第十話 危険な来客

 書院に座る小さな来客を見た私は真っ青になった。板の間に綺麗に足を揃えて座っていた少女はある意味将軍よしあきよりも危険な存在だったのだ。


 ギリギリと音を立てて首をひねり佐世元嘉を見る。まるで主のために困難な仕事をやり遂げたようないい笑顔を浮かべている。


 この男、ついにやってしまったのか。やはり歴史の流れは変わらないのか。もしかして本来の歴史での若妻強奪事件は佐世元嘉の独断だったのか?


「御屋形様、なぜ某を咎人を見るような目でご覧になるのですか」


 罪悪感ゼロだと。いやまてそんな場合では無い。仮に元嘉の独断だったとしても毛利家中の全員が私の命令だと思う。「なるほど御屋形様が鎮守府に入れ込んでいたのはこのためか」みたいな噂が家中を飛び交う様が想像できた。


 いやそんな者では済まないかもしれない。私の脳裏に燃え盛る広島城が浮かんだ。私は即座に判断を下す。


「就英にすぐに戻るように伝えよ」


 保護者立ち合いの元で丁寧に返還しなければ。今が天正で良かった。現代なら家に入れた時点で有罪だったはずだ。


「御屋形様。これはいったい」


 従兄弟の娘の存在を確認した就英はそういって私を見た。それは主君に向けるものではない。この男ついにやってしまったのかという視線だ。さっき私が元嘉を見た目はこんなだったのだろう。私は反省した。元嘉は無実だったのだ。


 就英が来るまでに元嘉を問いただしたところ、なんと周は自ら呉まで来たのだという。海兵隊の組頭に周の侍女の同郷の者がいて案内したのだと言う。縁側で平伏している娘が侍女なのだろう。


 呉城まで案内した余吉が就英か吉保を探していた時、たまたま元嘉が通りがかったらしい。他の者だったら私も家臣に無駄な疑いをかけなかったのに。


「久しいな周。しばらく見ない内にいっそうつ……ゴホン。大きくなった。それで私に願いとは」


 危ない。この時代女性の容姿を褒めるのはセクハラにならないが、私がやるとセクハラ以上になる。何を言うかより誰が言うかが大事なのだ。いや現代でもその基本は変わらないけど。


「実は父元良のことでお願いの儀があってまいりました」


 現代なら中学生の女の子はまさに決死といった表情を浮かべている。私も戦国大名の端くれなので親の仇と睨まれたことは何度もあるが、顔が可愛い分悲壮感がすごい。


 私はごくりと生唾を飲み込んで「言ってみなさい」と言った。


 …………


「な、なるほど。元良に遣わした薬がなくなったと。そういうことか」

「唐国の秘薬であることは承知しております。お与え頂けるなら、ご恩はこの身にかえてもお返しする覚悟にございます」


 事情を聴いて私はようやく事態を把握できたことに安心した。だが周のほうは完全に家族のために身を売る娘だ。この時代普通にあるからシャレにならん。


 元嘉は現代ならグッジョブのハンドサインでも送りそうになっているし、就英は再び私に対する不信感を現している。ひどいな、この場にいる私以外の全員が誤解している。


 そもそもからしてあの薬は児玉元良のために作ったわけではない。薬を作るつもりすらなかった。ニトログリセリン、軍事的に言えば破壊用爆薬ダイナマイトを作ろうとして失敗した残滓だ。


 張元至と玉木吉保は石鹸の廃棄物であるグリセリンと、大量の硝石や硫黄を使ってニトログリセリンの生成に取り組んだ。その結果できたものはぐい呑み一杯くらいの透明な液体だ。


 叩いたら爆発するはずが火をつけても何も起こらなかった。出来ているかどうかすら判別できなかった。その時点で軍事物資としてはあきらめたのだが、一応テストだけはしたのだ。


 ニトログリセリンは火薬であると同時に人体に作用する薬物でもある。血管を拡張することで脈拍を低下させる効果があるのだ。そしてこちらの方はミリグラム単位で効き、しかも即効性がある。


 囚人に口に含ませて脈拍に変化が出るかを医学知識がある玉木吉保に確認させた。指先に付けたくらいの量で効果が出た。つまりミリグラム単位のニトログリセリンは存在していたということだ。


 ニトログリセリンはその効果から心臓の血管が細くなってしまう狭心症の特効薬になる。そこで張元至を元良に使わして試させたのだ。ある意味ダメ元だった。元良が狭心症だという確証はないし、悪化して心筋梗塞になっていたらこの薬は効かない。効いたということは狭心症だったのだろう。


