第十四話 長宗我部戦争 戦略転換

 白地城に攻撃を開始して一週間たった、毛利軍は完全に攻めあぐねていた。


 支城の中に弱点があるはずだと、各支城に攻撃を仕掛けたが、ことごとく撃退された。一日目のような大きな被害は出ていないが、じわじわと犠牲者が増えていく。


 各支城と白地城は複数の間道でつながっているらしく、一つの支城を攻めると的確に援兵が入る。支城を囲もうにも狭間筒の射程と峻険な地形が邪魔をする。


 間道を通る敵の小部隊との遭遇戦で数の利で打ち破ったのが唯一の戦果だ。


 圧倒的な兵力でありながら、敵の本城に触れられもしない。このままでは士気はどんどん下がっていく。


 待ちわびていた人物が本陣に到着したのはそんな時だった。


「御屋形様。天霧城攻略に手間取っていること面目ない」


 讃岐で大小十を超える城を下した毛利軍最高の知将、小早川隆景は居並ぶ諸将の前で私にそう言った。ちなみに言葉と私に向ける目は全く違う。


 讃岐方面の全権を持つ隆景が阿波まで来たこと自体が戦局の厳しさを物語る。私は本陣を置いた寺の奥で隆景と二人になった。


「本軍が白地で元親を封じている間に讃岐を我らが制圧するという戦立てはもはや崩れた」


 隆景は開口一番はっきりと言った。この叔父が断言するということはそういうことだ。根本的な戦略転換が必要であると言いに来たのだ。


「では本軍を東伊予まで下がらせ、半分を来島と丸串に対処。残りを讃岐に回して天霧に集中するのはどうでしょうか」


 私は言った。長宗我部軍の強みは多数の狭間筒を備えていること。狭間筒は取り回しのむつかしさから野戦では使いにくい。つまり白地から下がるだけで元親本隊の軍事的価値を大きく減じることが出来る。


 天霧城は堅牢で、同じく狭間筒で守られているが、白地のように完璧な支城群はない。


「圧迫を逃れた白地城から讃岐に後詰が入る。天霧城に千も援軍が加われば力攻めの陥落は能わぬ。兵糧攻めとするなら春までかかる」


 一発で却下された。白地城は位置的に天霧城との連携する配置だ。讃岐制圧という戦略目的を達成できない策なんて零点だ。


「ですが来島に背後を脅かされているのはまずいでしょう。反通直の火種がどこから火を噴くか」

「むろんだ。だが来島通総は兵船三十から四十、駆けつけた旧臣の兵力三百程度。能島村上の次男景親と平岡直房で海と陸から封じ込めるで十分」


 隆景は言った。ちなみに河野家重臣平岡直房の妹は村上景親の妻だ。河野軍主力である平岡が抜けるのは痛いが、後方の安定のためと考えれば許容範囲か。


「では本軍を南伊予に転進するというのは。本国土佐を突かれるとなれば元親を白地城から引きはがせます」

「そう簡単に引かせてはもらえまい。いや、長宗我部元親はむしろそれを待っているかも知れぬ。毛利本軍を白地に引き込むことを最初から考えていたのだ。追撃や伏兵の準備は整えている」


 隆景は本陣から東伊予までの細い道を指さした。山々に挟まれてた細い道とその先にある峠。今川義元でも足を踏み入れないくらいのあからさまに伏兵向きの地形だ。


 まあ桶狭間は谷じゃなくて山だったんだけど。


 撤退する軍というのは脆い。奇襲を仕掛けられたら大事故が起こりかねない。例えば総大将わたしの討ち死にとか。それでも一度退くしかないのではないか。物見を周囲に厳重に放ちながら、少しづつ。


「そもそも南伊予に転進して仕切りなおす時があるとは限らない。播磨の元清からは近江の戦況が怪しいとの報が入っている」

「土岐光秀は柴田軍に小谷城まで押し込まれているのでは」

「近江に押し込まれている土岐が長宗我部にこれほどの鉄砲を援助するのが怪しいのだ」


 ため息をつかんばかりの言葉に、冷水を浴びせられた気分になった。


 目の前の苦戦で完全に視野が狭まっていた。元親は守りの用意を固めて私に宣戦布告した。最初から守るつもりならそもそも宣戦布告しなければいい。それをしたということは当然土岐光秀の将来の中国入りの期待があるからだ。


