第二話 戦争戦略
「我らを父祖の地より引き離すからには相応の理由があろうな」
茶室における同格どころか、主君を査定する目で隆景は言った。ちなみに隆景の父祖の地は吉田郡山だが、そこは突っ込んではならない。あくまで小早川家の当主として言っているのだ。
「叔父上と乃美殿には山陽瀬戸内の守りを固めてもらわねばなりません」
「つまり土岐との
「北陸を片付けた土岐宰相光秀の次の標的は当家です」
先の長宗我部への鉄砲弾薬の援助。そして長宗我部に有利な和睦を斡旋し、信親を土岐一門に取り込んだこと。これらは土岐と長宗我部の対毛利軍事同盟だ。この転封は毛利国家の防衛という大義がある。
私は茶碗を横にずらすと用意していた絵図を広げた。畿内の土岐、四国南半分の長宗我部、そして九州北部の大友が三方から毛利を囲む図だ。
私はまず
「土岐の主力は播磨から山陽道を下ってきましょう。搦手として山陰にも兵を進めることは必定。さらに長宗我部が南から讃岐、毛利にとって不倶戴天の敵である大友が背後から長門を狙うでしょう」
「三方から攻められては今の毛利とはいえ苦しいな」
表情一つ変えずに隆景がいう。宗勝も小さく頷くのみ。
「その通りですが敵にも泣き所があります。土岐、長宗我部、大友の三家が呼吸を合わせるのは容易ではないでしょう」
この時代の技術では一戦場ですら三方からの連携は難しい。数ヶ国規模の戦争ならなおさらだ。特に土岐と大友は距離が離れ、長宗我部を経由した伝言ゲームになる。それぞれの利害は全く違う三家のだ。
この毛利包囲網は誰でも考え付く。誰だってこうする。だがその運用は決して簡単ではない。絵図のように俯瞰して駒のように動かせるなら、信長包囲網で毛利は織田家を破っている。
「我らは敵の攻め口にそれぞれ大将を置き、それを広島の某が束ねる陣立てを取ります。叔父上には山陽道の大将として西播磨、備前、備中、讃岐の采配をしていただきたい。この四ヶ国の中心は備前です。この中でも讃岐は毛利領となって日が浅い海を挟んだ地、土岐からも長宗我部からも狙われます。そこに歴戦の海将であり叔父上の股肱たる乃美殿を置く。同様に山陰は吉川の叔父上、そして長門には新しく大将を任じたいと思っています」
私は広島から備前の小早川、出雲の吉川、そして長門への線を引いた。
広島から三方面軍への連絡は敵よりもはるかに容易だ。距離的にも近くすべて自領。囲まれた方は中心から各方面に最短距離で連絡できるという戦略的利点があるのだ。
軍事用語でいう外線作戦、内線作戦だ。土岐光秀が三大名による毛利包囲網を敷くのが外線作戦、そして毛利が実施するのが内線作戦だ。
「土岐は畿内近国の支配をもって良しとする気配がある。播磨、因幡そして讃岐を譲り中国探題となる道は考えないのか。管領代は既に六十を超えると聞くが」
ある意味現実的な解ではある。信長は毛利を武田のごとく滅ぼす気だった。秀吉は毛利を中国八ヵ国、実質的には七か国、へ押し込めた。光秀なら十ヶ国くれるかもしれない。私が記憶を取り戻して最初に考えた毛利百五十万石はクリアだ。
表向き土岐とは争っていないのだから当然と言えば当然だが、光秀は中国探題就任要請を取り下げていない。探題就任はいわば管領代に従うかという踏み絵だ。この踏み絵を踏んで、伊予河野家と一緒に土岐政権に従う態度を見せる。
中国四国は土岐政権下。そうすれば九州も土岐に従うし徳川北条も逆らえない。あっと言う間に日本は平和に……ならない。
光秀のやろうとしているのはいわば道州制だ。それは将来の応仁の乱になる。日本が中世から近世に脱皮するのが遅れる。大問題は九州だ。仮に大友、島津という南北の九州探題が成立、両者が共存するという有りえなそうなことが起こったとする。
だが九州にはすでにキリスト教の浸透が見られるのだ。探題大友家はキリシタン大名の最右翼だし、九州南部には有馬、大村もいる。
キリスト教自体の是非は問わない。だが信教の自由とは政教分離とセットで初めて許容可能だ。特に信長が一向宗を弱体化させた状態での一神教は日本にとっては毒だ。
探題のもつ強力な権限とキリスト教が結びつけばどうなるか。私が秀吉を討ったことが日本の植民地化につながりかねない。将来の世界地図で九州が外国になっている状況を作るわけにはいかない。
日本が海洋国家であるために九州、そして今は琉球と呼ばれている沖縄は必須なのだ。
さらに言えば、光秀は確かに歳だが本当の敵は光秀より若い上、長生きする。
「それでは日ノ本を毛利が治めることはできません。