 これで広島城の築城は順調に進み始めた。めでたしめでたしのはずだったが、考えてみれば渡したのはあまり多い量ではない。そもそも少量しかなかったし、反応性が高い物質だから劣化が早いと思ったのだ。


 周が言うには一ヶ月以上前に薬が切れていたらしい。元良は娘を狙うロリコンに頼りたくないので、唐物を扱う商人に同じものを探させたらしい。元至には唐渡の妙薬って言い訳を使わせたからな。もちろん唐どころか南蛮ヨーロッパにも存在していない薬だ。


 結果として薬が切れて苦しむ父親を見た周が思いつめた挙句にこの行動に出た。


 繰り返すが元良にあの薬を与えたのは、広島築城が遅れるのを防ぐためであって、間違っても娘を差し出させるためではない。


 だがこの状況は…………。元良が必要とする薬を用意できるのはこの世で私だけだ。私は平伏した美少女を見た。成人前のおろしたままの黒髪、うなじから続く細くて白い首筋。どんな化粧も若さにはかなわない。


 まさにこれから美しく花開こうとする蕾だ。ここまでお膳立てが整えば、この時代の倫理基準なら割といけるんじゃ。


 私はごくりとつばをのんだ後、平静を装って口を開く。


「これは手抜かりであった。薬はすぐにでも届けさせよう。広島築城は毛利の重要事。それに比べれば唐の薬と言えどもたかの知れたもの。はははっ、元良ともあろう者がおかしな遠慮をしてはならぬ。広島城の普請に油断せぬことが何より肝要。広島築城はそれほど大事なのだ。そのこと元良にはよく伝えてくれ」


 私は広島城を連呼した。薬は広島築城のため。私に下心はないことをしっかり伝えねばならない。


「ありがとうございます。父には文にて御屋形様の御気持ちを伝えまする。むろんここに残るは私自身の意志でござ――」

「いや、その方が知らせてくれたおかげで広島築城の遅れを防げたは殊勝であった。褒めて遣わさねばならんな」


 私はもう一度繰り返した。周は私の真意を問うような目になる。一体どういわせようとしているのかという瞳だ。前科ストーカーのせいで信用がなさすぎる。


「あの薬はすぐに届けさせる故。安心して帰りなさい。元嘉、元至か吉保にだな……」

「ここにございます。ご所望の品お持ちしました」


 元嘉が話を通していたのだろう、吉保がニトログリセリンを持ってきていた。本当にこういうところは気が利く。でも元嘉よ「これは同じ重さの黄金よりも貴重故、しっかりと包んでおります」とか言わなくていいから。


 ほら、おかげで壺を手にしたまま動かなくなってるじゃないか。


「とにかく私の頭にあるのは広島城だけ。そなたが気にすることは何もないのだ。そういえば余吉が道中を取り計らったのだったな。あの者なら間違いない。船を使うことを許す故、組のものと一緒に広島までしかと送るよう言おう」


 とにかく早く無事に返さなければいけない。私に娘をさらわれたと勘違いした元良が謀反の決意でも固めたら、毛利国家の首都計画がとん挫する。


「…………重ね重ねのご配慮、感謝の言葉もございません。それでは私はお暇させていただきます。御忙しい御屋形様を私如きが煩わせたことお許しください」


 周は硬い声音でそういった。やっと私の真意を理解してくれたようだ。でもなんで唇をかみしめるような表情で私を見るんだ。誤解は解けたんだよな。


 …………


「御屋形様。周の無礼をお許しいただき感謝いたします」


 周が侍女と共に部屋を出た後、就英が口を開いた。身内の不始末を詫びる体だが、諫言をする時の口調だ。ホッとしていた私は不安になった。


「私の態度には何の問題もなかったはずだ。薬はあくまで広島城の為であると念を押したが」

「それは承知しております。しかし……」


 就英はちらっと元嘉を見た。あんまり相性の良くない二人がなにか通じ合っている。


「御屋形様の御好みから周が外れたのならそれで良いのですが、あの言いようは少々……」

「……左様でございますな。女子にも女子の面子という物がございますから」


 なんで私のストライクゾーンの話になっている。そもそも史実で私が周を側室にしたのは彼女が十五歳の時、年齢ならこの時代では合法だ。手段がこの時代の倫理観でもアウトというだけで。


 その後男二人、女一人を生ませているわけで。最後の出産は三十歳を超えていたはずだ。


 正直、前に見た時より美少女っぷりに磨きがかかっていたし、あと数年たてばそれこそ西国一の美人になるかもしれないと思ったくらいだ。


 それこそ二年、いや三年後だったら危なかったかもしれない。


 ……現代だったらそれでもアウトだけどな。

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