第十三話 手切れの一札

 天正十年十二月。呉鎮守府。


「これが新しい鉄砲の玉割りの結果か。目を見張るべきものだな」


 私は吉保が差し出した射撃試験の数字を見て唸った。褐色火薬の実用化はたった一ヶ月で大きく前進した。


 従来の九割の火薬量で有効射程が一割、約十メートル延びた。それで命中率が変わらない。ちょっとしたチート兵器だ。


 鉄砲の威力は玉の重さとスピードで決まる。鉛玉を使うのは同じ体積で鉄よりも重いからだ。鉛は国内でも産出するが、鉄砲の大量使用により不足して東南アジアから輸入している。これは前世の知識だが、重量比で半分弱が輸入品でタイ産であることが解っていた。


 西国にあり、石見の銀を目当てに海外商人がくる毛利は比較的有利な立場だ。東国では鉛が足りずに性能が落ちることを承知で鉄で代用した例があったはずだ。


 褐色火薬を用いたことで口径に対して従来より玉を大きくすることが出来た。二匁から二匁一分、たった五パーセントだが増した玉の重さが威力に反映される。


 スピードに関しては銃身の中で火薬の爆発エネルギーをどれだけ玉に乗せられるかで決まる。一番単純なのは砲身を長くすることだ。発射までに時間(距離)を掛けて加速できるので、銃口から飛び出す時の速度が上がる。


 褐色火薬の場合は玉と銃身の隙間が小さくなったことで、爆発エネルギーが無駄なく玉に乗ることになる。黒色火薬でこんなことをすれば爆発エネルギーが銃身を破壊するが、じっくり爆発する褐色火薬の性質が効いている。というか軍事史的には褐色火薬はこのために開発されたものだ。


 ちなみにこの銃の口径と玉の大きさの割合を【玉割】といい、鉄砲術においては秘中の秘とされる。


 玉の重量増加と初速の高速化、どちらもわずかだが駆け合わさって一割の有効射程増加の達成だ。命中精度に関しても口径と弾丸の大きさが近づいたことで発射時のブレが少なくなっているのだろう。


 言うは易しである、これは褐色火薬の性質と量、玉の大きさなど複雑なパラメーターを最適化する必要がある。この短期間でそれをして見せた重朝の力量はすさまじい。


 しかも最優先事項を保ったままだ。私は帳簿に記された最も重要な数値を見る。それは暴発の頻度と故障率だ。どちらも半減している。これで鉄砲運用の不確実性と兵站の負担を大きく軽減できる。


 海兵隊の目標である神速の兵は個人技能ではなくプラットフォームに支えられたものでなければならない。第二次世界大戦で真珠湾の奇襲から、イギリス東洋艦隊の撃滅まで、初期の快進撃を支えた超練度の搭乗員はあっと言う間に失われた。


「重朝に対する他の鉄砲衆の態度は」

「佐世殿の言うには、最初は新参者の鈴木殿が高禄を与えられたことへのやっかみのようなことがございましたが、ある時点で収まったと……」


 なんと重朝は揺れる船の上から浜の的に当てて見せたらしい。雑賀荘は紀ノ川の河口に位置する。織田の黒船と最初に戦ったのも雑賀水軍だ。船上で鉄砲を扱うノウハウがあるのは不思議ではないが、いやはやだ。


「褐色火薬についてはひとまずは完成だな」

「はい。ただ御屋形様のもう一つのご所望である水火薬については上手くいっておりません」


 吉保が悔しそうに言った。水火薬とはニトログリセリンだ。ニトログリセリンはグリセリンを硝酸と硫酸の混酸で処理して作る。石鹸作りで余剰産物として出たグリセリンを見て思い付いた。ダイナマイトが出来れば城攻めに有効と思ったのだ。


 吉保から受け取った壺の中身を一滴だけ取って金づちで叩いてみる。金属音しかしない。思い切って火を近づけたが、火花すら飛ばない。


 そもそも出来てないか出来ていてもごく少量かだ。


「これは気にせずともいい。褐色火薬が出来ただけで十分だ」

「そういっていただけると助かりますが。ではこれを榎本殿に」


 吉保が帳簿を私に渡す。水火薬の試作に使った費用だ。私も怖くなった。ここまで金を掛けてしまうとせめて出来たかどうかだけでも確かめたくなる。


 そういえば出来たかどうかだけなら試す方法があるか。


「吉保。死罪となる罪人にこの水火薬を試させてくれ。ああ、毒で処刑ではない。むしろこれは薬でな……」


 私は吉保に人体実験を命じた。これが上手くいけば元吉きんこばんに成功はした、と言い訳が出来る。通じるかどうかは別として。


 私が焔硝蔵から出ると待っていたように佐世元嘉が近づいてきた。


「御屋形様。広島城についてですが二宮殿から先ぶれが……」

「そうか元良がこちらにか。到着しだい会うと就辰に伝えてくれ」

「かしこまりました」


 私ことが嫌いな元良がわざわざ呉まで説明にくるとは。ああ万が一にも娘に近づけまいとして、自分から出向くことにしたのか。




「隆景殿から判紙はんがみを五枚お預けいただきたいと」

「分かった今用意する」


 本曲輪の書院にもどった私は恐縮する元慶に頷いた。元嘉が用意した料紙に筆を執る。ちなみに元吉は私が渡した帳簿を睨んでいる。今更だが毛利家には「もとよし」が多すぎる。