 元親が鉄砲の援助と引き換えに、毛利を疲弊させる役割を引き受けたとしたら。とにかく毛利との戦いを長引かせる戦略に徹底する。南伊予から土佐になんて、十分な準備が出来ていない戦略など、本国の地理を知悉している元親に通じるとは思えない。


 長宗我部との戦争中に土岐が中国に来たら毛利は引き上げざるを得ない。半分以上を制圧した讃岐は瞬時に長宗我部にもどり、伊予も長宗我部に奪われる。元親は独力で四国統一という形を得る。土岐光秀にとっては疲弊した毛利相手に播磨と、そして四国から挟撃。


 つまり私は元親のみならず、土岐光秀により二重に戦略的に追い詰められている。土岐が出てくる前に長宗我部を各個撃破という戦略は国力を考えれば、誰でも考え付く。もちろん元親も光秀もだ。


 私の現状認識は甘すぎたのだ。


 冷静に考えれば今私が戦争している相手は長宗我部元親と明智光秀という戦国名将二人だぞ。単純に軍事的能力で私が勝てるはずがない。


「鎮守府の兵を使えぬか。西園寺を一日で落としたあの兵だ」


 沈黙した私に隆景が言った。海兵隊を使っての戦局の打開はもちろん考えた。ここ数日はそればかりを考えていた。来島攻略あるいは南伊予への援軍だ。これで敵の攻め手を一つ潰せば状況が好転すると考えたのだ。


 だが隆景が突き付ける戦局全体を考えると弥縫策に過ぎない。来島も南伊予も長宗我部にとっては陽動。それを止めても戦略的意味はない。


 じゃあどこに?


「あの軍を天霧城攻めの先鋒として貸してくれるなら、小早川軍は犠牲をいとわずに天霧を落とそう」


 讃岐を制圧しきれば四国は毛利、河野が優勢になる。光秀が中国に来たときに伊予河野と讃岐の毛利方だけで、長宗我部を抑えられるということだ。白地城が健在なら油断はできないが、それでも毛利国家の戦争目標を達成できたことになる。


 だが千五百の兵と大量の狭間筒を擁する天霧城は西園寺の丸串城とは全く違う。その先鋒というのはいわば死地だ。海兵隊をすりつぶすような使い方になる。


 兵の多くが失われる。いや壊滅的な被害になる可能性すらある。


 一年以上をかけて育てた海兵隊の将来を担うべき兵たちだ。


「もしあの軍を出せぬなら讃岐口の大将として長宗我部との和睦を要求せざるを得ん」

「和睦」

「四国探題元親と管領代光秀と同心している以上、相当の条件が出されるだろう。讃岐と東伊予の城のすべてを返還は当然、最初に行ってきた西園寺公広の丸串復帰。それに加えて来島通総の来島復帰」


 それは毛利軍が無事引き上げられるだけだ。毛利が引き上げた後長宗我部に伊予をくれてやるに等しい。東伊予、南伊予、そして来島から攻められた河野は何の抵抗もできない。


 圧倒的な国力をもっている私が追い詰められている。だけど宣戦布告をしてきた長宗我部あんなに大量の狭間筒を備えて待っているなんて想定できるか。


 そんな言い訳をしても何の意味もない。私の戦国大名としての軍事的能力は元親に大きく及ばない。それは確定した事実だ。何なら歴史的事実と言ってもいい。


 私がするべき決断は許容できる犠牲の範囲での戦略転換をする事。一つは元親と和睦という名の実質的な敗北を受け入れること。これは却下だ。毛利の国家元首として伊予を捨てることはできない。


 となるとやはり海兵隊を……。


 隆景は犠牲をいとわなければ落とせると言った。二百四十の兵を死地におくり込めば戦争で勝ちを作れる。その誘惑は大きい。毛利国家元首として私は彼らに死ねと命じるべきではないか。


 それは出来ない。情ではない、私の考える毛利国家戦略に反する。海兵隊は一つの戦争を勝つために作ったのではない。思い通りにいかない戦場のたびに組織の将来を切り捨てていれば、その末路は航空要員パイロットの教育を確保できなくなり、ついには訓練不足の航空要員を…………。


 だがそれでは毛利は伊予を失い、四国全島が敵となる。将来の土岐光秀との戦争で大きな戦略的な不利を意味する。今何とかしないと、状況は加速度的に悪くなる。海兵隊を天霧城以上の死地におくることになりかねない。


