第二話 取次

 呉城広間で私は義父、宍戸隆家と向かい合っていた。隆家は祖父元就の娘婿でその三女は私の妻。さらに秀吉を討った元春嫡男の元長の妻は隆家の次娘だ。


 毛利家との幾重もの婚姻関係から元春、隆景に次ぐ毛利の一門として扱われる。単に婚姻関係だけでなく毛利の主だった戦のほとんどに参戦し、多くの功績を立てている。


 本来の歴史では宍戸家は長州藩筆頭家老となる。隆家が連れてきた嫡孫元続の子孫が幕末まで毛利を取り仕切る。


 安心して吉田郡山城を預けられる親類であると同時に、極めて丁重に扱う必要がある毛利国家の重鎮だ。


「広島城はいまだ仮組の状態。奥を呼んでも不便を強いることになる。そうそう宍戸の家には広い屋敷地を用意するよう、元良には良く言っておかねばなりませんね」

「御屋形様。某は娘のことで参じたわけではございません。あと敢て申し上げまするが娘の気性は母譲りゆえに諦められよ」


 隆家は謹厳な顔を崩さず言った。孫の元続が笑いをこらえるように顔を伏せた。


 繰り返すが隆家の妻は元就そふの娘だ。つまり私の妻の怒りっぽいのは毛利の血といっている。なるほど義父はどこか私に同情的だと思ったら、本人も強い妻に苦労していたというわけか。


 叔母の気性の激しさは一門内でも有名だったからな。


「本日まかり越しましたのは伊予より急ぎの書状が届いたゆえのことです」

「河野通直からか」


 隆家は二通の書状を懐から取り出した。差出人を見て私は納得した。河野通直は伊予守護であり毛利家にとっては瀬戸内海を挟んだ対岸にいる同盟相手だ。


 ちなみにこの書状は広島にいる私を素通りして吉田郡山城の隆家に届き、隆家と共に広島の私の所まで来たことになる。この時代ではとんでもない手間だが、これが正式な外交手順である。


 宍戸隆家は毛利家における河野通直の取次であり、大名間の外交は取次なしには成立しない。現代風に言えば隆家は毛利国家の伊予担当大使、いや伊予国担当大臣だ。取次とはそれほど重い立場だ。正確に言えばそれほど重い立場の人間にしか務まらない。


 隆家の長女、つまり私の妻の姉は、河野家の先代通亘の妻であり現当主通直はその子である。つまり伊予守護河野通直は隆家の甥だ。それじゃあ隆家は河野とズブズブじゃないかということになるわけだが、ある意味その通りだ。


 伊予の村の一つが隆家の知行となっていて、年に百貫、一千二百万円くらいが隆家に届けられる。河野家に軍役を果たす必要がないので丸儲けだ。これを取次給という。河野家との関係はいわば隆家の利権なのだ。


 当然隆家は毛利国家内での河野家の代弁者の役割も持つ。河野家としても毛利一門重鎮である隆家がいればこそ、毛利との関係に信頼を置くわけだ。


 仮に私が河野家を見捨てる決断をしたら、家中で隆家の面目が潰れて私と妻の間がギスギス……は元からなので、毛利家中が揺れる。


 織田家の長宗我部取次だった光秀が、長宗我部切り捨てで面目を失ったことが本能寺の原因の一つであることを考えれば重大性が分かるだろう。ちなみに荒木村重の反乱も播磨国衆の取次役を秀吉に奪われたことが理由だと言われる。


 とはいえ現状私が河野家を切り捨てることはあり得ない。河野家との同盟の重要性は地図を見れば一発で分かる。


 本国である安芸から見れば伊予は瀬戸内海を挟んで対岸である。いわゆる一衣帯水の関係だ。本拠地となる広島の安全だけではない。『安芸―芸予諸島―伊予』のラインを抑えることで毛利はいざとなれば瀬戸内海を封鎖できる。


 さらに伊予の西隣は九州豊後であり、豊後大友家は毛利の宿敵だ。そして伊予の南は土佐で、四国探題長曾我部の本国。つまり伊予は毛利、大友、長宗我部という大大名に挟まれているのだ。


 この関係から河野家は安定せず、はっきり言えば毛利の後ろ盾がなければ存立不可能なのが現状だ。実際、今から十六年前に土佐一条家から河野が攻められた時は小早川軍が援軍として四国に渡っている。当然宍戸隆家も参陣している。四年前に長宗我部が四国統一を狙って侵攻してきたときも援助している。


 その河野家が再び助力を求めてきた。四国で何か大事が起こったということだ。


「…………西園寺家の重臣同士の諍い」


 書状を確認した私は少し拍子抜けした。西園寺家は南伊予、現代の宇和島あたりの領主で、小大名程度の身代だ。そのさらに家臣間の内紛となると多くて数百人の争い。村同士の喧嘩に毛が生えたレベルだ。


