閑話 四国探題

 天正十一年六月。阿波国。


 四国の東に位置する阿波国は畿内と関係が深い。室町後期に管領として専権をふるった細川家の領国であり、その家臣から出て最初の天下人と称された三好氏の本拠地でもあった。


 その阿波の中心は勝瑞城だ。足利義満を支えた名管領細川頼之が戦勝を言祝ぎ名付けられたと伝わる。


 栄光の歴史を背負った城郭は半ば焼け焦げ、隣国の一国衆に過ぎなかった者たちに占拠されていた。陣幕にある『丸に七つ酢漿草かたばみ』の家紋は土佐の長宗我部のものだ。


「そなたらも運がなかった」


 打ち取った国衆の首一つ一つに酒を注ぎながら、長宗我部元親は満足げに笑った。元親にとってはまさに地獄から極楽の心地だ。一つ間違えばこうして首をさらしていたのは自分だったという思いがある。


 嫡男信親に信長の偏諱を受ける形で織田家の下風に立ち、阿波、讃岐と三好勢を駆逐していた元親にとって、織田家が一転三好と和睦したのは大きな衝撃だった。


 家臣たちが命がけで切り取った阿波と讃岐の両国を放棄せよという一方的な要求を突き付けられた時には、腸がにえがぎった。それでも織田家に逆らっては滅亡あるのみと、取次の明智光秀に讃岐と阿波の返上に同意すると申し送った。だが返ってきたのは織田家が四国に軍を発するという知らせ。


 本能寺の変が起こったのは織田軍の出発当日だった。信長の死により四国遠征軍は四散。元親にとってまさに天祐となった。


 当てが外れたのは織田を頼みに蜂起をした阿波の国衆たちだ。本能寺から二か月後に行われた中富川の戦いで長宗我部は阿波の旧三好国衆を滅ぼした。


 今回の出兵はその残党の征伐である。特に前年撃ち損ねた木津城や泊城などの水軍衆が標的だった。元親は彼らに海から離れた地への領地替えを強いることで、いわば決起を促したのだ。


「これで上方への海路がつながりましたな。兄上」

「うむ。親泰は良く働いてくれた。軍代として阿波を任せる」


 元親は香宗我部親泰に言った。親泰は元親の弟で阿波の平定に貢献した一門衆の筆頭だ。かつて信長への使いを務めた上方通でもある。


「そうだな。この勝瑞城はいささか海から遠い。破却して徳島に新城を築くのだ」

「お任せあれ。木津や泊を潰した今、阿波の海を束ねるには徳島は最適ですぞ」


 元親が弟に指定した徳島は四国最大の川である吉野川の河口にある。東は紀伊水道に面し、北に向かえば淡路島を経て大阪湾や瀬戸内海に通じる。さらに吉野川をさかのぼれば、元親が軍事拠点として強化している白地城に至る。


 そしてこの白地城こそが次の、いや四国平定のための最後の戦のための城だ。


「残るは伊予一国。伊予を取らねば四国を取ったとは言えぬ」


 元親は幔幕に集まった一門重臣に宣言した。


 伊予は河野通直が守護に任じられているが、元親は遠慮するつもりなどなかった。四国探題である以上は伊予も己が支配下にあるが当然。何より四国一統は管領代土岐光秀に内々に認めさせていることだ。


 元親の妻は土岐一族の出であり、土岐一門として遇するという約定を結んでいる。むろん光秀を信じているわけではない。光秀が信長を討ったのは光秀自身のため。上方の者はいつ手の平を返すかわからないというのが元親の考えだ。


 だからこそ己が手で四国を一統し、その実力を示さなければならない。


 すでに伊予東部の国衆も元親になびいている。白地城から伊予に攻め入る地ならしは済んでいる。ただ大国伊予を平定するにはそれだけでは足りない。


「親直。西園寺の調略はどうなっておる。法華津は毛利に脅されあっさり兵を収めたというではないか」

「申し訳ありませぬ。河野がここまで早く毛利に縋るとは予想外でございました」


 元親は譜代重臣久武親直に問うた。親直は平伏して詫びた。


 久武親直は四年前の伊予侵攻で討ち死にした兄の後を継いだい男だ。武勇をもって鳴らした兄と違い、人心を動かすのが上手いため元親は引き続き伊予方面担当の重臣として重用している。


 親直は西園寺家で最大の身代を持つ重臣法華津前延を調略、その前延を通じて西園寺を長宗我部に寝返らせる企みを進めていたのだ。親直を通じて貴重な鉄砲の援助も与えている。


 法華津前延は西園寺家中の反長宗我部筆頭である土居清良を攻撃した。主君である西園寺公広に長宗我部に従属のする決断を促すためと前延は言ったらしい。実際には法華津と土居の因縁だろうと元親は考えているが、国衆はそういうものだ。


 だが元親が阿波にかかりきりの時に動いたのは拙速だった。


 河野の要請を受けた毛利家の介入は想像よりも早く。法華津と土居は早々に和睦。これでは毛利の南伊予への影響力を強めたようなものだ。元親の四国統一にとって最大の敵は河野ではなく、その後ろ盾の中国十二ヶ国の大勢力毛利だ。


「ですが某の策は潰えてはございません。毛利は最後にとんだ手抜かりをいたしました。これを突いて西園寺公広を御当家に従わせるために法華津を動かしております」

「ここからひっくり返して見せると。毛利は何をしでかした」

「はっ。西園寺の丸串城で和睦を祝う席で毛利の宍戸元続が……」


 親直は必死の形相で法華津前延から得た情報を元親に告げた。


「よかろう。西園寺を調略した暁には親直、そなたを伊予軍代に任じよう」

「ありがたき幸せ」


 元親は親直が何よりも欲しがっている彼の兄に与えていた役職を示した。元親の伊予攻略の絵図において、南伊予は欠かせぬからだ。


 四国統一を目指す元親にとって、最大の敵は河野ではなくその後ろ盾の毛利だ。毛利は中国十二ヶ国という強大な勢力だが、動きが鈍い。東と南から一気呵成に伊予を落とすことが必要なのだ。


 己が力で四国を統一して、全島一体の長宗我部国家となす。光秀に約束通りそれを認めさせる。そうすれば毛利もおいそれとは手が出せない。


 一国衆から三ヶ国を支配する身になった元親だが、自分の望みは四国一統まででいいと考えていた。四国支配を認める限りにおいては、光秀の下風に立つ覚悟だ。


 ただし、それは自分の代までの話。


 元親の目が六尺180cmの美丈夫である息子を見た。この息子の才ならいずれ天下に羽ばたける。かつて三好が阿波から天下を取ったように。


 この長宗我部家いつまでも鳥なき島の蝙蝠ではない。

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