 ならばやはり……。


「御屋形様。鈴木殿が取り急ぎ知らせたいと」


 私が苦渋の決断を下そうとした時廊下から堅田元慶が告げた。


「戦場に残されていた鉄砲だが間違いなく雑賀産。父からの知らせでも紀伊で大量の狭間筒が作られていたことが確認できた。上方から大量の刀剣が雑賀に送られたという話もある」


 部屋に入ってきた鈴木重朝は言った。重朝には丸串城に残された鉄砲や遭遇戦で奪った狭間筒を渡して調査させていた。


「土岐から長宗我部へ大量の鉄砲が融通されるなら当然紀州経由であろうな」


 隆景は当たり前のように言った。確証を得られたのは大きいが、結論自体は驚きではない。長宗我部軍の鉄砲の出どころはそこしかありえない。そもそも四国と紀伊はどちらも南海道に属し、紀伊水道を通じて密接に結びついているのだ。


 通常の小筒よりも多くの鉄を必要とする狭間筒の大量生産は、刀狩りか。考えてみれば刀狩りは柴田勝家がはじめと言われている。織田家の政策として光秀も知っていたということか。


 だがそれが分かってもすでに出来た鉄砲が敵陣にある事実をどうしようもない。


「もう一つ。ここ数日鉄砲の音を聞いていて分かったことだが……。敵の弾薬の量は十分ではない」

「いや、そんな報告は受けていませんが……」


 私は虚を突かれた。初日に大きな被害を受けた後も、長宗我部は鉄砲を毎日惜しまず使っている。とてもじゃないが弾薬が不足している軍の運用ではない。


 だが鉄砲の運用に関して重朝の知識は天下一品だ。その重朝が言うなら……。


「どうしてそう思うのですか」

「音だ。四日か五日ごとに、弾薬を惜しんだ発射音が混じる」


 重朝は説明した。あきれたことに音だけから長宗我部の弾薬在庫の増減を聞き取ったらしい。


「叔父上。天霧城ではどうですか」

「……天霧城でも敵の反撃が弱くなることがあった。だが翌日には十分な弾薬を用いている。ただし四日や五日ではない、十日に一度あるかだ」


 長宗我部軍は数日ごとに弾薬の不足に陥っている。だがそれはすぐに回復する。その理由は一つだ……。


 私は支城群の強弱を探った戦闘の結果を思い出す。弱点と言えるような支城はなく、良く連携されていたが一番硬かったのは南側、つまり讃岐方面の連絡を担う支城だ。


 これらの事実が物語ることは……。


「弾薬が定期的に白地城や天霧城に運び込まれている」


 光秀は元親と私を戦わせるために軍事援助を与えた。だが長宗我部が永遠に土岐の味方である保証などない。それに何より光秀にとって毛利―長宗我部戦争は泥沼化すればするほどいい。援助でそれをコントロールするとしたら。


 鉄砲ハードウェアは一度に与えつつ弾薬しょうもうひんの供給は随時行う。鉄砲は大量にあればあるほど弾丸と火薬を必要とする。光秀は弾薬供給で四国での代理戦争をコントロールしようとしている。


 第二次大戦で言えばレンドリース。アメリカがソ連共産党や中国の蒋介石軍へ莫大な量の軍事物資を提供した。言うまでもなく、ドイツそして日本と戦わせるためだ。中国大陸で連戦連勝した大日本帝国陸軍は、アメリカの兵器を提供されて立ち直る中国軍相手に消耗していった。


 日本軍が中国大陸と太平洋で長大な戦線の維持に苦労しながら、わざわざビルマ方面まで戦線を伸ばしたのは、このアメリカから中国軍への援蒋ルートとよばれる補給線を切るためだ。


 つまり私はこの戦争における重心を完全に読み間違っていたのだ。


 絵図を広げる。もともと四国と紀州はつながりが深い。そして長宗我部の阿波での拠点は吉野川の河口近く、紀州水道に面したこの地。戦場から大きく離れたここに副将香宗我部親泰が鎮座している。


 阿波徳島。ここが長宗我部全軍の本当の重心だ。ここを叩けば長宗我部軍の継戦能力を奪える。援蒋ルートの遮断。いや焔硝ルートの遮断だ。


「戦立てを変えます。海兵隊でこの徳島城の機能を破壊します」

「…………敵の内懐だぞ。能うのか」

「強力な水軍の合力があれば」


 この部屋に入ってから一番鋭い視線を向ける叔父に、私は答えた。


 この作戦は海兵隊単独ではできない。だが毛利軍の作戦と考えれば実行は不可能ではない。

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