攻め手の優位』『守り手の優位』と呼びます」


 黒板に大きく「攻」「防」と書いた。玉木吉保のおかげで海兵たちはこれくらいの漢字は使えるようになっている。組頭なら報告書を書くこともあるので、下手な武士より達者だったりする。


「『攻め手の優位』は攻撃する場所と時を選べることです。反対に『守り手の優位』とは城や砦など準備をもってその攻撃を迎え撃てることです」


 黒板に城を現す四角を一つ描く。四角から離れたところに凸を描き、そこから城の東西南北の四面に点線から矢印を伸ばす。勢い余ってクエスチョンマークを書きそうになって慌ててやめる。


「守城側が四百人、攻城側も四百人とします。守城側は四百人を百人ずつ東西南北に分けなければならないのに対し、攻城側は四百人を東西南北の好きなところにぶつけることが出来ます。一方、守城側は四倍の敵に攻撃されても城壁を用いることで対抗することが出来ます」


 話を止めて候補生の顔色を見る。当たり前ではという顔、どっちが強いんだって顔もいる。どっちかが強かったら誰も苦労しない。攻守入り交じった千変万化の戦場の中で、この当たり前を意識して俯瞰できる士官、それが今後の海兵隊のいや、毛利国家の必要とする人材だ。


「理はここまで。戦においてこの『攻守の優位』がどのように現れるのか。実際の合戦の話をしてもらいます」


 私は就英に場所を譲った。ここからはいわばケーススタディーだ。題材は『厳島の合戦』。

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