第六話 後詰

 天正十一年六月。伊予国港山城。


「鎮守府将軍殿。此度の後詰感謝に耐えませぬ」

「伊予守護殿。河野と毛利の深き縁を考えれば、手合いは当然のこと」


 港山城に船で入った私は、湯築城から駆け付けた河野通直の挨拶を受けた。二十歳の青年は邪気のない笑顔で私を歓迎している。


 河野氏は国造越智氏の後裔とされ、古代より伊予国に根を張った一族だ。藤原純友の乱や源平合戦の壇ノ浦での活躍が記録されているように水軍とかかわりが深く、一時期は西日本最大の水軍を率いた。三島村上の来島家も代々河野家の重臣だった。


 ただ現在の河野家の本拠地は海を離れた湯築城だ。伊予最大の平野である道後平野を一望できる小山に築かれた大きな城。道後平野の農業生産力と港山城の海運を合わせたのが河野家の力だ。


 現代の四国で言えば愛媛県松山市が勢力の中心。ちなみに松山市は現代でも四国最大の人口を抱えていた。


 四国全島で約八十万石余。伊予は一国で半分弱の三十八万石を占める。つまり本来なら三国を制した長宗我部とも互角に渡り合うことが可能な国力だ。


 だが現状では河野家の直接支配が及ぶ領域はこの中伊予地域に限られ、伊予の五割程度。先代通亘のころから国衆の反乱や土佐や豊後からの侵略を受け、毛利家を後ろ盾に何とか伊予守護の座を保っている形だ。


 要するに守護から戦国大名への体制移行に失敗した家だ。


 その象徴が現当主河野通直と言える。この通直の父は先代河野通亘ではなく来島村上通康で、母は宍戸隆家の長女だ。


 村上通康は来島村上水軍の長であると共に河野家の一門扱いの重臣で、宍戸隆家の長女、つまり毛利元就の孫を妻とした。かつて来島村上が厳島の合戦で真っ先に駆け付けたのはこのためだ。


 村上通康の死後、その妻は河野家先代通亘と再婚した。そして通亘の死後に連れ子である通直が河野家を継いだのだ。


 つまり通直に河野宗家の血は流れていない。一門扱いの村上通康の子で、先代通亘の妻の子だから河野宗家を継承したことになる。こんな無茶が通ったのは通直が毛利家と血縁関係を有するからだ。


 ちなみに本来の歴史では通直は河野最後の当主になる。四国を統一した長宗我部元親に服従した後、秀吉の四国征伐を受けて秀吉に降伏、領地は没収され毛利に保護された。


 そして秀吉の命令により私に殺されたと言われる。


 とはいえ秀吉はもういない。私としても河野通直に伊予を保ってほしいというのは本音だ。


「鎮守府将軍様自らのこれほどお早い御着き。直房お礼の申し上げようもなく。……それで後続の御人数はいつ到着されるのでしょうか」


 港山城の本丸に入った私に、河野家宿老筆頭の平岡直房が単刀直入に聞いてきた。


 平岡家は河野家の宿老で、河野家に残った数少ない忠臣だ。河野家における毛利の取次を務めている。


 直房の気持ちは痛いほどわかる。毛利家当主自ら来たとなればそれこそ数万の大軍を期待する。直房としては「毛利の屋形が万余の兵を率いてきた」と河野家家臣や伊予国衆に触れ回りたいのだ。何なら倍くらいに兵力を盛るだろう。


 だが私が率いているのは四千。渡航を担った川ノ内警固衆を合わせても五千に届かない。しかも私が入ったのは港山城だ。北に瀬戸内海、西に豊後水道を睨み、湯築城の外港である重要地だが、長宗我部の大軍が今にも攻めてきそうな東伊予方向とは反対だ。


 湯築城を盾にいつでも広島に逃げ帰れる場所だ。やる気を疑われても仕方がない。まあ、実際私は長宗我部と戦うつもりがないわけだが。


「安芸はもちろん周防、備後、備中、備前の衆に動員をかけているゆえ心配無用」


 内心を隠して私は言った。ちなみに動員をかけているのは嘘ではないが二か月はかかる。国衆たちは遅刻の常習犯だ。待っていたら伊予が落ちるので、手持ちの兵力をかき集めてきたというのが実情だ。


 福原、宍戸、熊谷、天野と安芸のそうそうたる国衆の旗が並ぶが、部隊一つ一つが小さくて、とてもじゃないが野戦などできない。


 行ってみれば毛利家当主自ら後詰ということで伊予国衆のこれ以上の離反を防ぐためのデモンストレーションだ。


 とはいえ手は打ってある。


「小早川水軍に東伊予。備前水軍に讃岐を伺わせている。長宗我部本軍はおいそれとは進めないでしょう」

「…………確かに先陣を務めるはずの金子ら東伊予衆はいまだ自分の城。元親三男が養子入りした讃岐の香川家の旗印はまだ白地城に見えませぬな」


 平岡直房がわずかに表情を緩めた。


 海上からの牽制は成功している。まあ隆景のやることだから間違いはない。ちなみに備前水軍は旧宇喜多の備前の海沿い国衆を編成したもの。第一次木津川口の海戦には毛利方として宇喜多水軍も参加しているので張り子の虎ではないが、服属間もないためまだ完全に戦力化されていない。