「この戦は土岐を倒し上洛まで目指す、そういうのだな」
隆景は私の表情を確認してから改めて絵図を見る。
「土岐を防ぐにはこの陣立てしかあるまい。だが勝つとなると足りぬ。土岐は倍の身代。かつての織田の如く人数のみならず金穀惜しまず攻めを押しつけてくる。我らが羽柴にどれほど押されたか忘れてはおるまい。徳川に尾張を突かせるとしてもそれこそ息が合わぬぞ」
視点を土岐に移せば土岐も毛利、徳川相手に内線作戦を取る。そして国力も国土の縦深も毛利より有利なのだ。かつての織田家は秀吉を使って毛利を圧倒しつつ武田家を滅ぼした。
毛利は三木、鳥取、高松という鉄壁だったはずの城を次々と落された。数千の兵と多数の鉄砲を備えた堅固な三城は一つとして力攻めで落ちていない。物流と土木工事を用いて戦うことなく落とされた。
三木城に二年近くかかったのに対して、その次の鳥取城は四ヶ月、高松城に至っては二ヶ月で絶体絶命に追い込まれている。羽柴軍は本拠地からだんだん離れていき、毛利は近づいているのにだ。
三木の干殺し、鳥取の飢殺し、高松城の水攻めと簡単に言うが、これらは軍事革命とも言うべき戦争の大転換なのだ。秀吉は間違いなくけた違いの天才。
そしてそれを見た後なら
今の毛利は当時の倍の勢力とはいえ、土岐は主力を向けてくる。だからこそ隆景と元春という毛利最強の陣容を東に並べる。だがそれでも苦しいというのが隆景の判断だ。
「そこで瀬戸内の海です。某の本軍と鎮守府の海兵隊が海を使って各方面に後詰します」
来春には海兵隊が千に届く。広島本営から瀬戸内海を通じて将棋の『振り飛車』のように東西に動かす。これはいわば機動軍だ。
つまり土岐が仕掛けてくる外線作戦と物量戦に、内線作戦と機動戦を組み合わせて対抗する。これが私の対土岐戦争の基本戦略だ。
「これにて各戦場を支え、機を見て長宗我部を叩きます。長宗我部を戦から脱落させれば土岐と大友は完全に分断されます。さすれば土岐は徳川、大友は島津と挟むことで勝機が見えてくる。これが私の戦立てです」
この戦立てを成立させるには、瀬戸内を毛利が保持し続けねばならない。備前と讃岐が海の門として重要だ。
織田との戦いでは淡路、塩飽、そして来島と瀬戸内海水軍衆を調略されたことが戦略的な不利になった。あの轍はもう踏まない。瀬戸内海の制海権を保持し続けることが最重要の戦略的命題だ。
「相変わらず天から見下ろす如き策を語る。ここで兵を談じればあるいは日ノ本一かも知れぬな」
隆景は絵図に指を置いていった。ちなみに褒め言葉ではない。『紙上に兵を談じる』というのは中国戦国時代の趙の逸話だ。趙の名将趙奢に趙括という息子がいた。兵法を論じれば名将である父親を負かした。だが実際に兵を率いたら戦国時代最大の敗北を喫した。
「危ういのは談じた者が兵を動かした場合。此度の戦場では名将が指揮を執ります。その為にも国替えのこと受けていただきたいのです」
隆景は薄く笑った。情けない甥と思われようがどうしようもない。戦場の霧の中での軍事指揮は芸術の領域であり、才能ないものには手が届かない。播磨では秀吉に、阿波では元親に翻弄されたのが私だ。
私に出来ることはあくまで毛利国家元首として、当たり前を積み重ねて勝てる体制を作ることだけだ。
採点を待つ。だが隆景は無言で立ち上がった。
「叔父上」
「結構な御点前でした。急ぎ領地に帰り準備せねばならんのでこれにて失礼する」
隆景はそういうと入り口に向かった。宗勝も小さく一礼して主に続く。準備ってどっちだ。転封の? それとも……。
無言で茶室を出る隆景を私は思わず追った。
茶室の外では私の側近である堅田元慶と榎本元吉が両人に刀を返そうとしていた。出てきた私を見てその動きを止めた。私は頷いて刀を返させる。隆景は刀を腰に差した後、私に振り返った。
「御屋形様。小早川家転封については再来月の年賀の席にて発表成されませ。私が国替えとなれば他の者も一切逆らえなくなるでしょう」
私は佐世元嘉から受け取ろうとした刀を取り落としそうになった。三人の側近もそろって凍り付いている。
新首都広島城で年賀に集まった家臣と国衆の前で家中最大の実力者が転封の沙汰を受ける。なるほど政治的に最高のパフォーマンスだ。
小早川転封を梃にした毛利家中の再編成は当主集権体制を作るために必須である。今回の措置に隠されたもう一つの理由だ。
結局すべてお見通しか。毛利家の世代交代はまだまだ先だな。
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