第十三話 長宗我部戦争 蜘蛛の要塞
伊予と阿波の国境は四国山地の中にある。
四国を東西に走るこの山地は、伊予と土佐そして阿波を分ける自然国境だ。峻険な山が連なり、その間に僅かな盆地や台地が存在している。安芸の山奥で育った私から見ても、峻険な地形だ。
境目峠という伊予と阿波の境を越えた毛利本軍は、馬路と呼ばれる道を進む。文字通り馬を引いて通行する細い道だ。そして目的地である白地城まで半分と言ったところにある南側の丘陵に本陣を置いた。
接収した寺の境内からは東に四国最大河川である吉野川、そしてその河畔にある白地城の城郭が見える。
白地城は阿波国の西端に位置する城だ。元は大西という国衆の小さな城だったが、長曾我部元親により大々的に拡張されている。東側は四国最大河川である吉野川を天然の掘として、周囲の山々には支城群が置かれている。事前にはなった物見の知らせでは、支城の数は確認できただけで八つ。白地城と支城すべてを合わせれば兵力は七千を超える。
一方こちらは後背である東伊予の占領地を万全に固めるために二万余まで兵力が減っている。三倍の兵力差なら城攻めは不可能ではないかもしれないが、この地勢を活かした要害を見ると、やはり力攻めは困難だろう。とはいえ、ただ陣を置いているだけというわけにもいかない。
まあそこら辺の戦場の方針を考えるのは私ではない。
「諸将の評議にて、熊谷勢を先鋒に雲辺山砦を攻めるが良しとなりました。御屋形様御裁可を」
「わかりました。その方針で進めてください」
軍議をまとめた福原貞俊が言った。私はただ同意した。
言うまでもなく私個人に二万を超える軍勢を戦場で進退させる能力はない。というかある必要もない。私がするべきことは毛利国家の【戦争目的】とこの阿波口方面軍の【戦略目標】を達成するための【戦術】が立てられているかどうかの判断と、その実施における最終責任だ。
毛利国家の【戦争目的】は瀬戸内海の制海権を取り、四国の勢力バランスを毛利有利に持っていく為に讃岐を長宗我部から奪い取ることだ。
その戦争目標を達成するために毛利本軍は、長宗我部元親率いる敵本隊を白地城に拘束するという【戦略目標】を達成する必要がある。
その戦略目標を達成する手段として福原らが決めた【戦術】が『雲辺寺山砦の攻略』だ。
『雲辺寺山砦』というのは本陣から北東にある小さな砦だ。西にある白地城の八つの支城の一つに過ぎない。だが絵図の上で示されれば、まあここしかないよねと言うポイントだ。
まず毛利軍はただでさえ狭い地形に大軍を置いている。もし万が一背後に回り込まれれば退路を断たれかねない。さらに雲辺寺山砦の北方は讃岐国だ。ここを攻略できれば元親の白地城と、讃岐の天霧城で抵抗する香川親和の連絡を遮断できる。
最後に元親の本体をここで拘束するという目的を万全にするためには、攻める姿勢を見せておかなければならない。
完全に条件を満たしているので、私は何も言うことがない。
竹束を抱えた複数の集団が山の上にある砦に迫っていく。熊谷隊を先鋒に兵数千。砦の大きさからして守備兵は百程度のはずだ。私は勝利後の感状の文面を考えながらそれを見ていた。
私の目の前で砦が白く煙った、次の瞬間轟音が本陣まで轟いてきた。
「先鋒熊谷隊、これ以上の攻め能わず」
「側面を突いた阿曽沼勢も撃退されました」
「後方に回ろうとした天野勢、間道からの敵の奇襲により混乱」
本陣に次々と知らせが舞い込んできた。その全てが苦戦を告げるものだ。竹束を放り捨てて逃げる毛利軍。背後からの鉄砲がそれを次々と屠っていく。
「急ぎ撤退の鐘を鳴らせ」
鳴りやまぬ轟音の中、私は声を振り絞ってそう命じた。
「面目ござらぬ。あれほどの鉄砲があるとは」
包帯を巻いた右足を床几から突き出すように座った信直が言った。
一日目の攻撃は散々な結果に終わった。死傷者は百人を超えている。百戦錬磨の熊谷信直が負傷するほどの惨敗だ。
総兵力から考えれば百人はわずかだが、城攻めに用いた兵の一割の損害。軍隊は一割を失うと崩壊と言われる。熊谷隊は既に戦闘能力を半分以上失ったと言っていい。
大きな被害を出したのは砦に想像を超える五十丁の鉄砲があったことだ。それもただの鉄砲ではない。狭間筒という長砲身の鉄砲だ。弾丸の大きさは小筒と共通だが、長い銃身を城壁の狭間から突き出して使う。つまり城の防衛に最適の鉄砲だ。
ただでさえ鉄砲は守り手に取って極めて有効な兵器だ。それに加えて長銃身による射程と威力、そして狭間から突き出して狙いを定めることによる命中率。そしてこれだけの数となると、海兵隊の褐色火薬銃でも勝てないだろう。
