閑話 逢引き?

 儂は呉の海兵寮を朝早くに出て広島に向かった。呉から広島までは約五里、なんとか一日で往復できる行程じゃ。伊予参陣の骨休めで調練はないが、戦備えは解かれておらんから、夜には戻っておらねばならん。


 昼の前に広島についた。町はどんどんにぎやかになっておる。真ん中奥の御城は中央に大きな御殿が出来ておるし、海の方に土が盛られ陸を作ろうとしておる。


 普請をする人足だけでものすごい数じゃ。安芸の国はもちろん、備後や周防からも人が集まっておるらしい。儂も村におったら召集されておったじゃろうな。城の周りには人足に酒や食い物、そして女子を商う見世が立ち並んでいる。


 儂は賑わう見世を離れてお城を見た。


 これが人の住処かと思うくらいの大きな御殿が真ん中に見える。いずれは中国十二ヶ国の都となるそうじゃ。この御殿に住まう将軍様に仕えていると思うと儂まで少し偉くなった気になる。


 これだけ人が集まるといろいろ諍いも起こるようじゃ。先日は別々の殿様の人足が石の取り合いで大げんかになって怪我人が出たと聞く。


 儂らにとっては他人事ではない。十月には三の組になり、お城の周りの町を守る役じゃ。毛利の御国の中央の守りとなればめったなことでは戦に巻き込まれることはない。


 田助などはそれまで戦が起こらないよう神仏に祈っておる。人足同士の喧嘩に割って入るなら、鉄砲玉は飛んでこんからな。


 伊予での戦、城から鉄砲や矢が飛んでくるのは恐ろしかった。玉が当たったら、などと考えては前に進めん。前におった者たちの中には怪我をした者もおる。


 とはいえ儂らが城の前に着いたときにはもう城は落ちておった。降伏した兵から槍や刀を取り上げて、縛ったりしたくらいじゃ。後でやってきた土居という御味方の殿様は、儂らを神兵だのと褒めておったが、血で真っ赤じゃった土居様とその家来衆の方がずっと怖かったがのう。


 きっと敵の強い者たちはあっちに行っておったんじゃろう。まあ儂らは敵の弱いところを突くために、早く動く調練をされておるから役目どおりじゃな。


 儂らが城を落としたことで土佐の長宗我部の勢は引いていった。儂らの十倍以上おったらしいから、大人しく引いてくれてよかった。


 もちろん前におった組で目的地への一番乗りやら、大きな手柄を立てた者は査定の後で大きな褒美をもらえるらしい。羨ましいが順番は仕方がない。抜け駆けなんかしたら法度違えで放逐されてしまう。


 …………戦という物があれほど容易なものなら、次の戦で儂も手柄をという気持ちもある。もし大組頭に立身すれば知行取り。そうしたらこのお城の侍町に家を構えて嫁を……。


 っと、待ち合わせの場所に急がんと。儂は堀の土をよけるように残された小さな社に向かう。


 広島に来たのは同じ村の幼馴染の菫から文をもらったからじゃ。幼馴染というても儂は余り者で向こうは村乙名の娘。今もこのお城の御奉行様で、儂らの隊将児玉様の従兄弟という、偉いお殿様に奉公しておる。なんと姫様の侍女じゃという。


 いや儂も鎮守府に仕え、小さいとはいえ組を預かる身じゃ。村に居った時も余り者の儂にやさしかった菫のこと、多少は見直してくれるんじゃなかろうか。そもそも折り入って話というのは……。


「余吉さん」

「……おっ、おおぉ。す、菫殿」


 久しぶりに会った菫はびっくりするほど綺麗になっておった。こぎれいな小袖を着て、後ろで縛った髪の毛もつやつやしておる。


「菫殿って。ずいぶんと立派な言葉を使うようになったのね。私も余吉様と言わなくちゃいけないかしら」

「い、いや儂は様なんて付けられる身では……」

「でも足軽の頭を務めているんでしょう」

「頭いうても扶持取りの身じゃし。下の者は五人じゃから。さほどのことでは……」

「それに毛利の御屋形様と一緒に伊予の国まで渡ってお手柄を立てたって」

「ま、まあ確かに戦には勝ったが、いやあれは役目というか、海兵隊皆のてがらというか……ははっ」


 儂は頭を掻く。様なんて組の者にも言われたことはない。いや確かに見直しくれんかと思うておったが、こんな期待を込めた目で見られるとは、これはあるいは……。


 その時クスクスという笑いが聞こえた。社の陰に立つ年若い女子じゃ。被衣かづきをかぶって顔を隠しておる。


「な、なにがおかしいんじゃ」

「申し訳ありません姫様。この者には何も伝えておりませんゆえお許しを」


  儂は思わず顔を赤くして言った。菫が慌ててその女子に頭を下げた。


「ひ、姫様?」


 よく見ると生成り色の被衣の下は、えらく立派な布じゃ。そういえば菫は御領主様の姫君の侍女じゃと。儂は青くなった。年若い娘は被衣を上げて儂に小さく会釈をした。


「私の方こそご無礼を。鎮守府の海兵と言えば伊予を一戦で鎮めた強兵つわものと聞いております。その組を預かるとなれば御屋形様の直参同然の御方」


 幼い顔なのに凛とした表情、気品のある声音はまさに姫君と言われてもおかしくないものじゃった。じゃが、どうして児玉の姫様が菫と一緒に。


「余吉さん。実は余吉さんにお願いがあるの。私たちを余吉さんの……」


 菫が儂に要件を告げた。儂は青ざめた。確かに儂は鎮守府に勤めるが兵にすぎん。将軍様とは草津城の修練の後、一度声を掛けられただけじゃ。


 ……それに御領主様は隊将の児玉様と従兄弟の関係。なんで就英様に頼まんのじゃ?


 よく見ると二人は思いつめた顔をしておる。これは危うい話ではないか。やはり断った方が……。


「ええっとじゃな。儂ごときでは……」

「余吉さんお願い。余吉さんしか頼れる人はいないの」

「わかった。儂に任せよ」


 菫の目をみて、儂はそう答えてしもうた。ほれた娘の潤んだ眼に勝てるわけがない。


 ……ま、まああれじゃ。玉木様あたりにお繋ぎすれば何とかなるじゃろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る