第十四話 草津攻めⅠ

 呉城は極度の緊張状態に陥っていた。突然の事態に本曲輪に集まった側近の面々も青い顔をしている。


「就英は何が不満なのだ。替地は望みのままに与えると言ったぞ。元嘉、就英に伝えたのはそなただな。様子はどうだったのだ」

「そ、某は御屋形様の申されたとおりに伝えました。決して急ぎ城を明け渡して忠義の証を、などとは……」


 佐世元嘉がぶんぶんと首を振った。こんな時でも一言付け加えないと気が済まない。この男は絶対に転封の使者には使わない。


「されど児玉殿は本来忠義厚きお方。この度の御沙汰を取り消し翻意を促すしかないのでは」


 いつもは帳簿を睨んでいる榎本元吉もうろたえている。いや元吉のことだからこれからかかる費用にうろたえているのかもしれないが。


 就辰がいてくれれば年の功で落ち着かせてくれるかもしれないが広島だ。元至は博多の次は堺に回っている。元慶は先日の判紙を届けに備前。よりによって勘定方と秘書しかいない。なんでこんなタイミングで……。


「もはや手遅れだ。これは捕らえた間者が持っていた密書だ」


 私は小ぶりの紙を側近たちに見せた。普通の料紙を四分の一くらいに折りたたんだ紙は密書によく使われるものだ。差出人は毛利と繰り返し争ってきた大友家で、就英に援軍を出すと約束が書かれている。九州の大友が広島まで来るわけがないというのは甘い考えだ。かつて武田と大内の戦に大友水軍が援軍としてきた実績がちゃんとある。


 海を使った機動力が有効だからこそ、私はそれをさらに進めた海兵隊を作ろうとしている。そもそも就英ほどの将が反乱するんだから、勝算のある形になっているに決まっている。


「なるほど。これがいわゆる手切れの一札……」


 私たちをしり目に玉木吉保は書状の内容を書き写している。このままだと鎮守府初期の最悪の失策と記録されるだろう。


 事ここに至っては将軍の私が覚悟を決めるしかない。


「大友軍が来る前に草津城を落とす。今即座に動かせるのは鎮守府海兵隊のみ。謀反に与しなかった指南役四名を大組頭、訓練生の見込みあるものを組頭として急ぎ出陣の用意を整えよ」


 いつかこのような時が来るとは思っていたがよりによって児玉就英相手とは、鎮守府海兵隊のことを私以上に知り尽くしている男にどうやって勝てというんだ。



 鎮守府海兵隊組頭見習。村田余吉。


 三の鐘が鳴るや儂ら組頭見習は本曲輪に呼ばれた。本当なら鉄砲の手入れの修練のはずじゃったが、将軍さま直々に御命令があるとのこと。庭に並ぶわれらの前に、立派な鎧兜を付けた将軍様が二人の側近と一緒に出てこられた。儂らに交じって浜を走っておるときはそこまで思わんかったが、こうしてみると確かにお大名様だ。


 まあ立派な具足をつけておられても指南頭の児玉様と比べると頼りなく感じるが。側に並んでいる勘定方の榎本様と腰巾着の佐世様もどうにも落ち着きがない。儂らに文字を教えてくれた玉木様だけがいつも通りじゃった。


 そこで告げられたことを聞いた時、儂らもみな震え上がった。


「余吉……いや頭。えらいことになった。よりによって指南頭様が相手とは」

「そうじゃ、勝てるわけがなかろうが。儂らまだ鉄砲の手習いを始めたばかりぞ」


 浜に集めた組の者五人が心細げに儂を見る。


 あの競技会からしばらくして組替えがあった。儂は何故か組頭の一人に選ばれた。選ばれた時は誇らしさを感じたが事ここに至っては愚かしい話じゃ。そもそも組頭というてもあくまで見習の身、じゃったはずなのじゃが。


「大丈夫じゃ。儂らはこれまでの調練通りにやるだけよ。ここ最近草津の城まで何往復も艪を漕いだではないか」

「行って帰るだけじゃないんじゃぞ。城攻めじゃ。兵法では城攻めには……ええっと」

「三倍の兵がいる、じゃろう。……ええっとじゃな。そうじゃ敵方は我らがすぐに出陣とは思うておらん。今向こうの城におるのは番方の百程度じゃと。草津の城を抜けた指南役がそう言っておる」


 儂は渡された戦立てを確認していった。こちらは二百四十じゃから、三倍には足りんが仕方がない。明日になって川ノ内衆全員が集まっては千を越える。しかも海の向こうから加勢が来るらしい。


