第十八話 長宗我部戦争 終戦交渉

天正十一年十月。阿波国白地城。


 七つ片喰かたばみが炎に包まれた。


 白地城本丸に最後までたなびいていた長宗我部の家門、穴だらけの幟が天に向かって燃え落ちていく。


 城の北を流れる馬路川の対岸まで本陣を進めていた私にも、炎上する白地城本丸がはっきり見えた。毛利兵の勝鬨が上がり、私の周りの諸将も一斉に戦勝を言祝ぐ。白地城陥落はこの戦争の勝利の決定と言っていい。


 だが私は城と共に燃え落ちていく敵将長曾我部元親の思惑を未だに量りかねていた。


 降伏勧告から五日後、開城を拒んだ白地城に対し毛利軍は定石どおりの攻撃を開始した。残った支城の内で邪魔な二つを陥落させた後、万全の態勢で白地城を包囲、四方から攻撃を掛けた。白地城は残った玉薬を吐き出さんばかりに鉄砲を撃ってきた。そしてそれが尽きるや外郭を放棄、本丸に立てこもった。


 外郭を放棄した際に多くの将兵が城外に脱出した。本丸に残ったのは三百名足らず。この時点で白地城の陥落は朝夕に迫った。


 だが長宗我部元親は本丸に籠って抗戦を続けた。限られた兵を本丸に集中させ、外曲輪から迫る毛利軍を高所から高密度の弾幕で撃退し続けた。


 外郭を早々に放棄したのは、限られた弾薬を効率的に使用するためだろう。近距離から発射される狭間筒の弾丸は通常の竹束を貫通する威力だった。しかも本丸の長宗我部兵は恐れもせずに身を乗り出して毛利兵を狙ってくる。元親自ら鉄砲を手にしている姿も見えたという。


 どう考えても死兵であり、まともに相手をすれば無駄な犠牲が出る。大きく束ねた竹束を車に乗せ、それを並べて道を作るような大掛かりな攻め方をせざるを得なかった。


 だが結果は同じだ。最後は元親の馬廻と思われる数十人が突撃してきて玉砕、元親自身は本丸の炎の中に消えた。


 白地城が二十日以上持ちこたえたのは予想外だった。だが敵の総大将である元親を打ち取る完全勝利となればその価値はあったと言える。


「これで長宗我部は死に体でございます。今後どこまで進みまするか」


 福原貞俊が私に聞いてきた。この勝利を毛利国家の利益として最大化することが次の問題だ。


 讃岐は予定通り小早川軍が平定した。いくつかの小城が残るが白地城陥落で抵抗をやめるだろう。隆景からは既に讃岐山脈の切れ目から阿波に先遣隊を入れたという連絡が来ている。


 ここ白地は阿波の根本、吉野川上流である。ここから本軍を東進させれば、讃岐口からの小早川軍と会わせて阿波攻略の体勢は、これ以上ない形だ。


 最初は阿波国は吉野川までの北部で十分と思ったが、阿波全土に目標を広げるべきだろう。徳島城を落とせば長宗我部の阿波支配は破綻、阿波の国衆たちは毛利に従う。


 元親を打ち取った以上土佐まで進むことも非現実的な話ではない。南伊予の土居清良は撤退する長宗我部軍を追撃して大打撃を与えた。土佐西部、一条家の本拠だった中村城まで取れば長宗我部の本国も空中分解するのではないか。占領後の管理を考えると頭が痛いが、やはり四国全土を取るべきだろう。


 土岐と柴田の戦場は冬季自然休戦となる。北に強敵を抱える土岐光秀がそう簡単にこちらに出てこれないだろうが、本格的な冬になる前に徳島城は落としたい。


 だからこそ解せない。なぜ元親は降伏を拒んだのか。


 長宗我部の家督は嫡男信親が継ぐだろう。信親は土佐から白地城南まで兵を進めたが、白地城からの脱出者を収容すると大人しく引き上げた。信親がこれから毛利の戦争、あるいは終戦交渉の当事者ということになる。


 そういえばこちらの歴史では元親の方が先に死んだことになるか……。


 本来の歴史では元親の晩年は悲惨だった。後継ぎとして将来を嘱望していた信親に戸次川の合戦で先立たれた後、それまでとは別人のように愚かな判断をつづけた。亡き信親の娘と自身の四男盛親を結婚させ、次男と三男を飛び越して後継者にするという決定をしたのだ。


