第十二話 長宗我部戦争 開戦

天正十一年九月。備前国岡山沖。


 かつて宇喜多が本拠を置いた岡山の地、その沖には吉備の穴海と呼ばれる内海があった。穏やかな水面には大量の軍船が集結していた。


「殿。小早川、因島、そして備中、備前の船手衆そろいましてござる。吉川様も予定通り美作から着到とのこと」


 軍船の中心にある大型の関船の上で乃美宗勝が主に告げた。海風にさらされ薄くなった白髪は百戦錬磨の海将の証だ。その戦歴は中国だけでなく九州、四国にも及ぶ。


 小早川水軍の統括を任せている重臣の言葉に、小早川隆景は無言でうなずいた。


「海を埋めるような軍勢でございます。これすべてが義父ちち上の軍配に従うのですね」


 隆景の横にいた少年が目を輝かせて言った。


 元服したての少年は小早川元総。毛利元就の九男、つまり隆景の末弟であり、男子のない隆景の養子となり嫡男の立場にある。今回の戦が初陣であるだけあって、興奮を隠しきれないようだ。


 親子以上の歳の差の弟に隆景は「いずれは其方がこの水軍を指揮せねばならぬ。心せよ」と言った。


 とはいえ隆景と言えども高揚感とは無縁ではない。毛利の一門宿老として今や山陽数ヶ国を管轄する隆景と言えども、一手にこれほどの軍勢を率いたことはない。


 穏やかな波に揺れる軍船は四百五十隻を超える。これほどの船団が一堂に会したのは一度目の木津川合戦以来であろう。船団に乗り込むのは安芸、備後、備中、備前の山陽道軍二万余。加えて美作から派遣された吉川軍が四千。さらに讃岐では旧三好勢力だった国衆が何人も味方になりたいと言っている。


 海を越えて大軍を動かすために最も重要な橋頭保の確保を老練な隆景は既に終えている。


 それでも峻厳な表情、皺の寄った両眼の光には、一片の油断もない。


「この戦、どう見ておられまするか」

「毛利の勝ちに間違いなし。ゆえに長宗我部が仕掛けてきたは真に奇妙」


 宗勝の問いに隆景は答えた。四国探題長宗我部元親、面子にこだわり無用のぐんを起こすような愚か者ではない。南伊予の西園寺せめくちを失って直後ならともかく、そこから一ヶ月以上時を開けてとなればなおさらだ。


「ではなぜ止められなかったのでございますか」

「どこまで望むのかと聞いた。「讃岐一国取れば毛利の勝ち。阿波の吉野川まで進めれば大勝」そう返ってきた」

「播磨、備前美作、そして伊予と勝ちを重ねて油断なしとは、なるほど頼もしゅうなられましたな」


 宗勝は頷いた。


 讃岐は石高にして十三万石程度の四国の中で最も小さな国。だが毛利は今や長門から播磨の半分まで抑えた。このうえで讃岐を取れば瀬戸の海のすべてを押さえられる。備前や播磨の統治も安定する上に、伊予の河野家を九州大友に向けることすら可能になる。


 瀬戸内海を毛利の内海となし、伊予から大友を牽制できるなら九州北部も手に入る。豊前、筑前の両国は大陸との交易窓口であり、毛利が長年莫大な戦費を費やしそして得られなかった地だ。


「兄が隠居を考えている。儂もあとどれくらい戦場に立てるか」


 隆景は美作で会った兄吉川元春のことを思い出す。立っているだけで周囲の家臣を圧する威はあれど、自分と二人だけになった途端にそれはふっと消えた。今回も本人ではなく嫡子元長と三男広家が率いている。


「なるほど、我らも老兵ですな」

「亡兄の代わりと思って毛利を支えてきたが、そろそろ次代に繋がねばならぬ」


 隆景は船べりから遠く四国を見ている弟を見た。隆景の見たところ将来一家を率いる程度の器量は十分ある。ただ今の小早川、そして毛利を支えるための器は、自分が継いだ時よりもはるかに大きく、重い。


