第十五話 草津攻めⅡ
前からは本曲輪から降りてくる十人。城の中心におるだけあって立派な具足の強そうな侍ばかり。真っ赤に染まった刀を構えてにじり寄って来おる。
背後には突然十人以上の敵が出てきおった。カンカンという打合いの音と共に、儂らに続くはずじゃった三組の者たちの悲鳴が聞こえてくる。
儂らは組の者四人に、組頭をやられてついてきた三人の八人。このままじゃ挟み撃ちになってしまう。儂ら裏門を担当する大組はそれで全滅じゃ。こりゃどうしようもない。
……ようやった方じゃないかのう。大組頭の山縣様がやられたのに目的地の三の曲輪までは来たわけじゃ。あの刀に打たれるは痛かろうが、城の奥で討ち死にじゃったら面目も……。
その時儂の耳に表の戦いの音が聞こえてきた。
そうじゃ、まだあきらめるわけにはいかん。もし儂らが全滅すれば表の者たちの苦労が台無しになる。最初は見も知らん者たちじゃったが同じ飯を食い、同じように舟を漕ぎ、浜や山を走った仲間じゃ。ここであきらめるわけにはいかん。
何度も言われた。儂ら海兵隊は面目や手柄ではなく、目的のために働くと。裏門勢の役目は敵を少しでも引き付けておくこと。敵を討つでも本曲輪に攻め込むことでもない。何かできることがあるはずじゃ。
そうじゃ。その目的のためにこの小さな三の曲輪へ向かうわけがあったはずじゃ。ここを攻めれば城の侍たちが捨て置けん理由があるんじゃった。
そうじゃ、ここにはあれがあるはずじゃ。呉の城でも見たはずのあの建物……どこじゃ、どこにある。
儂の目に曲輪の奥にある石造りの蔵が目に入った。儂は組の者に指示する。
「みんな。あの蔵じゃ。あそこに向かえ」
「ここまでじゃ。おとなしく降参すれば、命まではとらん」
本曲輪に引っ付くように建てられた蔵の前で、儂らは敵に囲まれていた。赤いものを滴らせる切っ先がこちらに向く。側面からは老武者が率いる敵がにじり寄って気おる。下の組の者はやられてしもうた。
「助佐まだか」
「もう少しじゃ」
儂は後ろの助佐に聞く。助佐は身体は小さいが手先が器用じゃ。
「これまでだな。こ奴らを速やかに打ち取れ。表門の加勢に向かわねばならん」
駄目じゃったか。こうなれば潔く……。儂がそう覚悟したとき、ガチャっという音が背後で響いた。
「頭開いた。蔵が開いたぞ」
「ようやった。し、指南……じゃなかった謀反人ども。こ、これをみるのじゃ」
儂は松明を手にすると、開いた蔵の中にそれを放り込んだ。きょとんとした侍たち。じゃが背後から来ておった老武者がはっとした顔になった。
「こやつ、蔵に火をつけよった。水じゃ。水を持ってこい。いや土じゃ。急げ」
「し、しかしご隠居様。若殿の下知では表門に向かわねば」
「何を言っておる。これは焔硝蔵じゃぞ。早く消さんと本曲輪まで吹き飛ぶ。あと儂はまだ隠居しておらん」
「こ、これ田助。もうちょっと丁寧にやってくれ。染みるんじゃ」
「仕方ないじゃろうが頭。こうすることになっとるんじゃからな。ちゃんと手は洗ったから安心してくれ」
儂は擦りむいた足に布を巻く田助にいった。
「手に泡がついておる。洗った後ちゃんと水で流しておらんではないか。しゃぼんの泡は染みるんじゃぞ」
焔硝蔵に松明を投げ込んだ後、儂らは三の曲輪を滑り降りるように撤退した。目的を達成した以上は、あそこであれ以上戦っても意味はない。海兵隊は同胞のために少しでも長く生き残る。儂らがまだ生きとるというだけで、敵は表に集中できん。
まあ、おかげで地面に着いたときに足をすりむいてしもうたが。
上は大騒ぎじゃ。表を攻めておった仲間たちが本曲輪に迫っておる。儂らはちゃんと役割を果たせたんじゃ。これくらいの傷は良しとせにゃあならん。
「本曲輪を囲んだ訓練生から連絡。児玉就英様。城兵の命と引き換えに切腹すると申し出ております」
「そうか。勝負はあったな」