 その際に反対する一門家中を粛清しまくっている。次男は自殺に追い込まれ、三男は幽閉、親類縁者を何人も殺している。


 ちなみに豊臣政権からは次男親和に家督継承のお墨付きが与えられていた。盛親は豊臣政権から明らかに冷遇されている。親の盛は増田長盛の偏諱だ。土佐国主が五奉行からの偏諱しか受けられず、しかも無位無官に据え置かれている。


 しかもこの件は元親死後も尾を引いた。三男は関ヶ原後に弟の盛親に殺害されている。兄殺しの不義を責められたことが長宗我部家の改易の理由の一つになったと言われている。


 戦国大名家に骨肉の争いは珍しくもないが、ここまで悲惨なのはなかなかない。そう考えると元親が嫡男より先に死んだことは結果としてよかったのかもしれない。まあ元親が知っているはずがないことだが。


 信親は悪い評判は一切ない、長身イケメンで礼儀正しく諸芸に通じる。戸次川でも奮戦した勇将としてその死を惜しまれている。だが本来の歴史で彼が死んだのはわずか二十二歳だ。悲劇補正が多分に入っているだろう。


 常識的に考えて一国衆から四国統一を成し遂げた父親に勝るなんてことはないはずだ。大体、敗戦後の家督継承はそれだけで難しい。


 徳島城を落として阿波をすべて取る。土佐の状況次第だが来年は土佐も落とす。私がそう貞俊に告げようとした時、堅田元慶が来た。


「御屋形様。幕府よりの使いが参りました」

「またか。白地城が落ちた後に来てもどうしようもないでしょうに……」


 白地城包囲をしてから何度か幕府から和睦斡旋の使者が来ている。もちろん理由を付けて断った。


「それが此度の使いは石谷頼辰殿です」


 私は面会の場所を陥落したばかりの本曲輪に定めた。石谷頼辰は元親の正妻の義兄だ。つまり新当主の義理の叔父。最悪の人選をした光秀の意図は何だ。


 …………


 烏帽子に直垂という戦場には似合わない服装の男が、煙が残る本丸残骸に入ってきた。私は福原を筆頭とした毛利家諸将、河野通直とその家臣を並べ、威圧するように使者を迎えた。


「公方様は四国での戦に心を痛められ某を遣わしました。如何でしょうか、讃岐は毛利家に阿波は長宗我部家という形で和睦をなさるのは」


 石谷頼辰の言葉に、周囲の諸将が殺気立った。


 讃岐は既に毛利が平定している。元親への降伏勧告でも阿波の吉野川から北を要求した。白地城が陥落してしかも元親を自害させた今、阿波一国まるまる長宗我部などこの場の誰も納得しない。


「見ての通りここから阿波全土が一望できます。宰相殿は北陸のことでお忙しい、西国のことより畿内てんかの仕置き、天子様の守護を全うされるのが良いのでは」


 私は本丸曲輪から東を見て言った。光秀はまだ小谷城で柴田勝家と戦っている。そっちに集中したらどうだという皮肉だ。だが私に皮肉に、頼辰は笑みを浮かべた。


「お喜びあれ。幕府に逆らった北陸叛徒は先日討伐されました。柴田勝家は近江賤ケ岳で打ち取りました」


 驚愕の事実が告げられる。北陸への退路を守っていた前田利家が光秀に寝返ったというのだ。柴田軍にとっては本格的な冬到来の直前に突然退路を断たれたことになる。そりゃ全軍崩壊するだろう。


「幕府に忠義を尽くした前田殿は能登安堵と加賀守護補任。未だ抵抗している佐々成政の越中を手柄次第とのご裁定が下っております」


 あのロリコン、なんてことをしてくれた。本来の歴史では上司勝家と友人秀吉の板挟みになったみたいな書かれ方をするが、信長を討った光秀に付いたということは損得だけだ。私と違っていいロリコンだと思われているのに真っ黒じゃないか。


 いやまあ後年のお松の行動などを勘案すれば、いい夫婦だったのは確定だけど。ちなみに私の場合、若くして死んだ周姫が「私が美人に生まれさえしなければこんなことにはならなかった」と呪いを残したおかげで山口県には美人が生まれなくなったというホラー伝承になっている。すごい違いだ。


 って、今はそんなことを考えている場合じゃなかった。


 柴田を片付けたとなれば土岐は中国に出ることが可能になる。っていうかこれは最初から前田利家を調略して、あえて小谷城まで引き寄せて冬を待っていたんじゃないか。長宗我部に早めに仕掛けさせたのも、その算段の内と考えれば納得いく。


