第十七話 長宗我部戦争 白地城包囲


天正十一年十月。阿波国馬路、毛利軍本陣。


 竹束を抱えた熊谷隊が山上の砦にじわじわと仕寄っていく。砦からは散発的な銃弾が飛んでくるが、三方から寄せる毛利勢に比べてあまりに少ない。しばらくすると銃撃音が止み剣撃の音と喊声が砦を包み込んだ。


 砦の中心から煙が上がった。勝鬨が四国山地に木霊した。


 毛利水軍が鳴門海峡で長宗我部水軍を引き付けている間に、正反対の土佐方向から徳島城に潜入した海兵隊で、城の背後にあった川港を破壊する。海軍と海兵隊の合同作戦により、徳島城の補給機能の破壊に成功した。それから五日、連日の攻撃に矢玉、正確には玉薬だが、尽きた雲辺寺山砦はついに陥落した。


 兵力差を考えればかなり粘られたと言える。狭間筒抜きでも堅固に作られていたことに戦国大名としての長曾我部元親の力量が現れている。


 私は見分の為に雲辺寺山砦に入った。初戦の攻撃で負傷した熊谷信直に代り、孫の熊谷元直が私に砦内を案内する。二十代後半の元直は再編した熊谷勢を率いて砦に一番乗りした功労者だ。すでに信直から家督は譲られているが、今回のことで名実ともに熊谷家の惣領となるだろう。


 安芸武田家の家臣だったころから勇名をもってなる熊谷勢を率いる若い武将は、私を砦の奥に案内する。


「やはり大きな焔硝蔵がございました。また砦の背後には讃岐への複数の間道がありました。この砦が天霧への玉薬の通路であったこと間違いないかと」


 元直は私が知りたいことをしっかり説明する。まじめで律義な性格だ。ただ本来の歴史を考えると一抹の不安がよぎる。元直は殉教によりローマ教皇から福者認定される人間だ。


 …………まあ殉教させたの私だけど。今の段階で気にしていても仕方がないな。


 重要なのは徳島城の川港破壊、そしてこの雲辺寺山砦の攻略という二つの【戦術的勝利】が、この戦争の【戦略目標】である讃岐平定にきちんとつながっていることだ。


 白地城から天霧城への弾薬供給を断てたことで讃岐の長宗我部の中心、天霧城の攻略は進むだろう。実際に攻撃するのは小早川軍だが、隆景に任せておけば問題ないだろう。


 私が見分を終えて城の表にもどると福原、熊谷、阿曽沼、天野など諸将が一斉に膝をついた。少し離れたところに河野通直も控えている。伊予守護なんだから、もうちょっと上座にいてもいいんだけど。平岡直房がいないと心細いのだろうか。


「御屋形様ご下知を」


 全員を代表するように福原貞俊が言った。それを考えるのは私じゃ……いや私だった。これまでだったら私が見分をしている間に、福原たちが次の方針を決めてくれてたんだが。


「徳島城の川港は早晩復旧されます。敵の玉薬が回復する前に吉野川から白地城への道を塞がねばなりません。支城の内、いずこを攻撃するのが肝要でしょうか」


 私が聞く。諸将が顔を見合わせる。今言ったことは方針の確認に過ぎない。ここにいる歴戦の諸将は既に次の攻撃目標が分かっているはずだ。戦については私の何倍もの能力と経験を持っている。


「寶田の砦がよろしいかと。如何か」


 福原が言った。これまでだったら「次は寶田砦を攻略いたします。よろしいですな」って感じじゃなかった?


 福原が指定した寶田砦はこの雲辺寺山から東に行ったところにある支城だ。吉野川が白地城に向かって折れ曲がる屈曲点の北側の丘にある砦だ。なるほどあそこを取れば川を渡らずとも白地城に向かう船を攻撃できるというわけか。


 ……危なかった。危うく吉野川を越えたところのいかにも急所という別の砦を指定するところだった。白地城から丸見えのあんなところを狙ったら無駄に犠牲が増える。


「分かりました。寶田を攻略してください」


 諸将が寶田砦攻めの為の陣立てを協議する中、私は白地城を見下ろす。寶田を下せば、戦略的に勝利の形が完成する。


 とはいえ正直言えば運の要素が大きかった。法華津を押さえたことで土佐沖の航路を取れたこと。紀州水道と徳島城の情報が資金援助していた鈴木重秀を通じて得られたこと。そして大阪湾周囲に詳しい児玉就英が海兵隊の隊将だったこと。


 どれが欠けても徳島城攻撃は無謀な作戦になったはずだ。


 やはり常時帷幄、いわゆる作戦本部とか参謀本部みたいな組織が必要だな。仮に今後土岐との戦争になったら複数の戦国大名国家との戦争になることは必定なのだ。私のような戦下手がそんな状況をさばききれるはずがない。