私はやっと肩の力を抜いた。そして草津城の城門をくぐった。
色々おぜん立てがあったとはいえ、まさか勝つとは思わなかった。
本曲輪の前ではさっきまで敵味方に分かれていた両軍が、和気あいあいと酒を飲み、餅を食う光景が広がっていた。木刀と木の
ただ本曲輪の中ではここの城主、いや城主の息子がうずくまっていた。
「腹を切らせてくださいませ」
敵方大将就英が私に向かって叫んだ。
「落ち着け就英、
「であらばこそ。児玉家代々の城を落とされた面目がございません」
代々って就英が生まれたころこの草津はまだ武田の城だ。
ちなみに今のところ草津児玉家を転封させるつもりはない。草津城の川ノ内警固衆と呉の海兵隊、つまり
まあそういう意味でも今回の実戦形式の演習には意味があった。異なる軍隊が互いを知るのに戦うほど効果的なことはない。
「しかも御屋形様のような戦下手に敗れるなど恥辱千万」
就英はついに板間に自分の拳を叩きつけた。さっきまで謀反人役をやっていたのがまだ残っているのか。いやこれはどちらかと言えば本音だな。
「それも含めて就英の戦立て通りの結果ではないか」
私は就英からの書状を見せた。
海兵隊の構想通り、国衆の謀反に対して迅速に駆け付け、城の準備が整うよりも早く鎮圧する、という形になっている。大友の援軍という設定は、タイムリミットのためだ。
この演習に関しては以前から就英に計画作成を命じていた。あの日はその相談をする予定になっていた。
私が大慌てさせられたのはこの演習計画で、海兵隊側を私自身が指揮することになっていたからだ。訓練生のこれまでの成果を大将として直接確認してほしいということだった。それなら事前に知らせてもらわなければ困るのだが海が荒れるこの季節、天候が穏やかになったタイミングを逃せなかったらしい。
まあ実際の戦闘指揮を執ったのは就英に同心しなかったという設定の指南役が務める大組頭だったが。
「それはあくまで呉方の戦立て。我らとしては城に寄せる訓練生を蹴散らし、安宅に乗り込み君側の奸が首を上げるはずでした」
就英の言葉に私の右横にいた元嘉がたじろいだ。左隣の元吉は今回の演習費用、特に赤い染料の消費量にこめかみを引きつらせている。紅花から取れる赤の染料は古来からあるが、発酵など複雑な工程を経て作られる高級品で、江戸時代に大量生産されるまでかなり高価なのだ。
「そういえば就方の兵が突然出てきたときには焦ったぞ。確か監禁されているという筋書きではなかったか」
私は何食わぬ顔で肩を回している老人に話を振った。
「我が城が落とされると思うと、つい倅に同心してしもうた」
老人は矍鑠たる様で笑った。児玉一族の長老に《つい》で謀反されたら毛利家が滅ぶ。ちなみに就方は七十近いが、史実では今から数年後の紀州戦に参加した記録がある。
まあ確かに戦は何が起こるかわからないものだが。話では訓練生に城が落とされるわけがないと油断する川ノ内衆に小芝居までして本気度を示したって。
「とはいえ海兵隊とやらに一当てしてみた甲斐はござった。倅の気持ちもわからんではありませぬ。かような精兵が常に御手元にあるとなれば、我らも今後の御奉公の在り方を考えねばなりませぬて。井上党の二の舞は御免でござるからのう」
就方は皺だらけの口をくいっと上げて言った。私は一瞬、この親子の城に身を置いていることに恐怖を感じた。
「いや、これは老いぼれの戯言。聞き流してくだされ」
就方はすぐに矍鑠とした様で笑う。
井上党、
この
就方が言っているのは私が海兵隊を家中統制に使うということ。例えば海兵隊の存在を脅しに家臣に転封を迫るとかだな。私としても完全に否定はできない。
少なくとも海兵隊にその潜在力があることは、今回私が実際に確認した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます