第十六話 長宗我部戦争 徳島城の戦いⅠ

天正十一年九月。播磨灘。


 播磨、讃岐、そして淡路に囲まれた瀬戸内海の東部、播磨灘。薄曇りの午前の陽の下をゆっくりと南下していく船団があった。総数三百に迫る大船団は、大きく二つに分かれている。


 東側の船団を指揮する乃美宗勝は自分達を避けるように明石海峡へ向かう南蛮船を思わず睨みつけた。あの船には硝石や鉛が山と積まれているだろう。それらの一部は堺を経由して紀伊水道に回り、そして阿波てきに運ばれるのだ。


 伊予を保護下に置き、さらに讃岐の沿岸部のほとんどを押さえている今。瀬戸内海の海路を止めることは不可能ではない。だが土岐と表立って戦っていない以上、その名分がない。何よりそんなことをすれば土岐だけでなく、朝廷も幕府も畿内の諸勢力全ての恨みを買う。


 さらに瀬戸内海でも今最も敵にしてはならぬ者が牙をむくだろう。宗勝は西の船団からこちらに近づいてくる小早船を確認した。部下に綱を下ろすように言う。


「村上殿、いえ太宰大監殿でしたな。此度の馳走感謝に堪えぬ」

「直接話すのは来島攻め以来ですな、乃美殿。まあ通総めは性懲りもなく河野に逆らっておるが」


 慇懃な口調で話しかけた乃美宗勝に対し、三島村上水軍の本家筋、能島村上武吉はそう返して豪快に笑った。


「来島の抑えにご次男景親殿を出していただけるだけでもありがたい。さらに百五十もの船をこちらに出してくれたは如何なる風向きですかな」

「風向きも何も。能島は毛利の家来、忠義を尽くすは当然ではありませんか。毛利の御屋形、いや鎮守府将軍様でしたな。丸串を惜しげもなく土居にくれてやったとか。かように気前の良い大将なら淡路の約束もきっと守っていただけよう。我らとしては岩屋……とは言わずとも、湊城あたりを所望でござる」

「大監殿の望みは主隆景を通じて御屋形様にしかとお伝えいたす。ただし最初のお約束通り淡路のことは土岐との国分が先決であること、ご理解いただく」


 左手に見える淡路西岸の良港をこれ見よがしに見た武吉に、宗勝は答えた。


「土岐宰相が淡路を譲るよう働けと。言わずもがな、それゆえこうして軍船を持ってきた。とはいえこの先にある城を落とせなんて無茶を言われれば櫓の向きも変えたくなるが」

「我らの役目は土佐方の水軍衆を引き付けること。小早川様から船戦にせぬよう命じられておる」

「そうそう。讃岐だけで二万を渡している。戦いたくても戦えんでしょう」


 宗勝の旗下にある水軍は半分程度だが、この船団が海に沈めば讃岐の毛利軍は退路を失う。戦において一番大事なのは退き口の確保であり、勝利ではない。それゆえにこの海賊の合力が必要なのだ。武吉のあからさまな言葉を、宗勝は我慢する。


「では、こっちの指揮は元吉が取りまする故。宜しく引き回してやってくだされ」

「能島殿はどうなさる」

「戦の見物ですかな。おっと来たようですぞ。それでは」


 村上武吉はそういうと綱を伝って自分が乗ってきた小早船にもどった。


 鳴門の向こうに船首を揃えて遊弋している長宗我部の船団が見えてきた。武吉の目がそのさらに向こうに向いていることに宗勝は気が付いた。相変わらず海のことに関しては鼻が利く。おそらく法華津のこともある程度は察しているのだろう。


 そういう者だからこそ海では何より頼りになるのは確かだ。


 同時に此度の戦で毛利が瀬戸内を制しても、この男がいる限りいつひっくり返されるかという不安がよぎるのも確かだった。






天正十一年九月。阿波徳島城。


 長宗我部の阿波支配の中心として築かれた城、それが徳島城だ。四国最大河川であり阿波国を南北に分ける吉野川の河口の南側のこの城は、その地勢を活かした堅固極まりない城となっている。


