第七話 伊予丸串城の戦い

天正十一年七月。南伊予板島丸串城。


 西園寺家の本拠である板島丸串城は、豊後水道に面した海城だ。以前は当主西園寺公広の弟が預かっていたが、その死後に公広が本拠を移した。現在公広は土居清良の大森城を攻めに出陣中であり、家老の一人が百五十の守兵と共に留守を預かっていた。


 晴天の中、家老が城郭を見回っていたとき、物見やぐらから鐘の音が響いた。


「ご家老。沖に不審な軍船が現れました」

「土佐水軍の後詰はまだ時がかかるのではなかったか」

「御味方に非ず。一文字三星、毛利の軍船と思われます」

「毛利が伊予に着陣したとは聞いておらんぞ。海を見張る大友からも何の連絡もないではないか」


 兵の報告に家老は首をかしげながら櫓に向かった。


 毛利がこんなに早く動くのは考えられない。十五年前に後詰を受けた時のことを家老は覚えている。来る来ると言いながら何度も出陣を延期、約束より一ヶ月以上も遅れたのだ。


 一領具足と呼ばれる長宗我部の迅速な動員に対抗できない。河野の湯築城救援には間に合っても、南伊予までとても届かないはずだ。西園寺家が長年の因縁を捨てて長曾我部に服属することを決めた理由だ。


 確かに水軍ならより速く動けるかも知れないが、それでもこの速さはあり得ない。安芸からこの丸串城までは大友水軍が支配する豊後水道だ。


 家老は物見やぐらに上った。見張り番の言う通り、湾を抜けて軍船が近づいてくる。船体には確かに毛利の家紋が認められた。


「たったの四隻、それも小早船ではないか」


 小早船は船速が早く、上部の櫓がないので背が低くいため、海上では見つかりにくい。数隻なら大友の目を掻い潜ることは可能だろう。だが小早船四艘では兵は合わせて二百程度だ。この城を落とせる数ではない。丸串城は西園寺家の居城として整備されたもの。そこらの山の砦ではない。


「真昼間に堂々と姿を見せたということは牽制のつもりでございましょうか」

「形だけの後詰とは愚かな。いやむしろ我々に馳走しに来たようなもの」


 半日ここにひきつければ大友水軍に連絡して挟み撃ち、いや法華津城に残っている船手衆でも十分だ。小勢とはいえ毛利水軍を破ったとなれば長宗我部に対して大きな土産になる。


 家老が使い番に持たせる伝言を考え始めた時、沖から鐘の音が鳴った。四艘の小早船が船足を上げ近づいてくる。どうやって引き付けるか考えていた家老の前にあれよという間に上陸、一糸乱れぬ隊列を整えた。


 その動きの機敏さに家老はまず驚いた。しかも全員が手にしている獲物は……。


「二百を超える鉄砲兵だと。これは真の城攻めじゃ。法螺貝を吹け。守りを固めさせるのじゃ」


 …………


 パンパン、パンパンという規則正しい鉄砲の音が四方から耳に突き刺さる。味方の鉄砲が散発的に打ち返すが、次々と倒されていく。こちらが一発撃つと、そこに数発の弾丸が飛んでくるのだ。


 戦闘開始からわずか一刻で三の丸、二の丸を突破され、本丸に追い詰められた家老は混乱の中で必死に守兵を指揮していた。


 敵勢が数倍の火縄銃を備えるとはいえ、こちらも長宗我部の援助で四十丁の鉄砲を備えていた。城側は狭間に身を隠して上から撃ちおろすため、射程も狙いの確かさも大きく勝るのは常識だ。


 ところが敵の鉄砲は小筒にも関わらず射程が長く、狙いの正確さは全員が名手と言わんばかりだ。こちらの鉄砲衆を見つけるや弾丸を集中してくる。引き付けて確実に倒そうとした最初の撃ちあいで、数人が狭間を抜いた弾丸により倒された。


