第三話 首都計画
天正十一年五月。安芸国広島。
本来の歴史における広島城は三重の水堀で囲まれた広大な城だ。現代まで残っていたのは内堀に囲まれた中心部だけだった。1589年から十年かけて完成した挙句、その翌年が1600年の関ヶ原だ。
関ヶ原で毛利が防長へと追いやられた後、福島家、浅野家と引き継がれ幕末を迎える。維新後も日清戦争の大本営が置かれ、そして第二次世界大戦の原爆投下により天守が倒壊。まさに歴史の証人だ。
私は本丸の予定地で築城奉行の児玉元良と目付の二宮就辰から築城中の広島城の説明を受けていた。
「御屋形様のご指示通り、堀や櫓といった防衛施設より御殿を優先しております」
元良が指さした先には建築中の巨大な平屋がある。私の生活スペースである奥、政庁である中奥、そして正月の拝礼など儀式に使う表広間、少なくともこの三つを今年中に用意したいという私の希望に沿った進行にひとまず安心する。
ここが毛利国家の新首都だと、家臣と傘下国衆たちにしっかりと示さねばならない。最終的には彼らをここに集める必要があるからだ。なるべく早く国家元首である私が移り住まなければいけない。
一時は危ういかと思ったが、張元至を通じてあの薬を遣わして以来、築城は順調にはかどっている。
ミリグラム単位しかできなかったという意味で軍事物資として失敗作となったニトログリセリンが役に立つとはわからないものだ。
「本丸の御殿の次は二の丸……いや鎮守丸を進めてくれ」
元良に二の丸のことを聞くのに背筋を冷やすのは私だけだ。本来の歴史では元良の娘は私の側室として二の丸に住み『二の丸殿』と呼ばれた。もちろん名前を変えることが目的ではない。本丸御殿が毛利国家全体の政庁なら、鎮守丸は鎮守府関係の機能を集める。
現在鎮守府は呉だけだが、将来的には各地に基地を置くことになる。最低でも山陰、四国、九州にひとつづつ欲しい。
ちなみに堀や櫓はちゃんと作るが天守閣は作らない、江戸城ですら明暦の大火で天守閣が焼失した後再建されなかった。政庁としては必要ない施設だからだ。
「国衆からの手伝いを集めた福原貞俊、差配した元良の働きには満足している。これからも励んでくれ。両名には二の丸内に好きな場所に屋敷を与える」
私は内堀予定地の縄張りの向こうを見て言った。本丸と鎮守丸の外側、内堀を取り囲むようにして設定されるのが二の丸だ。ここはいわば一門重臣の屋敷だ。この二の丸の外側が中堀で、外堀との間がその他の家臣たちの屋敷が並ぶ侍町。
まずは当主かその代理となる者、そして禄高に応じた駐在員の広島在住を命じる。家臣をそれぞれの領地から引き離し、軍事行政官として毛利国家に直属させる。今のように何かあったらそれぞれの城から集合では、政治軍事のすべてが遅れてしまう。
ここまでがいわば軍事と行政の話だ。
「次は町割りだな」
「御屋形様の仰せどおり二階、渋谷の両名を呼んでおります」
私は元良、就辰と共に中奥の中で唯一完成している建物に向かう。建物の前で待っていた二人の豪商が会釈をする。海兵隊の装備調達を依頼した二階、つい先ごろまで備前美作での元春、隆景たちの戦で輸送などを担っていた備後尾道の渋谷だ。
両名はいわば毛利の御用商人の代表だ。
私が奥、左に元良、右に就辰、そして大商人二人が向かいに座る形で評議が始まる。ここからは広島という都市の計画だ。ただ武士を集めただけでは都市は機能しない。
「二階、渋谷の両名を広島町年寄に任ずる。両名にはこれまで以上の船を広島を中心に動かす準備をしてくれ。今後広島には中国十二ヶ国の家臣たちが移り住む。就辰」
「分限帖に基づき、広島城には最低でもこれだけの人数が集められることになる」