支城一つに五十丁の鉄砲、となれば白地城にはその十倍以上の鉄砲があるだろう。
「無理をする必要はありません。予定通り包囲戦で行きます」
予定通り白地城の包囲体制を構築しつつ、守りの弱い支城をじわじわと落としていく。手ごわいことが分かった雲辺寺山砦は周囲を囲んで抑え込む。この戦争における第一目標は讃岐の領有だ。長宗我部本隊をここで拘束できれば目標達成に資する。
悪い話ばかりではない。初戦の犠牲は痛かったが戦略的には問題ない。ここにこれだけの鉄砲弾薬を集めているということは讃岐は手薄だろう。小早川軍の勝報を待てばいい。
「小早川軍、天霧城にて撃退されました」
三日後、讃岐からの一報が入った。讃岐沿岸の城から、海を渡り東伊予経由で届いた知らせだ。
小早川軍は讃岐の沿岸部のほとんどを制圧し、十河城も落とした。そして満を持して天霧城の攻略にかかったのだ。天霧城はその名前に恥じず讃岐山脈にある難攻不落の堅城だ。そこに籠る兵力は千五百。侮れる規模ではないが、小早川軍は二万を超える。それに山岳戦が得意な吉川勢もいる。
だがその吉川勢が天霧城からの大量の狭間筒に撃退されたのだ。幸い撤退の判断が早かったため、主だったものに犠牲者は出ていないが、小早川軍も包囲戦に切り替えざるを得なくなった。
讃岐を早期に占拠し、白地城を西と北から挟撃するという戦略に暗雲が立ち込めた。
なぜ長宗我部がこれほどの鉄砲を持っている。弾丸や弾薬はどこから湧いてきた。狭間筒は長砲身の分、当然高価だ。長宗我部の国力でそれを少なくとも千揃えるというのはどういうことだ。
って、混乱している場合ではない。そうだ、呉から鈴木重朝を呼んで、この鉄砲のことを調べさせるべきだ。私は冷静を装って堅田元慶に使者の任を命じた。
翌日。さらなる知らせが南伊予から届いた。
「丸串城主土居清良殿より後詰を願うとのこと。元親三男津田親忠を大将に三千の兵、五人に一人は鉄砲をもって攻撃してくるとのこと。敵陣中には西園寺公広の旗もあり。宇和郡の地侍に動揺在り」
あちらにも大量の鉄砲だと。一体長曾我部元親はどれだけの鉄砲を持っているんだ。織田家が長篠で使った鉄砲ですら、多くとも三千丁と言われている。その半分の数を少なくとも揃えている。
これではこの戦は長引く。勝利までに多くの時間と兵が失われる。私は暗澹たる気分になった。だがそれですらまだ余裕があったことをすぐに知ることになる。
「来島城陥落」
翌日河野軍から来た報告に、私は思わず軍配を落としそうになった。毛利水軍の監視下にある瀬戸内海を渡って来島城を落とす。そんなことが出来る軍隊がいるとしたら海兵隊くらい、いや下手をしたらそれを上回る。
まさか早くもまねされた。
「…………土佐や阿波からどうやって長宗我部水軍が来たのですか」
「来島城に翻るは藍色の揺れ三文字。来島通総の旗印でございます」
私は思わずホッとした。彼らにとっては元は自分の城、あのあたりの海は庭だ。海兵隊が早くもまねされたというのは誤解だったか。来島水軍は二度の戦で多くの軍船を失っている、なんとか対処できるはずだ。
だが、私は河野の者が厳しい顔をしているのに気が付いた。
「来島通総は「我こそが河野家の正統なる後継ぎである」という檄文を伊予の津々浦々に発しているとのことです。来島城周辺の島の水軍衆、また今治城主が来島通総に呼応の構え」
平岡直房が苦い声で言った。
伊予守護河野通直は河野宗家の血を継いでいない。そして来島通総の母は河野家の先代の娘なのだ。つまり血統という意味では河野通直よりも正統性がある。
織田家との戦いで来島通総が秀吉に寝返ったのは、河野当主に通直が就いたことで、正統なる血筋の自分が排斥されることを恐れたことが一因だ。
西園寺討伐と東伊予奪還で大きく強化されたとはいえ、現在の通直体制に不満を持つものは何人もいる、来島通総を旗印にそれらが反旗を翻せば我々は本国安芸からの海上補給線を脅かされる形になる。
背筋が冷たくなった。
毛利本軍は長宗我部本隊、来島通総、そして南伊予からの攻撃により囲まれている。もしかして私は元親を拘束するつもりで、白地城に拘束されているのでは。
東に見える白地城、そこから連なる支城群が、まるで山中に張られた蜘蛛の巣のように見えた。
何が鳥なき島の蝙蝠だ。私という小鳥を網に掛けた大蜘蛛じゃないか。
私は軍事的才能で長曾我部元親に遠く及ばないことを悟った。
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