閑話 天下構想

 天正十一年三月。山城国京。


 西洞院大路にある大きな邸宅は京雀から宰相屋敷と呼ばれている。屋敷の主である管領代土岐光秀が参議さいしょうに任じられているからだ。


 屋敷には優美な庭園があり、その中央には『白雲庵』と名付けられた茶室がある。名前の由来は白雲寺、光秀が「ときはいま……」の歌を詠んだ愛宕神社の別名だ。


 庭園横の広間には土岐の五家老が勢ぞろいしていた。


「秀満殿。それでは前田殿が我らに味方するは間違いないと」

「左様。能登守護職を約束してくれるならと」


 家老評議のまとめ役である藤田行政が北陸担当の明智秀満に確認した。


「安いものじゃ。能登の前田がこちらに付けば柴田は分断。春からの上杉の越中侵攻で佐々を止めれば、柴田の本領である越前は時間の問題じゃ」


 尾張から戻ったばかりの斎藤利三が言った。冬の間に伊勢の織田信雄を滅ぼしたことで、残った柴田勝家の切り崩しも進んでいる。勝家は未だ越中、能登、加賀、越前、飛騨の五ヶ国を支配しているが、旧織田家臣を従える名分はない。


 秀満と利光が任地を離れ京に戻っているのは、東方における土岐の優位の現れだ。


「西でも光忠殿のお働きで天王山城も形になりました。これで京都の守りは万全」


 行政の確認に明智光忠が頷いた。


「丹後守護細川殿の働きで但馬の羽柴ももはや虫の息。茂朝殿の播磨東部もようやく進みますな」

「別所重宗がようやく証人ひとじちを出した。これで別所旧領は取り込めましょう。中川清秀殿、高山右近殿は春には播磨に入る準備を指南しています」


 西方担当の光忠と三沢茂朝の成果が確認される。五家老は改めて大きな絵図を見る。日本の中央は土岐の青に染まっている。


「しかし日ノ本はまだ広い。次は徳川か、あるいは……」

「お早りなさるなよ利三殿。本日宰相様が我らを集めたはその為じゃ」

「分かっておる。未だお出にならんから言ったのじゃ」


 利三は庭の茶室に目を向けた。


「いましばらく待たれよ。宰相様は土橋春継と話しておられる」

「我ら家老衆を待たせて、雑賀の地侍とか」


 利三が不満げにそういった時、廊下を歩く足音が近づいてくるのが聞こえた。急ぎも緩みもしない正確な足音を聞いた家老たちは姿勢を改めた。


 広間の戸が開き光秀が入ってきた。平伏する五家老を前に座に就いた光秀は、近習に持たせた絵図を広げさせた。


「今後の日ノ本の形を定めた。これにて一統とする」


 そこには日本全土が綺麗に塗り分けられていた。それぞれ領域の上には大名家の家名と職が記されている。日ノ本の構想、先ほど彼らが話題にしていた疑問への答えだ。だが主君の未来図を見た家老たちはそろって沈黙を守った。


「…………つまり徳川、北条、九州の大友、島津など各地の最有力大名を探題に任じ、それに準ずるものを守護として置くと」


 行政が確かめるように尋ねた。光秀は無言でうなずいた。行政以下は再び押し黙った。


 自分たちの待遇に不満があるわけではない。利三は美濃、秀満は近江、行政は伊勢という大国の守護職を与えられる。織田家を倒した褒美として十分なものだ。丹波守護の光忠、東播磨守護の茂朝もそれに準ずる。


 光秀が管領代として支配する畿内五ヶ国を、彼ら土岐家老や筒井、細川など有力与力が固める。畿内とその近国の体制としては万全といっていい。


 ちなみに畿内五ヶ国は『宰相様御領国』と呼ばれ始めている。将軍足利義昭はその名を聞くたびに不快になるとまことしやかに言われている。もちろんここにいる者たちはそれがうわさではなく事実であることを承知の上だ。


 問題はその外側だ。


「恐れながら、これではあまりに各地の大名どもが勝手をしませぬか……。もし彼らがかつての鎌倉公方のごとくに……」


 行政がもう一度聞いた。


 室町幕府が守護の統制に苦労したのは良く知られている。室町幕府がまだ機能していた時ですら、関東以東や九州は統制できていなかった。関東公方などは応仁の乱を待たず幕府の統制を外れ、三十年を超える『享徳の乱』を引き起こしている。


 さらに言えば、例えば関東探題となる北条と常陸守護の佐竹、安房守護の里見などはこれまで血みどろの争いを繰り返してきた間柄だ。


 ありていに言えば光秀の構想は室町幕府の焼き直しであり、むしろより不安定なものに見える。


「遠国の探題、守護を抑える策は既に定まっている」


 光秀は桔梗の青駒を地図に置いていく。


 紀州の雑賀と根来、摂津堺、近江国友に駒が置かれた。図面に加わった意味を全員が即座に悟った。それらはすべて鉄砲の大産地だ。光秀が自分たち家老を待たせて、雑賀の土橋と話していた理由を彼らは悟った。


 つまり彼らの主君の構想は鉄砲生産地を独占することで軍事的圧倒的強者の立場を保持するということ。それは確かに室町幕府には欠けていた要素だ。

 

「浅慮恥じ入るばかりでございまする。ですが一つ懸念がありまする。鉄砲の生産を独占してもここを塞がれれば」


 行政はそういって絵図の西に指を向けた。そこには海外と畿内を結ぶ、海路がある。鉄砲は火薬の原料である硝石と鉛がなければ役に立たない。それらは国外から瀬戸内海を通じて畿内に届くのだ。


 その瀬戸内海を蓋するように西国最大の勢力となった家が存在している。光秀は鷹揚に頷いて、行政の懸念を認めた。


「……つまりかの家だけはそのままとはいかぬと。戦の大義はどうなされまするか。武田信秋の安芸派遣は論外として、淡路の国分でございますか」


 行政に変わって尋ねた茂朝に対して光秀は首を振り、末席の男に目をやった。


「長曾我部元親殿を四国探題に任ずる使い、この頼辰が務めまする」


 石谷頼辰、土岐家における長宗我部の取次役だ。長宗我部は今や土佐のみならず阿波と讃岐の大半を制している。もはや四国に残るのは伊予河野家のみだ。


 そして河野家の現当主通宣は毛利元就の曾孫である。





第一章完





******* 後書 *******

2024年1月30日:

ここまで読んでいただきありがとうございます。

一章は序章から一転組織づくりの話でしたが、最後までお付き合いいただき感謝です。おかげさまで本日の歴史・時代・伝奇ジャンルで日間、週間、月間の一位をいただいております。

(カクヨムコン9の十万字も何とかクリア。間に合うか冷や冷やでした)


ブックマークや★評価、いいねなどで応援していただきありがとうございます。コメント、レビューはとても励みになっています。また誤字脱字のご指摘には本当に助けていただいています。


第二章ですが『代理戦争(仮)』として現在構想中です。勢いを切らないようなるべく早く開始したいと思っています。

第二章で再びお会いできることを作者として願っています。



最後に別作品の紹介をさせてください。

『AIのための小説講座 書けなくなった小説家、小説を書きたいAI少女の先生になる』が最終章投稿中です。よろしければこちらも読んでやってください。


https://kakuyomu.jp/works/16817330648438201762


それでは改めてここまで読んでいただきありがとうございました。

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