第十二話 雑賀孫三郎
「紀州雑賀の住人鈴木孫三郎重朝でございまする」
就英の案内で書院に入ってきた男はそう名乗った。
「孫三郎殿ということは孫市重秀殿の」
唾をのんで聞いた私に、重朝は「重秀は父でございます」と答えた。就英が淡路在陣時に友誼を結んだのが雑賀衆の頭目鈴木重秀、つまり世に言う雑賀孫一と聞いて期待していたが、後継者が来てくれるとは期待以上だ。
重朝の父
雑賀衆を本願寺の主力と見た信長はその本拠地である雑賀を潰そうとした。羽柴秀吉や明智光秀、北畠信雄に神戸信孝と、重臣一族の多くを動員、十万を超える兵力で紀伊に攻め込んだのだ。信長がどれほど雑賀衆を評価していたかが分かる。
そしてなんと重秀たち雑賀衆は、この信長の紀州攻めを跳ね返した。形式上は雑賀衆が信長に詫びて兵を引いてもらった形だが、これだけの大動員しておいて相手が謝ったから許してやった、というのは信長の負けである。
知らせを聞いた当時の私も歓喜したのを覚えている。この時点では、雑賀と毛利は対織田同盟で共闘していた間柄だ。第一次第二次木津川口の海戦もこの石山合戦の過程で起こっている。
だが本願寺が織田家と和睦した後は重秀は織田に近づいた。圧倒的な国力差から戦闘で勝利しても最終的には負けると判断したのだろう。その結果、重秀率いる親織田派と反織田派閥が雑賀荘内で抗争になり、重秀は反織田派のリーダー土橋胤継を暗殺するという非情の方法で勝利した。
ところがその数か月後に起こったのが本能寺の変だ。雑賀でも反織田派が巻き返し重秀は領地を追われた。今は根来あたりに潜伏しているようだ。
ちなみに本来の歴史なら重秀は秀吉に仕えて復権し、目の前の重朝もその跡を継いで豊臣の家臣になるはずだが、その歴史は私が変えてしまった。
「児玉殿は信の置ける
「就英が重秀殿と共に戦った話は聞いている」
石山合戦で本願寺の兵站を支えていたのは毛利で、その指揮を執っていたのは淡路で毛利水軍を統括していた就英だ。重秀と就英は播磨で兵糧搬入の打ち合わせをした際に肝胆相照らす仲になったらしい。
毛利水軍と雑賀鉄砲隊、織田家を苦しめた二人の名将が共闘していたわけだ。
この重朝は父親ほど有名ではないが、豊臣秀頼の鉄砲頭として伏見城の戦いで鳥居元忠を討った武将だ。関ヶ原後に伊達家を経て徳川家康に召し抱えられ、最後は水戸徳川に付けられた。
関ヶ原の敗将の扱いではない。彼の持つ専門技能が極めて優れていた証だ。
もちろんその専門技能とは鉄砲を的に当てるのが上手い、という個人技能ではない。鉄砲隊の指揮運用全般のことだ。そのノウハウは「隊員は全員ライフルマン」である海兵隊とってどれだけ重要かは言うまでもない。
「我が鎮守府に仕官してくれると考えてよいか」
「児玉殿からは雑賀に負けぬ鉄砲隊を作らんと志していることを聞いております。某はお役に立てると自負しておりまする」
重朝は堂々と私を正面から見据える。
「ですがお仕えするかどうかは鎮守府の鉄砲を見せていただいてからご返答仕りたい」
地侍集団の頭目の子、それも本領を失った流浪の身で百十二万石、いや現在少なくとも百五十万石の大名を値踏みすると。いや、おそらく私が寄るに足る主か見極めようとしてる。
雑賀衆は特定の主を持たぬ地侍の自治組織、その性質は傭兵団だ。
問題はアレを見せて大丈夫かだが……。ここは就英の推挙を信じるしかない。本願寺が対織田の最前線で戦っていた時、大阪湾に最後まで残って兵站を繋いでいたのが就英だ。
ちなみに同時期の私は宇喜多が裏切るんじゃないかって逡巡して織田相手の最後の勝機を逃している。ああなるほど、やはりこちらが腹を開かねば駄目だな。
「城の裏に射撃訓練場がある。我が鎮守府の鉄砲をしかと見分してもらおう」
早合を銃口から入れ、鉄の棒を用いて銃身の奥に装填する。火縄を銃後部の火縄通しに通過させ、火ばさみに挟む。火ぶたを開けて口薬を入れ、銃を構えて的を見る。
轟音と共に白煙が舞った。一斉に顔を伏せた毛利本家の鉄砲衆。私は衝撃で痺れる手をさする。ちなみに弾は的をかすりもせず背後の土盛にめり込んでいる。
「外れましたな」
私の横で玉木吉保が言った。言うだけでなく書き留めている。仕事熱心で結構。石鹸や褐色火薬もやらせているのに、ちゃんと記録係としての使命を忘れていない。
なぜ私が鉄砲を撃っているかと言うと、重朝がそう要求したからだ。「就英殿からは鎮守府将軍御自ら鉄砲の工夫をなされると聞いております」と言われると断れない。