就辰がこの街の武士の人口の概算を告げる。二人の豪商の目が光った。
生産活動に直接従事しない家臣とその家族などが住むとなれば、広島は一大消費地になる。彼らが消費する食料や物資を支えるための水運が必須となる。廻船商人である両家にとっては莫大な需要の誕生だ。
もちろん、彼らのためにそうするのではない。大量の民間水運はシーパワー国家の基盤だ。以前鉄砲や軍船の注文をした二階家は普段は海運業をしているが、戦時には毛利の兵糧を輸送するという軍役を果たす。
これは海に面した戦国大名家なら皆やっていることだ。むしろこれがなければ遠方に軍隊を動かせない。いや第二次世界大戦においても同様だった。南方油田から本土に石油を運んだのは戦時徴用された民間商船だ。これら商船員の犠牲率は海軍軍人より高かったと言われている。
民間海運力は商業的軍事的に毛利国家の国力そのものだ。というか十二ヶ国に広がった毛利国家は水運網無しに一体性を維持できない。逆に一体性を維持できれば、スケールメリットを得られる。
「広島に荷を運ぶのは良いとしまして。帰りが悩ましいですな」
「それについては考えている。厳島神宮の名を借りて広島に塩座を設立したい。広島に食料を運び込んだ帰りには塩を積み、各国に売りさばいてもらう。他にもおいおい増やしていくつもりだ。せっかくの船を無駄にはできないからな」
「なんと、すでに考えておられましたか」
二階が感心したようにうなった。
広島に物資を運び込む船は帰りの荷を必要とする。そこに安芸で生産した産物を乗せる。ヒントはいわゆる防長三白。これは関ヶ原で三分の一に減封された毛利、つまり長州藩が生産を奨励した産物で米、塩、紙だ。すべて白いので三白と呼ばれた。
特に塩に力を入れるつもりだ。雨が少ない瀬戸内海は古来より製塩が盛んで、塩を年貢として納める荘園の記録もある。現代でも伯方の塩というブランド名が残っているくらいだ。保存がきき人間の生存に必須の塩は戦略物資だ。
「敵に塩を送る」は逸話の類だが塩の重要性は厳然たる事実だ。地の利を生かした大量生産と水運力を駆使して、他地域よりも安い塩を売ることが出来れば、塩を通じて毛利に依存させることが出来る。
さらに一大商業地域として成長した広島は毛利国家の収入面も支える。家臣とその家族郎党が広島で消費する銭はどこから来るのか、それは中国十二ヶ国に広がる彼らの領地からの収入だ。
江戸幕府の参勤交代は移動費用が注目されるが、実際には江戸での生活費の方がはるかに重要だった。参勤交代とは各地の大名領から江戸へのGDPの移転なのだ。広島城に家臣たちを住まわせるということは、いわば毛利国家版参勤交代だ。
これらが成功すれば毛利国家のGDPと税収は大きく増える。
家中統制、行政改革、軍事力強化そしてそれらを支える経済と物流、広島築城の意義は極めて大きい。先行投資として銀を費やしても成し遂げる価値がある。まあ天主閣は作らないけど。
「就辰は其方ら町年寄りの目付でもある。塩座のことも含め、よく相談して進めてくれ。町割りは今後も町年寄の意見を必ず重んじる」
「感服いたしました。我ら両名、命がけで努めさせていただきまする」
二階と渋谷が平伏した。私に商業や都市計画の具体的な知識はない。都市レベルの商業活動となると、大名個人の力など微力だ。他地域との競争に勝つには、市場原理に逆らってはならない。
両商人を就辰に目付けさせることで、私の意図の実現を図る方法しか取れない。武士と商人の境界はこの時代は曖昧だが、それでも情報ギャップの生じるところには必ず利権が生じる。有能なだけでなく公正な人柄の就辰が適任だ。
「では新しい毛利の本拠のこと、四名に任せる」
私はそういうと鎮守府にもどるために立ち上がった。