天正十一年十月。阿波国白地城。


「寶田砦陥落。守将福留様討ち死」


 白地城の本丸、窓から外を睨む長宗我部元親の背に向かって近習が報告した。元親は背中を向けたまま頷いた。吉野川の向こうにある砦から大量の煙が上がったのは見えている。これで毛利軍に吉野川まで回り込まれた。


 それはすなわち、徳島城からの補給路を遮断されたことを意味する。


「讃岐天霧城陥落。無念でございまする」


 駆け込んできた使い番が板間に額を打ち付けるようにして告げた。遠く讃岐から山道を越えてきたのであろう、鎧の背に矢が突き刺さり、顔も体も泥だらけだ。


「……そうか親和が逝ったか」


 讃岐香川家に入れた次男の死を元親はその一言で受け入れた。これで讃岐は毛利の手に落ちた。この白地ももはや……。せめて小筒が予定通り百丁届いていれば城から出陣して支城の奪還の手もあったのだが。


「谷忠澄を呼べ。毛利と和睦交渉をする」


 …………


「殿。毛利陣より戻りましてございます」

「ご苦労であった。それで毛利はどのような条件を出した」


 軍使という命がけの役目を果たした谷忠澄をねぎらった後、元親は聞いた。


「毛利が出した条件は三つでございます。

一つ、国分は吉野川とする。

一つ、西園寺公広の引き渡し。

一つ、五日以内に白地城を開城すること。

以上を満たすなら全員の土佐への退去を保証すると」


 いつもひょうひょうとしていて、他の家臣たちが心底が読めぬと陰口を言う忠澄の顔には色濃く疲労が表れていた。相当厳しい折衝だったことをうかがわせる。実際、三日間の交渉の間にも戦況は悪化していた。南の支城が落ち、土佐への退路も脅かされる状況なのだ。


 それを考えると好条件と言える。周囲に集まってきた桑名、非有などの重臣、側近もどこかほっとした顔になっている。もはや勝ちはない以上、この条件を受け入れるのが妥当だ。


 だが手元の書状に目を落とした元親は忠澄に問うた。


「儂の隠居と引き換えにあと十日伸ばせぬか」

「……残念ながら難しいかと。毛利が最も強く押したのがこの刻限でございます」

「そうか」


 元親の手にある石谷頼辰からの書状、光秀は後一月持ちこたえることを要求している。そうすれば毛利との和睦に関して四国探題としての面目を保たせるとあるのだ。小谷城に攻め寄せている柴田軍を本格的な冬の到来を期して打ち破る算段があることが書かれている。


 一ヶ月というのは想像以上に速い。だがこの城は頑張っても十日とて持たない。


「分かった。和睦の儀はこれ以上無用とする」

「お考え直しくださいませ。上方の為に命を捨て奉る義理などどこにありましょうや。毛利の条件をのんでも阿波の南半分に土佐がございます。殿がおられれば十分立て直せまする」

「吉野川の北を取られては鳴門の海も毛利の手に落ちよう。さすれば徳島城は陸と海から封じられる。さすれば土岐と毛利にとって、我が長宗我部は路傍の小石よ」


 土岐と毛利がぶつかる大戦において、長宗我部は天下の形勢に関われぬ位置に置かれる。仮に土岐側として勝っても得られるものはそれこそ阿波半国が良いところだ。


「光秀ではなく、長宗我部の将来の為だ。忠澄、其方は信親に必要な者。この書状をもって岡豊へ向かい、我が遺言を信親に伝えよ」


 主君の決意を見た忠澄は書状を両手で押し頂いた。


 家臣たちが来るべき城攻めへの対応に駆け回る中、元親は一人本丸の二階に上がった。窓から遠く馬路の毛利本陣を見た。一文字三星の中国覇者の旗が誇るように翻っている。


「完全にたばかられたわ。毛利輝元、何が戦下手か」


 南伊予の丸串城そして阿波徳島城、長宗我部の二つの急所を見事に突き通した。今思えば両城を落としたのは同じ軍だ。全員が鉄砲を備え、それも名手となるまで鍛え上げられ、船を操り速やかにこちら側の懐まで入り込む。

 兵数は二百を超える程度と言えども、そのような軍を一朝一夕に用意できるものではない。少なくとも本能寺の変事の後から準備を整えていた。


 生まれながらに大国を与えられただけの輝元に一国衆から三ヶ国の太守となった己が負けるはずがないと策を練った。だが武略で劣ったのであれば仕方がない。


「だがな輝元。劣ったのは我が武略ぞ。次はそうはいかん」


 香宗我部親泰からの知らせでは信親は土佐沖を通る毛利の軍船を見つけその隻数、経路から徳島が目標ではないかと警告したという。毛利の必殺の刃を信親は見逃さなかったのだ。


 我に勝る息子の器量を発揮させるにはせめて阿波は残してやらねばならぬ。思えば父国親も命尽きるまで戦をつづけ、己に三ヶ国の主たる礎を残してくれたのだ。


「わが命の代償じゃ。光秀には精々吹っ掛けてくれよう」


 元親はそううそぶくと、使者へ与える文言を考え始めた。

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