 吉野川分流という天然の堀に囲まれた城郭。海側には紀伊水道に面した海港、背後には吉野川に通じる川港を備える。


 周囲の町は四国と紀伊や上方との海上交易の一大中継地点として発展しつつある。夕刻の迫るこの時間まで多くの船が出入りしている。阿波国の軍事、政治、経済の中心なのだ。


 この重要極まりない城を預かるのは香宗我部親泰。長宗我部元親の弟にして阿波の旗頭である彼は、長宗我部全軍の副将ともいえる立場にある。


 その親泰は海港にある蔵の並びの一つにいた。


「火薬に加えて鉄砲百丁。間違いなく揃っておるな」

「量は吝いが期日が守られるは救いでございますな。それにしてもご城代自らご確認なさらずとも」


 親泰に言ったのは吉田康俊。長宗我部の譜代重臣で、親泰の補佐役であり目付でもある。


「此度の荷は特別ゆえな。何よりも北の海が騒がしい。讃岐から向かってくる船団は三百という」

「村上水軍も動かしてきたと聞いております。池殿の船は二百、もし決戦を挑まれれば苦しいですな」


 康俊は蔵の入り口から船溜まりを見て言った。池頼和は先代長宗我部国親の娘婿で、香宗我部親泰の義理の兄弟に当たる土佐水軍の主将だ。


 もし毛利の水軍に港の船を焼かれれば紀伊からの弾薬が受け取れなくなってしまう。長宗我部が中国十二ヶ国の毛利に対抗できるのは、紀伊から届く荷があっての話だ。


「鳴門は海の難所。池殿には守りに徹するように言っている。我らはこの城を守ることが肝要。讃岐は大半が小早川に押さえられている。引田から陸路もあり得る」

「承知の上。吉野川の向こう岸までしっかり見張らせております。讃岐から敵が入れば狼煙が上がる手はず」

「分かったでは港の警護は引き続き頼む。儂は荷と城にもどる」


 蔵を出ようとした親泰は振り返った。


「……そういえば先ほど見慣れぬ小早船が見えたが」

「ああ雑賀の船でござる。風が変わり阿波に吹き寄せられたとのよし。すでに港をでております」

「そうか、雑賀ならよいのだ」

「何かご懸念でも」

「岡豊の信親様より知らせが来た。土佐沖で漁師が小早船を数隻見たという。それも岡豊から見えぬような沖を通っていたというのだ」

「確かに奇妙でございますな。土佐の水軍衆はあらかたこちらに呼んでおりまする」

「そうなのじゃ。まさかとは思うがな」

「ですが仮に毛利の船だとしてもこの城を攻めるには少なすぎまする。ここには三千の兵がおります」

「明日この荷を白地の兄上に届けるまでは一切気を緩ませてはならん。特に港じゃ、警戒を厳にせねば。船を焼かれてはたまらぬ」

「畏まって候」


 …………


 夕暮れ、鳴門から戻ってきた知らせで毛利水軍は海峡前で止まっていることを確認した親泰は、やっと張った気を緩めた。明日の朝の川船の用意も整った。


 だが海から聞こえてきた銃声が一気に親泰を覚醒させた。


「香宗我部様。小早船一隻が夜陰に乗じて港に侵入とのこと」

「鳴門からは何か知らせがあるか」


 近習の知らせに、すでに具足を身にまとっていた親泰は問う。


「ありませぬ。我が水軍は敵方の船と睨み合いを続けているよし」

「すぐに港に向かう。其方は城壁の守りを固めるように伝えよ」


 親泰は刀を腰にすぐさま本丸を出た。


 …………


「敵の小早船、一艘。すでに沖へと逃げました。残った船で追っておりますが。敵は多数の鉄砲を撃ちかけてきて寄せ付けませぬ」


 港に着いた親泰に吉田康俊が報告する。すでに船の消火は始まっている。被害は二隻、それも数日で修復が可能だと聞いて親泰は胸をなでおろした。


 だが康俊から詳しい報告を聞いた親泰は、すぐに厳しい顔になった。敵の手際は際立っている。秘かに港に潜入して、複数の船を焼く。番兵が出てくるや鉄砲を巧みに使って速やかに引く。単なる攪乱に使うには手際が良すぎる。


 それに侵入したのは小早船一艘。岡豊の甥からの知らせでは数艘だった。どちらにしても城を攻めることが出来る人数ではないが……。


 親泰ははっとした。もし敵がこの城のことを十分に把握しているなら……。


「ここは囮ぞ。敵の狙いは港じゃ」

「香宗我部様。港の敵は既に追い払って……」

「違う。ここではなく川港じゃ。毛利が狙うは川船に相違ない」


 けたたましい発射音が反対側から響いたのはその時だった。

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