児玉元良屋敷。
「父様。御屋形様の御検分はいかがでございましたか」
「…………大過なく終わった。児玉の家には格別の邸地をと言われた」
娘に迎えられた元良は草履を脱ぎながら言った。娘の顔がほころぶ。
「それはよろしゅうございました。あれいらい体調も良いですし。周は安堵いたしております」
「うむ、万事滞りなく良いことじゃ」
本当にうれしそうな娘に笑顔で答えながら、元良は内心主君の視察の様子を思い返していた。
まずは城のこと。本丸御殿を優先するのは一刻も早く広島が毛利の中心になると家臣に示すため。中国平定で毛利の領国を倍にした勢いの衰えぬ間に、本拠移転という難事を一気に進める思惑。特に家臣を城下に住まわせるという、多くの者が不便を訴える政を成すためには勢いは必要だ。
大内を食い、尼子を倒し、無理に無理を重ねて拡大した毛利国家は累卵の危うきにある。父の代から奉行として国衆と毛利国家の政をすり合わせてきた元良には、その重要性は分かりすぎるほどわかる。
広島に家臣を集め、大量の船を行き来させ、それに加えて塩座の設立。かつての大内家が山口を西の京と称したそれ以上の町を作るつもりなのだ。十二ヶ国に広がった毛利ならば、それは叶わぬ望みではないのだろう。
容易ならざる大経略の政だ。
加えて当主直属の常備軍を置く。毛利が戦をするときに必須の石見の銀をわずかな兵の養成に費やすと聞いた時は耳を疑ったが、その兵どもは就英の城をまねごととはいえ落とした。叔父の就方すら目を見張るほどの動きだったと聞く。
その兵を交代制として非番の者を広島の警護に当てるという。しかも何か災害があれば村々を助けるためにも動かすというのだ。
広島に住む家臣たちは当主直属の兵に常に囲まれることになる。村の者もそれらの兵を頼りにするようになるかもしれない。そうなれば家臣たちは当主に逆らえなくなるだろう。
吉田郡山城の毛利と広島城の毛利は全く別の国家となる。十二ヶ国の領国を治めるためにどちらが今後の毛利として相応しいかは自明の理である。
広島築城と鎮守府は毛利国家全体を見据えた策というしかない。毛利国家の奉行として本来なら言祝ぐことだ。だが、それがあの屋形の頭から出てきたことが未だに信じがたい。
人というものはあれほど様変わりするものだろうか。就英が心酔するほどの軍才、自分が驚愕する政才、そして海千山千のあの二人の商人を感服させる商才。
それほどのものがある日突然わいてくるものか。日頼様という英傑に身近で仕えたからこそ、あの屋形がそのような英傑であるとは到底思えない。
「唐の国には創業の才、守成の才という言葉があるそうだが……」
「父様?」
居間に入ってもなお難しい顔を崩さない元良。娘が心配そうに見ているのにも気が付いていない。
そういえばあれもあった、あの唐の神薬……。 それを意識したとき元良は突然胸の痛みに襲われた。
「ぐむっ。く、くう……。い、いかん」
「父様どうなされましたか。そうです唐のお薬を……」
周は箪笥に向かった。だが箪笥から白磁の壺を取り出した娘は青くなった。
「父様。お薬がもう……」
「大丈夫じゃ。すぐに収まる。辛抱すれば楽になってくる……ゆえな、げほっ」
「しかし……。そうです新しいお薬を届けさせねば」
「……うむ。唐の商人に頼んでおかねばと思っておるのじゃがな。つい失念した」
元良は脂汗を拭いながら表情を取り繕った。如何に納得いかずとも、奉行として新しい政は受け入れてもいい。だがいかなる才があろうともあの好みは受け入れがたい。
もし薬のことで返しきれぬ借りを作れば……。
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