 もっとも後継者という意味では当の輝元おいが子供を持たないのが最大の問題だ。仮に兄弟の子を養子とするとしたら播磨姫路城を預かる元清の子が年齢的には妥当。だが後に輝元に実子が出来たらお家騒動になる。一門をもって本家を支えると言っても、代を重ねれば重ねるだけ血は薄れる。


 毛利の家の将来を思えば、懸念はいくらでも湧いてくる。


 「亡き兄の代わりと思って」などと口にした隆景だが、自分と兄の元春が甥である輝元を支える姿勢を示したのは、父元就があまりに恐ろしかったこともある。


 父元就の方針は一門家中の争いによる家の弱体化を防ぐ、の一言に尽きた。武家にとって内訌が何よりの害であり、それを押さえれば他の勢力に対して大きな優位に立てるという、冷厳な信念だった。


 父にとっては大内も尼子も勝手に滅んだのだ。


 逆に言えばそれを全うするためならいかなる非情もいとわなかった。しかもそのやり方があまりに恐ろしいものだった。


 井上元兼、吉川興経、赤川元保、和智誠春など、父が消すと決めた者たちは、何年かかっても必ず消されてきた。まさか自分は大丈夫だろう、これだけ時が経てばもう安心だろう。そう思ったその時に、彼らは粛清された。


 父は生涯をかけて一門家中の和を保つという武略、経略、調略を貫いたのだ。


 もし自分や元春が宗家を継いだ輝元を蔑ろにしたら、父は自分達を例外としたとは思えない。


 一門家中の争いさえ押さえれば、当主が凡庸でも少なくとも家は残る。それが父の考えであり、隆景がその死後も守り続けてきた方針だ。毛利は天下を競望せず、はその換言に過ぎない。


 だがもし当主おいが凡庸とはかけ離れていたら…………。


「本太より島吉利殿、軍船五十着到いたしました」


 隆景の思考を船外からの声が切った。隆景は瞬時に目の前の戦に思考を戻す。


 本太城主島吉利は能島村上の重臣だ。つまり能島村上も今回の長宗我部攻めに兵を出したことになる。瀬戸内に関して最後の懸念が消えたことを確認した隆景は軍配を上げる。


「我らの目的は讃岐天霧城。長宗我部元親が次男香川親和を下し讃岐を毛利の旗下に置くべし」


 まずは瀬戸内海を取る。その後西国を望むもよかろう。畿内てんかすら望まないと決めた我でも、それは支えられる。


 日ノ本を取れるかどうかは甥の器量次第。







同日。伊予国玉之江。


 川ノ内警固衆の軍船に乗船して広島を出た私は瀬戸内海を南下した。芸予諸島の最南端、来島海峡を抜けて伊予の海域に入った。名前から分かる通りこの辺りは来島村上の勢力範囲だった。だが来島通総は織田家について来島を失い、さらに私が秀吉を討つために播磨に向かう途上に、能島村上との海戦で敗退した。焙烙玉の破片で傷を負い、海に落ちたことが確認されている。


 小早川水軍が備前から讃岐に向かっている今、ここら辺の海域は毛利の制海権の下にある。右に今治を見ながら悠々と南下し、玉之江に無事上陸した。


 玉之江は伊予国から瀬戸内海に突き出した角の根元で、中山川の前にある。この中山川を越えれば長宗我部の支配領域だ。近くの寺に陣所を借りた私は近づいてくる軍勢を待つ。


「伊予守護河野通直。着陣いたしました」


 湯築城から出た同盟国、河野通直の軍が合流した。これで私の率いる毛利軍が二万余、河野軍と合わせて二万五千を超える。河野にとって五千は総動員だ。南伊予を土居清良が固めている効果が早くも出ている。


「丸山城主黒川広隆、鎮守府将軍様、伊予守護様に従うとのことです」


 毛利河野連合軍の渡河の前に川の向こうの丸山城が降伏を申し出てきた。これで長宗我部の勢力圏の入り口が開いた。一国衆が毛利、河野連合軍の矢面に立たされてはこうなる。実は大軍を動かす最大の理由は、こういう風に戦わずに勝つためだ。