 流石に私まで持ち込まれるような案件ではないと思うが……。


「東伊予の金子氏らの動きが油断ならず。南伊予にまで手が回らないようです」


 隆家が河野家の置かれた事情を説明した。書状にそんなことは書かれていないが、隆家は使者からそういうことは聞いている。こういった情報整理もある意味取次の仕事だ。


 東伊予の国衆金子氏は阿波と讃岐を征服した長宗我部に与している。これは本能寺前に起こったことで、毛利は河野家の後ろ盾として東伊予に海上から圧力をかけている。


 ただ毛利と長宗我部が共に織田の侵攻にさらされたことで争いは棚上げになっていた。ちなみにこの時は将軍足利義昭が役に立った。


 織田家が滅んだ今、長宗我部の東伊予の浸食が再燃するというのは十分あり得ることだ。


 長宗我部元親は幕府の四国探題、河野通直も幕府の伊予守護だ。通直は伊予の国主だが、元親は四国全体の長官。だからこの探題守護システムなんて上手くいくはずないんだよ。


「しかし西園寺は根っからの反長宗我部。争いの当事者は土居清良と法華津前延ですか。数年前はともに長宗我部を撃退したではないですか。そもそも西園寺公広は何をしているのですか。これでは長宗我部に攻めてくれと言ってるようなもの」

「病ということです」


 本当だろうか。うちの家中でも戦が起こると都合よく病気になる家臣が多いが……そしてそういう連中に限って……。


「長宗我部が西園寺に手を伸ばしたということは」

「十分あり得ること。だが直接の介入は当面ない。長曾我部元親は阿波に出兵中とのこと。旧三好残党が勝瑞城にて蜂起したらしい」

「なるほど南伊予とは正反対ですね」


 長宗我部が阿波を平定したのは一年前。長宗我部たこくものの統治に不満が噴出する時期だ。阿波の中心で蜂起となると大規模な反乱だ。


「河野家の取次として進言すれば、長宗我部元親が阿波に出張っている間に騒乱の種は除いておいた方が良いと愚考します」

「確かに南伊予で騒乱が続いていたらまずいですね」


 西園寺家中の喧嘩が伊予守護こうの四国探題ちょうそかべの戦争に発展したら目も当てられない。毛利は同盟ほご者として出兵せざるを得ない。しかも土居清良は毛利とも浅からぬ縁のある者。見捨てては伊予の国衆に毛利はいざという時に助けてくれないと思われる。


 いっそ長宗我部にと考える連中が増える。戦国大名国家はこういう連中の集合体だ。


「宍戸からどれほど出せますか」

「二百五十。最初に手を挙げた法華津の兵とほぼ同数が妥当と考える」


 隆家の判断は適切だろう。今回の毛利の役目はあくまで平和維持活動。紛争当事者の仲介だ。


「その年で伊予まで渡ってもらうのは苦労でしょうが、お願いします」


 そろそろ隠居を考える歳の隆家に労いの言葉を掛けた。だが隆家は孫を掌で指した。


「此度の大将は孫に任せたいと考えておりますゆえ」

「……元続はまだ二十であろう」

「すでに上月で初陣を果たしております。某も伊予に渡って後見いたす」


 私と隆家の間で政治が飛び交った。隆家が「河野取次りけんは孫に継承させたい」と言ったのに対して私が「若すぎて心配だ」と懸念を示した。対して隆家は自分の監督下でやらせると返した。


 ここまで言われては断れない。この時代の役目は家に対してのものだ。河野家取次は宍戸家の役目で、宍戸家当主には家中の誰に任せるかを差配する権限がある。


 何より隆家は六十を超えていて、嫡男を廃嫡しているから嫡孫元続が次期当主だ。毛利の重鎮として経験を積んでもらわなければならない。父を飛ばして祖父を継承する難しさは私自身よく知っている。


「元続。毛利家当主として伊予へ出陣を命じる」

「はっ。毛利の御家の脇柱たる宍戸の跡継ぎとして恥ずかしくない働きをお見せいたします」


 元続はやる気に満ちた言葉で答えた。私は苦労して鷹揚に頷いた。


「……兵糧米についてはこちらで運ばせるゆえ安心せよ」

「ありがとうございます。それではすぐにでも出陣の支度にかかりまするゆえ、御免」


 元続ははやる気持ちを抑えかねるという様子で立ち上がった。隆家は孫を見守る視線だ。老練な隆家が付いていておかしなことにはならないだろう。兵糧は私が出すことで万が一の歯止めになる。


 ちょうどいいから海兵隊に運ばせよう。こういう名目がないと四国まで船を出すのは難しい。海兵隊なら手柄を焦って戦争の引き金を引くなんてこともない。


 しかし脇柱か。一門として宗家を支えるという謙虚な言葉だ。毛利家以外では。


 毛利もりの家  鷲の羽を継ぐ  脇柱


 祖父元就が本家を継いだ時に詠んだ句だ。脇柱、つまり分家でありながら本家を継承することになったという遜りの句である。宍戸は毛利の脇柱、それは間違いないが敢てこの言葉を使うとは……。


 まあ私に向かって堂々と言ったのだから、一門衆としての責任感とやる気と取ろう。私としてもおかげで鎮守府と広島城に集中できるわけだしな。

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