第三話 戦闘序列
天正十二年正月。安芸国広島城。
本丸の表座敷は毛利国家で最も高い格式を与えられた大広間だ。旧居城であった吉田郡山城のそれと比べても、縦横それぞれ倍はある。
私は広間の上座に座り、二百人を超える家臣たちと向き合っていた。これでも主だったものだけで、貫高なら百貫、石高に直せば三百石程度の知行を持つもの達だ。いわゆるお目見えクラスだ。
これだけの人数を集めることが出来ること一つとっても、広島に本拠地を移した甲斐がある。人間集団というものは一堂に会さなければ同じ群れの一員とはなかなか認識しない。
「御屋形様。毛利の御家運益々盛んであること謹んでお喜び申し上げまする」
最前列に座る三人の宿老の中から福原貞俊が前に進み出て年賀の挨拶をした。知行は八千石に届かないが本家宿老として家中を代表する立場だ。
「昨年は皆の働きにより四国での戦に勝利することが出来ました。伊予守護家との絆はますます深まり、讃岐を得た毛利は瀬戸内の海を両腕の内としました。これも日頼様の『百万一心』の御遺徳のとおりに皆が励んでくれたおかげです」
最前列の隆景の表情を確認して、腹に力を込めた。当たり前のように告げなければならない。
「讃岐平定の功により小早川隆景に沼田、竹原に替え備前一国を与える。播磨、備前、備中、讃岐における我が名代として引き続き山陽道のこと委ね置く」
「ありがたき幸せ。隆景必ずや新恩にふさわしい忠義を示しまする」
正月の浮かれた空気が吹き飛んだ。一月の寒気が部屋を覆う。万石を越える大名格から百石の末端まで衝撃が伝わっていくのが分かった。遠地と言っても備前は広島よりも京に近く、倍とは言わずとも実質で見ても五割増しの加増ではある。それでも家中最大の実力者である隆景が本領から引っこ抜かれるのは衝撃なのだ。
特に安芸の国衆たちや、毛利に早くから協力して本領を確保した各国地付きの国衆の表情は硬くなっている。
「なお小早川家には二ノ丸に屋敷地を与えると共に、本領とは別に三百貫を在広島料として給する」
在広島料というのは広島屋敷の維持費だ。これから広島に屋敷を置くことになる各国の国衆にも同様に与えることになる。代わりに国衆たちの本領に私の蔵入地を設ける。首都圏の土地との交換だから大抵の場所を要求できるのがいいところだ。
ちなみに在広島料はあくまで支給だ。領地そのものではない。一方、私の蔵入地は私の代官が領地を支配する。ちなみにこれは豊臣政権のやり方だ。
現時点の広島屋敷は、
続いて援軍として讃岐攻めに参戦した吉川広家に安芸、石見、出雲で分与されていた二千石と交換として伯耆、因幡に三千石を与える。これは吉川一門が山陰道の最前線に置かれることを意味する。小早川家に比べて小規模な移動なのは吉川領が既に大部分出雲にあるからだ。
これで毛利両川、山陰山陽の二方面軍の再編が決まった。次は新設する対大友軍団の長だ。
「清水宗治に備中高松城に代り櫛崎城と長府二万石を与える。長門衆と門司衆を与力として関門海峡の守りを固めよ」
長門国櫛崎城と豊前国門司城は関門海峡をまたぐ二城だ。
九州側の豊前国門司城は豊前半島から海へ突き出た瘤のような山上にあり、関門海峡が一番狭くなっている場所を見下ろす。この門司城の対岸が源平合戦の壇ノ浦だと言えば重要性が分かるだろう。九州に毛利が保持する唯一の城で、ここをめぐって毛利と大友は文字通り血みどろの戦いを繰り広げてきた。
瀬戸内海の西の
外様でも新参でも功を立て忠義を示せば抜擢される前例を作る意味でも宗治を抜擢した。白地城で犠牲を出しながら支城攻略を成し遂げた熊谷元直を軍監として付け、隣国周防の内藤家など国衆への後詰要請は戦争時に限るという制限を付ける。
平時は長門一国プラス門司城の管轄権だ。備中の旗頭だった宗治だから方面軍司令官と言ってもさほどの出世には見えない。
当然豊後、豊前、筑前に加えて肥後や筑後の一部も支配する大友家と正面から戦える戦力ではないが、九州方面は守りに徹する。門司城が保持できればいい。守城に実績のある宗治を抜擢した理由だ。
山陽瀬戸内方面軍:大将小早川隆景:西播磨、備前、備中、讃岐:約九十五万石
山陰方面軍:大将吉川元春:因幡、伯耆、出雲、隠岐:約五十四万石
九州方面軍:大将清水宗治:長門、周防:約三十万石
美作衆は遊軍として山陰山陽の状況次第で動かす。残りの安芸、石見、備後は私の本軍として扱う。
これで内線作戦の方面軍司令官が決まった。次は機動軍だ。私は三列目の男を見てから続ける。
「伊予丸串城および阿波徳島城における軍功をもって児玉就英を戦奉行に任ずる」
「若輩の身で重責を賜り恐悦至極にございます」
奉行児玉家の跡継ぎがいきなり宿老は駄目だと福原と二人の叔父が主張したので妥協したが、戦奉行は軍事に限っては毛利国家の最高意思決定に関与する。戦国大名家にとって軍事の重要性を考えれば宿老格といっていい。
海兵隊の総指揮官が毛利国家全体の軍事戦略に発言権を得ることはこの軍事戦略上必須だ。また宿老格となれば海兵隊が他の毛利軍と共同作戦を取る時も格段にやりやすくなる。
これで三人の方面軍司令官と機動部隊という対土岐の指揮系統が出来たことになる。現代の軍事用語でいえば戦闘序列の大幅改変だ。
「以上の役目はかつての織田家のごとく毛利を脅かさんとする敵への備えです。皆もよく力を合わせ油断なく励んでください」
凍り付いていた広間に、少しづつ納得の空気が広がっていく。かつての織田が現在の土岐を意味することは誰でも分かる。
ただ明らかに不満顔を者も数人いるな。特に周防衆の最前列の若い男。血筋や家格から自分がという気持ちがあるのだろう。山っ気の強さは歴史の折り紙付きだ。将来の佐野道可なんて危険すぎてとても任せられない。兄の宍戸元続が四国でしているように、宗治の下で苦労してもらう。
最初の課題である方面軍の戦闘序列は決まった。次は海兵隊の士官教育。そして徳川、島津との外交だな。
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