 どうしても今夜で片をつけねばならん。


「とにかくこの四つの月の間、どれだけ調練に汗を流したか思い出すのじゃ。「調練で流した汗が多ければ戦場いくさばで流す血は少なくなる」繰り返し聞かされたじゃろうが」


 儂が声を張り上げると皆がやっと前を向いた。戦に出たことがない儂がこんなことを言っても仕方がないんじゃが、儂らに今あるのはこれまでの調練だけじゃ。


「ほれ。鐘が鳴った。皆船に乗り込め」


 己の恐怖を必死に押さえつけて命じた。不思議なもので震えておった身体がお城の鐘の音を聞くと自然に動いた。


 ま、まあ大丈夫じゃ、組頭といっても儂は見習い大組頭山縣様の指示に従えばええ。戦立てはすべて決まっておるんじゃしな。




 儂らは艪を漕ぎ湾を渡る。幸いこの季節とは思えないほど波も風も穏やかじゃ。前回草津に往復したときは、もっと風が強かった。じゃが油断は出来ん。指南役からは「負け戦でも死ぬのは十に一人。だが冬の海で船が転べばみんな死ぬ」とさんざん言われた。……その指南役も今は敵方なんじゃが。


 城が見えてきたところで儂らの大組頭山縣様船から合図があった。儂は城の裏手に進路を取る。全員の装備を確認して、船溜まりの中に船をつける。儂らの小早よりもずっと大きな船がつながれておる。


 篝火に照らされた城壁は前見た時よりもずっと高く大きく見える。


 予定通り船の周りには数人の見張りがいるだけ。船を陰にするように城の裏門に近づく。山縣様の手の合図とともに止まって待つ。城の向こう側から掛かれの音声が聞こえた。表の三つの大組が攻めかかった印じゃ。よし儂らも急いで裏門に行かねば。


「誰じゃ!! ……皆の者敵じゃ。もう裏に回られておる」


 見張りの一人が松明を振って城に合図をする。しもうた気づかれた。山縣様が大きく手を振り下ろした。儂らは喊声を上げて裏門に向かって駆けだした。




「ど、どうする余吉」

「どうすると言われても。どうすればいいんじゃ」


 裏門を突破した儂らは城をぐるりと囲む外曲輪に張り付くようにしていた。上からは玉が降り注いでくる。儂は流れる汗をぬぐった。まずいことになった、裏門を突破するとき大組頭の山縣様がやられてしもうた。他にも十人以上がやられた。


 本当なら山縣様の弟が、城の門を開ける手はずじゃったのに。おかげで儂らは組ごとにばらばら。上から降ってくる玉に、身を隠すだけしかできん。


 ええっと、確か大組頭がやられたら組頭の中で一番最初に任じられたものが采配を引き継ぐはずじゃ。儂が組頭になったのは前の首替えじゃから、儂に回ってくることはない。じゃが、これではどこに誰がおるかもわからん。


「まずい頭。吾六がやられた」

「隣の組の頭がやられたらしい、残った三人が儂らに合流したいといっておる」


 肩から大量の赤い汁を流しながら吾六が地面を引きづるようにして岩陰に回収される。城から降ってきた玉にやられたんじゃ。あれじゃもう動けん。山育ちで組で一等身が軽い吾六がやられてしもうたは痛い。それに三人が儂の組下に付きたいじゃと。



「頭。どうする」


 考えることが多すぎて何が何だかわからん。半年前までただ命じられるままに田畑をはいずっておった儂にどうしろと言うんじゃ。


 いや、こういう時の調練もした。どう考えても三つのことしかできん時間で、五つのことを命じられる調練じゃ。あの時は確か何とか四つ片付けて指南役に怒られた。どうして一番大事な一つか、二つのことに専心せんのかって。無茶苦茶いいおると思ったが、こういう時のためじゃったんじゃ。


 こういう時はまずは役割じゃ。懐から組頭に配られた絵図を見る。儂らの目的は本曲輪の後ろの三の曲輪の占拠……。


「あそこじゃ、あの角を曲がれば石垣が低い場所がある。そこから三の曲輪に入れる」

「角にたどり着くまでに玉に当たったら」

「駆けるしかない。儂らが侍に勝てることがあるとしたら足だけじゃ。儂が先頭に立つ。いくのじゃ」


 足が沈み込むような浜、木々が転がる山道、それに比べれは城の中は何ということもない。玉に当たらねばじゃが、それはもう運じゃ。


 首尾よく三の曲輪に入ることが出来た。背中を見せた城の番衆が見えた。儂が合図すると同時に、八人全員が玉を放つ。バタバタと赤く染まる侍たち。初めて首尾よういったきがする。


 儂が背後を確認すると、残った三つの組が儂らの後に続いて曲輪に上ろうとしておる。なんで儂が大組頭みたいなことになっておるんじゃ。


 じゃが大体全部で十が二つか。これだけおれば戦立て通りのことが出来るはず。


「頭ぁ!! 後ろに敵じゃ。十は居る。おっかない老武者が先頭に突っ込んできおる」

「なんじゃと、そんなことは聞いておらんぞ。な、何かの間違いでは……」

「か、頭、前じゃ、本曲輪よりも降りてきおる」


 本曲輪より敵兵が下りてくるのが見える。あれは先ほどやられた大組頭の山縣様の兄上じゃ。儂らのために門を開けるといって裏切った。武士は親兄弟が殺し合うとは本当じゃった。

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