第十六話 長宗我部戦争 徳島城の戦いⅡ

天正十一年九月。阿波国、吉野川河口。


 沈む夕日に合わせて、儂らは大きく広い河口に漕ぎ入った。流石は四国で一番大きいという川じゃ。広島の町を流れる川も大きいと思うたが口の広さはこれほどではない。じゃが流れはそれほど急ではない。川をさかのぼる調練でやったように息を合わせ漕ぎ進む。


 左手に大きな城が見える。ここがもう敵の内懐じゃということを嫌でも知らされる。


 阿波に来るまでも大変じゃった。土佐沖の波と潮は瀬戸の海とはまるで違った。海の色まで青黒く、恐ろしかった。


 法華津から出て足摺岬を抜けるや、櫓をこがなくても船がどんどんと進んだ。最初はらくちんでいいと言っておった組の者も、水先案内人の久兵衛の海のかなたに流されて二度と帰ってこぬ船の話を聞くと震え上がった。室戸岬が見えた時は儂も本当にほっとしたものじゃ。


 室戸岬を越えて紀伊との間を北上した儂らは、途中の小さな島に寄った。鉄砲頭鈴木重朝様の父上である重秀様の配下の者と落ち合った。雑賀の衆に紛れて徳島に入ったその者のおかげで目的地の様子を聞くことが出来た。


 徳島城は吉野川から分かれた流に囲まれておる。吉野川を銃身に見立てれば、引き金を守る用心金のような水路があり、その中に城がある配置じゃ。徳島城に届いた玉薬は城の側で川船に積み替えられてから上流に運ばれる。


 一艘が敵の目を引き付ける間に、残りの三艘が吉野川を俎上し分流口から城の背後に回るという戦の部署がきまった。儂らの組は城の背後に回る三艘の方になった。敵地の奥に漕ぎ入るは恐ろしいが、戦立てが定まった以上はやるしかない。


 …………


 吉野川を遡った儂らは分流口から水路に入った。平田船が並んでいる桟橋が見えた。近くには蔵がいくつもある。目的の川港じゃ。


 儂らは分流に架かった橋の陰で時を待つ。


 海側から鉄砲の音が響いた。城が大騒ぎになる。松明が揺れ、鎧兜の侍たち、槍を持った足軽たちが港に向かうのが見えた。


 ゆっくりと舟を漕ぎ川港に入った。港では人足が蔵から荷を運び出そうとしておる。槍を持った兵が見張っておるが、海の方に気を取られているのか数はそれほどでもない。侍が「急げ」と急かしておるのが聞こえた。


 儂らは船の中で鉄砲を構えた。狙いは侍、次が足軽じゃ。人足は鉄砲の音だけで散ってしまう。戦うことで銭をもらっておる儂らと違って、人足は村から連れてこられただけじゃからな。


 引き金を引く。槍を持った兵や鎧の侍がバタバタと倒れた。人足たちは蜘蛛の子を散らすように逃げ出す。


「上陸。各々大組頭の指揮に従え」


 就英様の合図で、儂らは桟橋から上陸した。大組ごとに役割が分担される。一番はここで船を守り。二番は平田船に穴をあけて破壊する。そして三番は蔵の弾薬を燃やすのが役目じゃ。


 儂らの属する大組はよりによって三番じゃ。一番危険な役割じゃが、籤で決まったからには仕方がない。不平を言えば言うだけ速度が落ちる。一番と二番の者を信じてやるしかない。


「弾薬の蔵を速やかに見つけるのだ。敵の番兵を蹴散らせ」


 大組頭の命令が下った。儂は「抜刀」と言って組の者と共に蔵へと走った。


「この蔵は違う。あるのは米麦じゃ」

「こっちは木しかないぞ」


 蔵の戸を破った海兵の声が聞こえる。城壁を見ると松明の列が移動してくる。思うたより動きが速いし数が多い。海側の大組が思ったほど敵を引き付けれておらんのじゃろうか。これは急がねばならん。


「頭。どうするんじゃ」

「壁じゃ。焔硝の蔵なら他の蔵より壁が厚いはずじゃ」


 儂は蔵の壁を叩きながら進む。一つ、二つ、三つ。音が鈍い蔵があった。気の通り道の小窓の下で匂いを嗅ぐ。泥臭い川の匂いの中に硝煙の香りが混じった。


「ここが怪しい。表に回って戸を壊す。田助を先頭に」

「頭分かった。……前に番兵の小屋がある。気を付け……ぎゃっ!!」


 先頭にいた田助が潜んでいた敵に切られた。


「田助ぇ。おのれっ。やらせんぞ」


 儂は田助を切った侍に突進する。止めを刺そうとしていた敵に腰だめでぶつかった。刀が肉にめり込む感触がする。血が腕を濡らす。


「金創番。田助の手当てを」


 組の者にそういうと儂は倒した侍の懐を探る。


 鍵で戸を開くと嗅ぎなれた焔硝の匂いが濃くなった。入り口近くの俵に刃を刺す。黒い粉末がこぼれてきた。間違いなく弾薬じゃ。


「大組頭、この蔵じゃ。見つけ――」


 ダンッ、ダンッ、ダンーンッ


 蔵から出ようとすると、爆音と共に鉛玉が壁にぶつかる音がした。見ると城壁に小さな赤い火がいくつもともっておる。火縄の火じゃ。狭間に沿って綺麗に並んでおる。数も多い。


「蔵を背にする。鉄砲用意」


 皆が刀を鞘に納め、即座に背負っていた鉄砲を構えた。儂らの鉄砲は背負えるように革の帯が渡してある。首にかけられた早合から一つを抜いて、手早く装填する。何度も繰り返した動作を、体が勝手にする。


 敵は鉄砲玉を遮二無二放ってくる。別の小屋の後ろに隠れた他組の者が倒れるのが見えた。この距離なら鉄砲は木の壁など貫いてしまう。


「三つ目の光が漏れている狭間、あそこじゃ、あの狭間に弾を集めよ。玉薬を見つけたは余吉の組か、其方らは火を付けることに専念いたせ」


 大組頭の指示で鉄砲が放たれる。城壁の向こうで悲鳴がした。城壁に並んだ松明の揺れが広がる。守られておると思えばこそ落ち着いてこちらを狙える。城壁の向こうに一発でも通れば動揺する。


 沈黙した敵の隙をついて儂は蔵の入り口にもどり、蔵の背後まで導火線を伸ばすように指示する。


 城壁の向こうで敵兵を指揮する声が聞こえる。さっきから思っておったが、ここの敵は丸串とは全く違う。数が何倍もおるだけではなく、動きが速い。


 じゃが何とか火の道は通った。後は火を付けるだけじゃ。


「頭。こっちの蔵じゃが」

「なんじゃ。儂らの役目は弾薬を燃やすことじゃ」


 鉄砲玉が再びこちらに飛んでくる中、助佐が別の蔵を指した。


「鉄砲じゃ、鉄砲がたくさんある」

「なんじゃと」


 儂は助佐の言う蔵に入った。中には真新しい鉄砲が並んでおる。儂らが持っておるのと似た小筒じゃ。


「この鉄砲、持って帰れば大手柄ではないか」


 組の者がどよめく。何十丁もの鉄砲ともなれば確かに宝の山じゃ。じゃが儂らの役目は弾薬の道を遮断することじゃ。弾薬さえ焼いてしまえば鉄砲があっても使い物にならん。


 いや上流の敵城の鉄砲は狭間筒が多いと聞いておる。多くの小筒がここにあるということは、敵にはこれを上流の城に届けて何か狙いがあるのじゃ。


 じゃが、時がない。……そうじゃ、別に奪わんでもええ。


「皆、ここの鉄砲を焔硝蔵に放り込め。一度に持てるだけでええ」


 抱え盛った三丁を蔵に放り込んだ時、こちらに来る馬蹄の音がした。ここまでじゃ。儂は火縄を導火線に押し付けて叫ぶ。


「船まで戻れ。急ぐのじゃ」


 よたよたと歩く田助に肩を貸し船に向かう。背後でつんざくような爆音と共に蔵が吹き飛ぶ。近づいてくる敵の馬が棹立ちになった。


 川港では穴をあけられた平田船が舳先を立てて沈んだり、綱を切られて流れ出したりしておる。二番もしっかり役割を果たしたようじゃ。儂らは松明の合図で船を待つ。


 馬蹄の音と共に大勢の敵が近づいてくる。もう追いついてきたのか。


「毛利の鼠どもを逃がすな」


 城壁と交差するような場所に火縄の光が並んだ。前と横から同時に弾が飛んでくる。逃げ場がない。弾丸の音と共に右腕に熱い衝撃が走った。熱が腕を伝って。思わず鉄砲を取り落とした。


「頭」

「かすっただけじゃ。弾が入っておる者は一発だけうて。その後とにかく船に乗るのじゃ」


 馬蹄と共に足音がこちらに突進してくる。散発的な射撃で敵兵が一人二人倒れるが、全くひるまずに突進してくる。


「頭。皆乗った。田助もじゃ」


 儂は血の吹き出す腕を押さえながら船に引き込まれる。揺れる底板に頭をぶつける。血を止めんとと思った時、意識がぼやけた。


 …………


 黒い空に白くて丸いものが揺れておる。あれは何じゃ。腕を上げようとすると、腕がずきっと痛んだ。


「おお、頭が気が付いたぞ」

「……ああ、ありゃお月様か。……助佐、今どこらじゃ」

「もう海じゃ。ほれ前に淡路の先端がみえよる」


 ということは左手に見える火がさっきまで居った徳島城じゃろうか。儂が気を失っておる間に脱出に成功したらしい。ずきずきと痛む腕を見る。きつく縛られておるが何とか動く。


 船は淡路の東側に進路を向けようとしておる。西の鳴門海峡には敵船がひしめいておる。裏回りで帰らねばならんのじゃった。よし大分頭が戻ってきた。混乱したらまずは己が位置を確認せよというのが教えじゃからな。


 お前の心底は揺れても、地は動かんと何度も繰り返し言われた。


「敵の軍船じゃ。小早船、八艘はおる」

「鉄砲の用意を」


 儂が痛む腕を押さえて組の者に命じようとした時、先頭の船から「反撃無用。ただ北に向かって漕げ」との指示がきた。


 時を置かず鉄砲玉がこちらに飛んでくる。一番後ろの盾が折れ飛んだ。揺れる海の上で玉を集めるとはなんという腕じゃ。儂ら以上に鉄砲の上手……そうか雑賀の船か。鉄砲頭の鈴木様から紀伊の地侍は子供のころから鉄砲を扱っておると聞いておる。


「漕げ。力の限り漕ぐのじゃ。追いつかれたら終わりじゃ」


 儂はそう言って空いた櫓に飛びついた。腕の傷から熱いものが漏れるがそんなことを言っておれん。


 …………


「岩屋を抜けた。もう少しで姫路ぞ。あと少しの辛抱じゃ」


 隊将就英様の声が聞こえる。ここら辺の海は就英様がずっと番衆として居られたらしい。おかげで敵の船を引き離したが、水平線の向こうからは明りが近づいてくる。小早船だけでなく関船もおる。


「頭。もうだめじゃ。腕が動かん」

「腕が動かんなら足を動かすのじゃ。ほれ、こうじゃ……」


 儂は櫓を抱えるようにもって、両足を踏ん張る。水が重い。血を失ったのか頭がぼうっとする。もういっそのこと楽になりたいくらいじゃ。


 なんと前に大きな関船が現れた。船からは多数の鉄砲と弓がこちらを狙っておる。いつの間に回り込まれたのじゃ。ああ、これはもうここまでか。儂は櫓を腕から取り落とした。


 松明に照らされた立派な鎧武者が高い船べりからこちらを見下ろした。鉄砲を引き寄せようとしたが腕が動かん。


 けたたましい音が頭上で響いた。儂らの遥か頭上を鉄砲玉が飛んだ。追いかけてきていた船が大慌てで櫓を逆さにするのが見えた。


「姫路の穂井田元清である。櫓に鉄砲の印は、鎮守府海兵隊で相違ないか」

「穂井田様。児玉でござる」

「おお児玉殿。ようここまでたどり着かれた。縄を投げる故に船に繋がれよ。飾磨津まで案内する」


 「味方の船じゃ」「助かった」と悲鳴のような声を上げる組の者たち。儂は船底にひっくり返った。中天に満月が見える。それを見て思うた。前の戦は三日月の如きもの。本当の戦は此度のようなものだったのじゃ。


 もうこりごりじゃ。こんなことをしておっては命がいくつあっても足りん。そうじゃ、広島の町番の給金を貯めたら鎮守府を致仕して百姓にもどろう。それがええ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る