 薄々感づいていたけどこの歴史の光秀ちょっと有能すぎないか。私が一国二国を獲得している間に、倍くらいのスピードで中央を固めていく。


「宰相殿のご勝利祝着至極。毛利としても因縁ある織田勢力の壊滅は喜ばしい。しかし四国のことはまた別儀でしょう。手を掛けた阿波を手放せとは家臣に申せません」


 土岐光秀は有能。だが今回は間に合った。


 柴田勝家を滅ぼしたと言っても、北陸を土岐の統治下に組み込む作業はここからだ。実際、さっき頼辰は佐々成政はまだ抵抗しているって言っている。


「長宗我部元親が自害した今、四国探題は居りません。四国のことはもはや流れのまま」

「そこはご安心を。新当主信親様は幕府がしっかりと後見いたします。実は我が娘を主光秀の養女として娶わせることが決まっております。これは戦の前からの長宗我部様のたっての望みでございました」

「…………なるほど長宗我部信親殿は土岐の一門ということですか」


 本来の歴史でも信親は石谷頼辰の娘を娶る。歴史通りだ。ちなみに逆臣光秀の重臣である石谷頼辰を匿い、しかもその娘を嫡男の正室に迎えるというのは美談である。その為だろう、この石谷頼辰は戸次川で信親むすめむこに殉じている。


 だが光秀が畿内の主となっているこちらの歴史では完全無欠の政治だ。光秀の重臣で土岐一族である石谷頼辰の娘が、光秀の養女として信親に嫁ぐ。これは土岐、長宗我部が密接な軍事同盟を結んだという証だ。


 毛利との開戦前からの約束? 嘘に決まっている。


「すでに婚約の祝儀として紀伊から徳島城に鉄砲衆を渡らせる用意が出来しております。鉄砲の調練の為に師となるものを派遣してほしいというのは、やはり亡き長宗我部様のお望みにて」


 派兵じゃなくて軍事顧問団の派遣とは言ってくれる。管領代土岐光秀の娘婿なら、信親の家督に揺るぎはないだろう。土佐はあきらめざるを得ない。いや雑賀の援軍が入るとなれば徳島城も無理だな。しかし、土岐一門に雑賀衆の援軍とは大盤振る舞いだ。


 なるほどこれが長宗我部元親のの代償か。


「分かりました。では婚儀の祝儀として毛利は吉野川で止まるとします」


 だからこそ吉野川の北までは切り取らないといけない。讃岐から小早川軍、白地から毛利軍が攻めれば、土岐が本格的に出てくるまでに可能だ。それによって土岐と長宗我部のラインを断ち切る。ここは譲れない。


「話は変わりますが、淡路の国分が未だ定まっておりませんな。毛利様が阿波から引かれるなら淡路は洲本を除き毛利様ということでいかがでしょうか」

「…………」


 虚を突かれた。淡路の石高は六万石程度。阿波の三分の一だ。大阪湾に面した東海岸の中心の洲本を除くとなれば、その価値は四万石程度か。


 阿波の吉野川以北を大体六万石と見積もれば少ないが明石海峡と鳴門海峡の二つの海の要衝チョークポイントあわじ側だけでも押さえられるのなら……。


 そうだな私の国家戦略的にはむしろこちらの方がよいかもしれない。


「この白地城は破却させていただく。それでよろしいなら伊予守護河野殿、家臣たちと相談して和睦のこと、公方様の意に沿うよう努めましょう」

「毛利様の御心のままに。これにて四国無事となりましたな。公方様と主光秀に良き報告が出来、某も安堵いたしました」


 頼辰は笑顔で言った。朗らかな顔はまさに平和の使者だ。


 ちなみに白地城破却は河野家を納得させるためだ。長宗我部信親が東伊予を攻撃しない保証がいる。文字通り平和のための条件で、この時代の戦後処理としておかしいものではない。


 だが無事などとはとんでもない。阿波と淡路の交換は互いの勢力圏が交差する配置を作る。アフリカにおけるイギリスとフランスの植民地獲得競争。ハワイとフィリピンを繋ぐアメリカの太平洋ラインをぶった切った日本のドイツ領南洋諸島の獲得。


 地政学上の死の十字架デッドクロスとでも言うべき配置だ。将来の土岐との戦争を予約しているようなもの。


 だが私の国家戦略は海からの天下統一だ、この血塗られた十字架を受け取ろう。

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