褐色火薬は一応完成している。少なくとも普通の黒色火薬と遜色ないレベルに。つまり外したのは私の腕だ。海兵隊員は全員ライフルマンであり将軍も例外ではない、もっと練習しなければいけない。
「しからば某が」
重朝が私から鉄砲を受け取る。重さを確かめるように軽く構えた後、早合を見てわずかに顔を顰めた。無言で装填して銃を構える。私とはまるで違う流れるような動作だ。とはいえ装備方特製の弾丸は特別だ。今まで試験をしてきた吉田から連れてきた手練れの鉄砲衆でも最初は苦労したと聞いている。
初めてでどれだけ使いこなせるか。
重朝の弾は的の真上を飛び越えた。重朝は一切動揺することなくもう一度玉込めをする。
轟音と共に的の真ん中に穴が開いた。
就英、吉保、そして私とここにいる者全員が驚愕する。たった一発試しただけで使いこなした。一体どれだけ鉄砲に習熟しているんだ。
重朝は鉄砲を下ろすと、まだ使っていない早合から鉛玉を取り外し。指でつまむ。
「普通の小筒の二匁玉よりもわずかに大きいですな。にもかかわらず反動が小さい。すなわち
そういって早合の火薬部分の包みを解いた。黒ではなく褐色の火薬が油紙からこぼれた。重朝はそれを指でこすると、じっと見る。
「色が薄い。木炭が違うか。…………察するに暴発を防ぐための調合」
「雑賀にはこの弾薬と同じものがあるのか?」
私は思わず尋ねた。
「さに非ず。小筒にこの大きさの玉を込めれば最悪暴発。ですが鎮守府将軍様は恐れる様子もなく鉄砲を持たれ、児玉殿を初め周囲の者も止めなかった。あるいは火薬の量を減らしていたのかと思いましたが、それならば玉の距離がおかしい。そして実際に撃ってみたら威力はわずかに上」
「火薬はもともと宋で生まれた。元は練丹術だそうだ。鎮守府には唐から来た医師の子がいる。何でも今の唐には神機営と呼ばれる鉄砲軍があり。そこで賄賂に目がくらんだ商人が質の悪い木炭を納めたことがあるそうだ。その話を聞いて……」用意していた言い訳を破棄し、私はただ「見事」といった。
これだけの技能を見せられれば下手な嘘は失笑されるだけだ。
「さに非ず。見事はこの鉄砲の工夫」
重朝はそういうと私の前に片膝をついた。
「実は自ら鉄砲の装填をされた手つきを見て決めておりました。十二ヶ国の主が普段より鉄砲の訓練をされておるは、就英殿が言われた志の証。それになにより……」
重朝はそこまで言った後、こぼれた褐色火薬を見て不敵に笑った。
「これを見せられた後に断れば生きてここを出られますまい」
「鈴木重朝を鎮守府鉄砲頭に任じる。知行三百貫。ただしそのうち二百貫は無役として銀にて支給する。上方の重秀殿に良しなに」
「ご配慮、忝し」
私は
重朝には海兵隊の鉄砲の指南をしてもらわなければいけないので、彼自身が多くの兵を率いる必要がないのが一つ。もう一つは上方に潜伏している重秀への仕送りをできるようにだ。
現在の雑賀衆が実質的には明智方である以上、それと敵対する重秀に助力することは将来への布石だ。
新参者を厚遇しすぎだというであろう家中のことは……あくまで鎮守府の被官ということで何とか誤魔化そう。この男に鎮守府の新しい鉄砲を任せることが出来れば、この程度はすぐに元が取れるだろう。
とにかくこれで鉄砲も目途が付いたな。宇喜多攻めは順調だし。後は広島築城くらいか。
同日。広島の児玉元良屋敷。
「父様、父様大丈夫でござりまするか」
「ゼイゼイ……。か、周。大事ない。いつものことじゃ。すぐ……収まるゆえ心配……するな」
「しかし父様。こちらに移られてから悪くなっておりまする」
周は父の文机に並ぶ多くの紙を見た。女の目にはわからぬも内容だが、父の仕事が増えているのは分かる。
「…………もしや御屋形様が無理な御命令を」
「そ、そのようなことはないぞ。周が気に病むことなど何もない。そういえば、唐から伝わる心の臓の薬があるそうなのだ。今度それを持ってくるように薬師に頼んでおる」
「……分かりました。父様どうかお身体をいとうてくださいませ」
周は主君の顔を思い浮かべる。武将としての雄々しさをまったく感じさせない殿方。用事もないのにたびたび家に来ては、自分を見る怪しげな目に怖気を感じた。
父が自分を召し出そうとする要求を突っぱねたと聞いた時は安心したが、もしそのせいで……。
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