 私の側近の中でも堅田元よし、佐世元よし、榎本元よしと過半数。そういえば広島の児玉元良ももとよしだな。まあ『元』が隆元せんだい輝元わたしの偏諱で、武士の名前でいい意味の漢字は大体「よし」と読むから仕方ないんだけど。


 じゃあ『輝』を与えればと思うかもしれないが将軍せんだい足利義輝からの偏諱なので、私が勝手にやるわけにはいかない。私が室町将軍よしあきに全く敬意を払うつもりがないことがばれる。


 左三分の一くらいの所に花押を記した紙を量産する。これを判紙はんがみという。要するに決裁印だけ押した白紙の紙だ。当たり前だがめったな者には渡せない。文字通りの白紙委任状だ。


 前に渡した分が尽きたということは、それだけ多くの者が毛利の安堵を求めているということ。つまり宇喜多家が崩壊している印だ。


「そういえば杉元宣という若武者が功を上げたと。宇喜多水軍の間を縫って備前と播磨の連絡を見事にこなしたとのことです」

「ほうそれは殊勝だな。働き次第では感状を…………」

「どうなさりましたか御屋形様」


 佐世元嘉が私の表情の変化にいち早く気が付いた。本当に勘がいい。杉元宣は本来の歴史では九州に出兵中に十五歳の若妻を私に奪われ、秀吉に非道を訴えようと上方へ向かうところを隆景に処刑された。その若妻強奪の実行犯はこの元嘉だ。


 隆景が働きをほめるくらいだから史実で殺されたのは百パーセント私のせいだということだな。時期的には児玉元良の娘と結婚の話が進んでいてもおかしくない。


 ……無事戻ってきたら働きにしっかり報いよう。とにかく宇喜多攻めはほぼ終盤だ。隆景の見立てでは春までに片が付くとある。となると後は……。


 「児玉元良殿まいられました」と榎本元吉が告げた。私は執務室の隣の広間に向かう。


 呉城の狭い広間で私は普請奉行児玉元良と向かい合っていた。従兄弟である就英より二、三歳上だが、渋顔のせいでより老けて見える。いや、これは私の偏見かもしれないな。急いできたのか、まだ息が切れている。


「国衆からの手伝いの人数が集まらぬのか」

「全く持って苦労でござる。織田との戦がようやっと終わったとおもったら次はこの大普請でございますからな。吉田の福原殿が矢の催促にておいおい揃うてきました。とはいえ、この堀の大きさですと……」


 普請に人数を出すのは国衆にとっては大型臨時増税だ。吉田で国衆に催促する福原も、実際に広島で奉行として差配する元良にとっても大変なのは事実。


「分かった。堀や石垣よりも本丸、二の丸の建築を優先してくれ。まずは毛利の政庁としての役割が大事だ」

「すでにそのように進めております。ただ木の値が上がっており今の費えでは」

「石見の銀をもっと回せというのか」

「左様にござる。広島築城はお家の大事。今少し銭を回していただければはかどりまする。話では鎮守府の人数は大分脱落……減らされたとか」

「選ばれし精鋭ゆえに金がかかるのだ」

「先ほど浜を見ましたが、ずいぶんと小兵の精鋭でございますな。たった二百そこらに百を超える鉄砲を持たせ、雑賀の衆を雇い弾薬を惜しまず訓練させるおつもりとか」


 就英から筒抜けだ。別に毛利本家の奉行の元良に隠す理由はないが。まあこれに関しては結果が出るまで言われること自体は覚悟している。もちろん譲ることはできないが。


 問題は築城の進め方ではない。私に上がっている就辰めつけの報告では、そこら辺はちゃんとしている。元吉に調べさせた帳簿も整っている。毛利に対しては忠実で有能という評価を改める必要は感じない。


 ただ遅い。それも元良のサボタージュめいた行為で。


「広島への本城移転について何か思うことがあるのか」

「…………実際に広島の地に暮らし、かの地が本城にふさわしいと思っております」

「腹を割ってくれんか。銀のほかにも何か不満があるはず」

「これはしたり。元良御には不満など持ちませぬ」


 広島移転に文句はないと。となると残った原因はロリコン嫌いなのだが。以前みたいにストーカーはしていないぞ。主君の立場を利用して家臣の家に上がり込むというパワハラとの合わせ技をストーカーなんて言葉で表現できるとしたらだが。