 隆景の指揮下で讃岐周辺を遊弋させることのみで、長宗我部とは戦わないように言ってある。


「毛利水軍は確かに心強くございます。しかし長宗我部にも土佐、阿波の水軍衆がございます。何より白地の兵がそろえば陸上より押してくるは必定。南も同時に向かってきましょう。二万の兵に東と南から撃ち込まれれば湯築は……」

「そうですね。私としても長宗我部元親の鋭鋒とぶつかるのは避けたい」

「なんと!! …………では何をしに伊予にいらしたのか」

「もちろん謀反した西園寺公広の討伐です。もともと当家が頼まれたのはそれですから」

「…………一体いまさら何を」


 平岡直房が絶句した。今まで黙っていた河野通直も目を瞬かせた。私は本丸曲輪から西に見える海に目を向けた。


「すでに我が鎮守府の直属軍を動かしております。大将の就英が言うには一両日中には片が付くと」


 今頃四隻の大型小早船は佐田岬を越えているだろう。二百四十の海兵、彼らをもって西園寺家の謀反を処理する。私の思惑通り行けばそれで長宗我部元親の戦略は破綻する。


 ……初陣で本当にできるのかとちょっと心配だけど。実戦指揮官が大丈夫だと判断したんだから任せるだけだ。








 同日。南伊予大森城。


「そうか!! 毛利の御屋形自ら伊予に入られたか!!」


 土居清良は待ちに待った知らせに喜色を明らかにした。土居家の家臣たちも一斉にほっとした顔になった。主君である西園寺公広の数倍の兵に城を囲まれて十日たっている。


 肉体的にも精神的にも疲弊している籠城の中で、唯一の希望が毛利の後詰だったのだ。そしてそれは予想よりも早く届いた。


「だ、だから言ったであろう。宍戸家次期当主の私がいる限り見捨てられることなどあり得ないと」


 震え声で言ったのは清良と同じ上座に座る宍戸元続だ。


 城主は清良だが、岡本城の落城を経てこの大森城に退却した兵は百二十。この城で最大の兵力を持っているのは援将である宍戸元続だ。清良の見る限り宍戸軍は精強で頼むに足るが、この若き大将は頼りない。


 播磨上月城で初陣を果たしたというが、清良の知る限りその戦は毛利が二万の兵で尼子残党の数百人を殲滅した戦だ。勝ち戦しか知らない大将は脆い。


 虚勢だろうと、元続には士気を保ってもらわなければならない。毛利の援軍を知った敵は城を落とそうと攻勢をかけてくるに違いない。明日にも土佐との国境を越えるであろう長宗我部軍は三千を超す。


 西園寺と合わせたら、城兵との戦力差は十倍を超える。総攻めを仕掛けられれば落城必死の戦力差だ。精一杯持ちこたえて数日か。家臣を前に虚勢を張っているのは清良も同じだった。


「それで毛利の後詰はいつ、どれほどの数を出していただけるのか」


 清良は一番肝心な点を使者に問う。長宗我部の主力は東、河野家は湯築城の防衛が第一だ。だがこちらの守りにも最低でも千は欲しい。毛利家当主自ら後詰となれば、あるいは二千……。


「二百五十と聞いております」


 使者の言葉に曲輪の雰囲気は一気にしぼんだ。唖然とした顔の宍戸元続。清良は再度確認する。


「今二百五十と言ったか。二千五百の間違いではなくか」

「間違いございません。将は瀬戸内から大阪まで名をはせた児玉就英殿。鎮守府将軍様の直属の精鋭とのこと」


 中国十二ヶ国の太守の精鋭がどうして二百五十などということがある。如何に名将が率いてもその数ではどうにもならない。ここを抜かれれば長宗我部軍が伊予全土を挟撃できるのが解らないのか。


 清良はそれでもかろうじて怒りを抑えた。若くして祖父と父を失い、領地から追われ、それでも復帰した清良だ。この時勢では最後はすべて己が覚悟という心得は常に持っている。


「後詰の先鋒のことは分かった。それでその精鋭軍はいつ到着していただけるのか」

「はっ。すでに戦場に到着。本日中に攻撃を開始すると」

「…………何を言っている。そのような軍がどこにおるというのか。如何に二百程度の小勢でも近づけばわかるわ」


 ついに清良は怒声を上げた。だが使者は「これがお預かりした戦立てでございます」と密書を差し出した。


 小さく折りたたまれた紙を開く。掌ほどの大きさの紙に小さな文字で数行に渡って書かれた内容を清良は必死で読んだ。そして絶望した。まるで鏡物にあるような絵空事が書かれている。


 毛利の屋形は状況を把握できていない。やはり戦下手という話は本当か。

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