「金子元宅。降伏を拒否いたしました。金子城内には長宗我部の援軍が入っているよし」


 接収した丸山城で、東伊予の中心部の状況が知らされる。金子氏は東伊予最大の国衆だ。長宗我部とのつながりも強い。抵抗は予定通りだ。


「鎮守府将軍様。金子城攻め平岡直房に先陣をお任せいただきたい」

「伊予守護殿の下知のままに」

「分かりました。直房、河野の武名を示してみよ」


 通直が穏やかな声で言った。


「伊予を河野通直様の下に束ねるのは、この機を置いて他になし。皆の物かかれっ!」


 平岡勢を先頭に、毛利一万の軍勢が金子城を包囲、攻撃を開始した。対長宗我部戦争の初めての戦闘の火蓋が切られた。


 …………


「金子城陥落。金子元宅打ち取りましてございます」


 金子城の本曲輪から火が上がってからしばらくして、平岡直房が本陣に報告に来た。河野家の軍勢が先陣を務めたために、毛利本軍には犠牲はほとんど出ていない。東伊予奪還は河野家にとっては悲願だ。


「最後の一兵まで戦い抜いたは見事。金子主従の遺体は丁寧に葬るように」


 首実検を終えると河野通直が言った。長らく自分に逆らった国衆に敬意を払うところに人格が出る。戦国大名としては心もとないが、温厚な人柄と責任感を持っている。嫌な言い方だが従属国の主としては一番ありがたいタイプだ。


「東伊予は片付きましたな」


 熊谷信直が言った。毛利本軍の中心である安芸国衆中で最大の兵力を率いている歴戦の勇将だ。仮に河野軍が苦戦するようなら私は彼を攻め手に加えただろう。


「我らの目的は阿波白地城。国境を越えた後は存分に働いてもらいます」


 私は信直に言った。ここからが毛利本軍にとっての本番だ。長宗我部元親は白地城に七千の兵を集めて守りを固めている。つまり東伊予は前哨戦だ。阿波入りしてからが本番ということになる。


 とはいえここまであっさりと東伊予を手放すとは拍子抜けだ。国力差を考えれば妥当な結果だが、そもそも向こうが売ってきた喧嘩だ。油断はするまい。


 私は心中でそう決意して、阿波への進軍を命じた。


 …………


「小早川軍は芝山城の開城を受け讃岐に上陸。即座に勝賀城を陥落させました。現在は十河城を包囲中です。香川親和は救援をあきらめ天霧城に籠城しました」


 阿波との国境を越えた私に讃岐からの報告が届いた。隆景率いる小早川軍も順調のようだ。十河城は現在の香川県の県庁所在地である高松市にあり、讃岐で最大の平野部の中心だ。


 小早川軍が二万、吉川の援軍が五千の二万五千超の軍勢。沿岸諸城のいくつもが内通している。そして指揮官は隆景。十二万石くらいの讃岐が対抗できる軍勢ではない。


 これで前哨戦である東伊予、そして讃岐中央部の攻略は出来た。長宗我部軍は守りを固めるしかない状況だ。彼我の戦力差を考えても順調と言っていい進行だ。


 だが戦争に勝つということは戦勝の数では決まらない。戦国時代の戦の大半は、城を取ったり取られたりを延々と繰り返して双方が空しく損害を積み重ねるものだ。讃岐を完全に平定し、長曾我部元親にそれを認めさせて初めて戦争の勝利が完成する。


 私の本軍はここから白地城の包囲に向かう。元親率いる長宗我部軍の本隊を拘束することで、小早川軍の讃岐平定を容易ならしめるのが第一の目的だ。そして小早川軍が讃岐を平定したら合流して白地城を攻略する。


 白地城は長曾我部元親が四国の要として置いた軍事拠点だ。重心を失えば讃岐、阿波、土佐の長宗我部三国が分断される。つまり長宗我部軍の継戦能力を奪うための急所だ。これを軍事用語で重心と呼ぶ。敵の重心を崩すのが戦争戦略の要諦だ。


 ちなみにこの概念を考え出したのは、例によってクラウゼビッツである。


 ここまでの戦場は晴天で、一片の雲もない。


 ここまで思惑通りに行くとはもしかして私は戦が上手いのではないか。


 もちろん冗談だ。毛利と長宗我部の国力差は五倍以上、これで負けたら凡将どころか愚将だ。

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