 そもそも毛利譜代家臣筆頭格で、祖父の代からの奉行職じゅうしんである元良に強制する力は毛利当主にはない。史実でも私が元良の娘に手を出すのは元良の死後だ。


 まてよ私が強奪したのは確か娘が十五歳の時だよな……。


「そういえば其方の娘は幾つ……いや何でもない」


 地雷を踏んだことに気が付き、慌てて口を閉じた。だが元良は顔を赤くして目を剥いた。


「いま娘とおっしゃったか。この際ですからいわせていただきますが、御屋形様はまず五龍の御方様との間に嫡男をお上げに」

「い、いや他意はないのだ」


 まさか娘の年齢で元良おやがいつ死ぬか測ろうとしたなんて言えない。


「だいたい御屋形様は以前より!! …………ぐむっ、んんんっ……。がはっ」

「も、元良。如何がした」


 怒鳴りつけんばかりの剣幕だった元良がいきなり胸を押さえて苦しみだした。顔は青ざめ、脂汗が額を濡らしている。


「元至……はまだ博多だったな。元嘉、吉保を呼べ」

「だ、大事ござら……この発作は……すぐに、おさまり……ますゆ……。ゼイゼイ。も、もうだいじょう……」


 元良は医者を呼ぼうとした私を制して、ゼイゼイと息を吐く。本人が言った通り、だんだんと息が収まっていく。しばらくしたら何もなかったようにけろりとしてしまった。


 広島に戻る元良を本曲輪の玄関まで送る。背中を丸めて坂を下っていく背中を見て考える。築城の遅れの原因は病である可能性が高い。しかもかなり重いのではないか。


 だが罷免は面目を潰すことになる。補佐という形で就辰を実質的な責任者にするか。吉田の福原貞俊と相談しなければならないだろうな。とにかく一度元至か吉保に診断させて病気療養という形を整える必要がある。


 そういえばあの症状は見たことがあるな。前世で私の叔父があんなふうに苦しんでいた。あの時代には特効薬があって…………そうそう確か火薬工場で発見された……。


 まてよ。アレがあればあるいは。元保に結果を聞いてから考えよう。うまくいけば広島築城の問題も解決するかもしれない。そうすれば毛利三矢政策はすべて軌道に乗ることになる。


 私は吉保が刑場から帰ってきたか確かめるため焔硝蔵に向かおうとした。だがその時、元嘉が困惑の表情で私の方に来た。後ろには御貸着を着た訓練生が一人ついてきている。


「御屋形様。この訓練生が児玉殿からの書状を持って参ったと」

「訓練生が? しかも就英が私に書状だと」


 這いつくばるようにして平伏する訓練生は震える手で私に書状を捧げる。まるで殿さまに直訴する百姓だ。まあそれくらいあり得ないことだ。


 就英のような重臣でも家臣が主君に直接書状を出すというのは非礼だ。書状とは対等の間柄で交わされるのが建前なのだ。例えば私が光秀宛てに書状を出すのは問題ない。大名同士だからだ。だがもし私の家臣が光秀宛てに書状を出したら外交問題になる。


 私の家臣と光秀が対等なら、私は光秀の上位者ということになるからだ。間違いなく突き返される。戦国大名同士の外交文章のやり取りは一言ではとても説明できないくらいにややこしい。


 こういう場合は就英が私の側近の誰か、例えば目の前で困惑している元嘉に書状を書き、元嘉が私に披露するという形をとる。現代の手紙なら『御机下』とか書かれるのはこの名残だ。


「そもそも私に話があるなら就英が直接来ればよいではないか」

「……それが訓練生が言うには。その、児玉殿は指南役を率い草津城にお戻りになったと」

「それこそ聞いてないぞ」


 まさか敵の襲来か。大友という名前が頭に浮かぶ。いや大友は四年前に耳川の戦いで島津に大敗してまだ立て直し中のはずだ。大友、島津間の調停をしようとしていた信長は死んだし、それを引き継ぐはずの秀吉も私が討った。


「とにかく見よう」


 私は書状を紐解いた。大振りでまっすぐな文字、筆跡は間違いなく就英のものだ。うわぁ、日付の直下に名前がなくて一行ずらしてある。


 こんな書状を主君に送り付けるとか、それこそ謀反でも覚悟しない限り………………なん、だと!?









 同時刻、広島湾西岸、草津城。


 本曲輪の板間に白帷子を着た老人が転がっていた。この城の主児玉就方である。就方は体をひねり、本来自分のものである床几に座る男を睨む。


「ならん、ならんぞ就英。毛利の御家に児玉が刃を向けるなど」

「もはや御屋形様、いや輝元めには以上ついていけぬ。これほど尽くした我が家から草津を取り上げるとは。しかも最近は佐世元嘉のような若輩や重朝のような新参者ばかりを重んじる。このままでは我ら代々仕えるものは追いやられるは必定」


 鎧兜で身を固めた四十前の武将が怒り心頭とばかりに、床を叩いた。


「それならば家臣としてまずは諫めるが先ではないか」

「もう遅うござる。輝元めにはすでに手切れを突き付け申した。それに豊後大友からもこのように御味方いただけると」

「な、なんということを」


 目の前に放り出された書状を見て就方は絶句した。

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