 弓手はさらに悲惨で、さらさざるを得ない上半身に弾を受けて大勢が殺された。鉄砲を補うはずの弓衆は城壁の中に身を隠すことしかできない。岩や木を投げて対抗しようにも、絶妙な距離を保ってひたすらこちらの戦力を狙ってくる。


 鉄砲の数と技量だけで恐るべきなのに、軍としての統率まで異常と言っていい練度だ。家老は物見やぐらから敵兵を窺う。


 六人一組で動いている。そのほとんどが小兵である。そろいの草色の小袖と股引の上に、前立てもない頭形ずなり兜と一枚板の鎧という簡易な具足は足軽用の御貸具足に間違いない。


 だが組頭らしきものの指示で六人が一斉に銃を構え放つ。一組が上げた白煙が薄れる頃には、次の組が射撃準備を整えている。まるで組自体が鉄砲の絡繰りのようだ。


 その組が十ほど集まった四つの部隊が、城の四方から仕寄ってくる。どの部隊も早りも遅れもしない。足軽大将らしき武士の指揮で息を揃えて進む姿は上から見ているこちらが気圧される。


 まるで四つ手のある妖怪に二本の腕で立ち向かっているようだ。その四つの腕を動かしているのは浜近くに本営を張ったあの侍大将だ。唐団扇からうちわの旗印は児玉党のもの。


 牽制などと侮った己を家老は呪った。毛利は西園寺家の息の根を一撃で止めることが出来る精鋭を送り込んできたのだ。それも恐るべき速さで。


「皆、城を落ちるのじゃ。一人でも殿の元にこの知らせを――ぐわぁ!!」


 家老の眉間を弾丸が襲い掛かった。辛うじて眉庇が弾いたものの、前立てを砕かれその衝撃に崩れ落ちる。


「ばかな。この距離で当てて見せるだと……」


 家老は薄れる意識の中、自分を撃った敵を見た。海に浮かんだ小早船に一際立派な具足を付けた武将が、白煙を上げる筒を構えていた。


 その武将が被る鳥の頭を思わせる兜は確か雑賀の……。




同日。南伊予大森城。


「殿、西に煙が上がりました。……丸串の御城の方向かと」

「なんだと。まさか本当に落としたというのか」


 清良は物見台に上がって西方を見た。海に面した城から煙が上がっている。丸串城の海を引き込んだ堅固な構えは伺候したことがある清良もよく知っている。


 毛利が伊予に入ったのは一日前。知らせがここに届いたのは昼。使者の言う通りならたった二百そこらの軍で半日、いや数刻で西園寺の本拠が落とされたことになる。


 『囲魏救趙の計』攻められた味方の城を救うために敵の本拠地を攻めるという兵法の一手である。だがこの速さで陥落までさせるなど、それこそ鏡物でも聞いたことがない。


「こちらを欺くための前延の謀……いや」


 城を囲む西園寺軍に明らかな動揺の波が広がっている。おそらく丸串の状況が届いたのだ。幾多の戦場を経た清良には、それが退路を失ったことを知った軍の絶望の色だとわかる。


 そしてそれが清良に密書に示された指示を思い出させた。


「者ども出撃じゃ。逆落としにて敵を討つ。宍戸殿にもすぐに準備を願え」


 清良の軍配と共に大森城の城門が開いた。土居と宍戸の兵が敵陣に突撃を開始した。本城陥落の知らせが伝播したことで西園寺軍は既に浮足立っており、蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。


「法華津勢を崩せ、それでこの戦は勝ちぞ!!」


 清良は軍配を西園寺軍の中で、かろうじて形を保っている一隊に向けた。


 後世、鎮守府海兵隊の初陣と伝わることになる伊予丸串城の戦いで、南伊予の名門西園寺家は一日で壊滅した。法華津前延が討ち死に、西園寺公広は後も見ずに土佐に逃げた。

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