第十一話 海兵寮競技会
天正十年十月半ば。呉鎮守府。村田余吉。
いつもよりも楽な二の鐘の調練後、昼餉を食った儂らは同房六人で浜辺に整列していた。今日の調練はいつもとは違う。今までの調練をつなげて戦のまねごとをするのじゃそうな。
まあ敵がおるわけでも矢玉が飛んでくるわけでもない。一つ一つはいつもやっとる調練じゃ。いや敵は周囲の他の房の者たちか。四十の組のうち、十までに曲輪に付いた組には褒美が出る。
おかげで仮組頭の庄衛門がぴりぴりとした気を発しておる。儂も出来るなら褒美は欲しい。同じ村の菫が広島の屋敷に奉公に出ていると聞いた……。
いかん。調練に雑念は禁物じゃ。いつも通りやるだけじゃ。だいたい儂は組兵の一人。組頭の庄衛門についていけばええ。庄衛門は力自慢じゃし、あれでなかなか面倒見もいいから大丈夫じゃろう。
ただ儂は何とかなるかもしれんが、田助と助佐が少し心もとないかもしれん。
儂は今朝配られた調練の定め書きを念のため確認する。儂がこんなことをしても仕方がないのじゃが、せっかく多少は文字も読めるようになったしのう。
鐘が鳴った。儂らは一斉に小早船に向かって走った。小早船は一艘当たり四組が乗り込む。目的地に着くまではこの三組は仲間じゃ。
他の組のものとも力を合わせて船を押し出し、乗り込む。皆一斉に艪を取る。周囲の船を見るとまだ乗り込みが終わっていないものが半数以上ある。幸先よしじゃ。っとすでに沖に向かって漕ぎ始めておる船が……あの船は指南役のじゃから勘定に入らん。
組頭の掛け声とともに、心を一つにして櫂を漕ぐ。決して急いではならぬ。この三月の調練で、疲れ果てず漕ぎ続けられる塩梅は叩き込まれておる。最初は海の上に出るのも怖かったが、艪を漕ぐのもだいぶ慣れてきた。
ただいつもよりも顔に当たる潮風がきつい気がする。
上陸地点である岩場が見えてきた。船の順位は三つ目か。一つの船に四組じゃから……だいたい褒美のうちじゃ。
「戦艪じゃ」
組頭の声が響いた。少し早くないか。いやこのままでは後ろの船に抜かされるかもしれん。それにみなと同じく組頭の指示に従わんと。全力で艪を漕ぐ。上陸地点が近づいてくる。腕がつかれる、力を込めたふくらはぎが痺れる。じゃがあと少しじゃ。
船上で皮袋を背負い、腹に風呂敷を巻く。背中の革袋が弾薬などを入れる袋。腹の風呂敷は兵糧や綱など。腰の帯には木刀と火打石。すべてそろっておる。
「田助。順番を守るんじゃ。荷物を濡らしたら減点じゃぞ」
「お。おおすまん。あわててしもうた」
浜を走るのはお手の物じゃ。急いだおかげで六つ目まで上がっておる。だが助佐の走り方が少しおかしい。大丈夫じゃろうか。
城の裏山に入った。砂浜のように足を取られぬが上り坂はきつい。いつも走っておる道じゃが、草むらには縄が張られておる。前に木が道を塞いでいる。庄衛門は軽々と飛び越えよるのは流石じゃが、儂は気をつけんと……。
「がっ」
一番後ろを進んでいた助佐が縄に足を取られた。足首を抑えて呻いている。
「この馬鹿者がっ!! ええわ、おいてけ」
「しょうえ……頭、そりゃいかんて。
儂は助佐に肩を貸して進む。腹立たしいのは同じじゃ。じゃが調練の定めで隊の者を見捨ててはならぬことになっておる。全員がそろって門を通過しなければ失格じゃ。
「す、すまんの余吉」
「しゃあない。こういう時はお互い様じゃ。ほれ城の裏の門が見えてきたぞ。あと少しじゃ」
曲輪に付いた儂は疲れて座り込んだ。将軍様からの褒美の銭袋を振っておる者たちの顔が腹が立つ。
結局儂らの組は十が二つにさらに四つだった。ほうびにはほど遠い。頭の庄衛門がぶすっとしている。気持ちは分かる、自分一人ならと思うておるのだろう。
ただあの海のとき、戦櫂への合図、あれが少し早かったのではと思わんでもない。あれで体があまり大きくない田助と助佐がついていくのが大変になった。それが山での助佐の怪我になったとしたら……。
そういえば指南役組、儂らの一つ目の組よりもずっと速く城についておる。最初から勝てぬのは当たり前と思っておったがどうしてこんなに差がつくのじゃ。
……もしも、もしもじゃ。儂が頭ならどうしたか……。
ばらばらと海兵寮に戻っていく訓練生たち。就英は指南役の部下たちを集めた。裏山で査定をしていた指南役から番号が書かれた紙が就英に差し出される。
「……軍律を無視して兵を置いていったのはこれら四組か。仮組頭には念を押したが、まあそうであろうな」
「はい。多少動けるようになったと思っていたが、鉛玉が来るわけでも槍で突かれるわけでもないのにこれでは、まだまだ」
教義に指南役組として参加した部下が言った。指南組は候補生たちよりもはるかに速く曲輪に到達した。指南役としての威厳は十分保たれたといえる。これで緩み始めていた訓練生たちの性根も引き締まるだろう。
だが物見やぐらから訓練生たちを見ていた就英の見立ては部下とは少し違う。
確かに訓練生たちは戦場に立たせるには遠い。一つ一つの調練では守れた規律が調練を組み合わせて競わせればほころびる。これは予想通りだ。そして戦場はこれ以上だ。
就英たち多くの戦場を経験した者にとって、矢玉が飛んでこないと解っている調練など、所詮はまねごとだ。
だが…………。就英は城の物見櫓から見た訓練生たちの動きをもう一度思い出す。城に仕寄る訓練生たちの隊列。戦に出たことはおろか、櫂を握ったこともなかった者たちが、たった季節一つで。そして軍律に従わなかった組はわずか一割だけ。
もし平賀、天野など安芸の国衆の兵に同じことをやらせたら…………。いやこのままでいけばあるいは草津の兵すらも……。
「そういえば、崩れかけたところから立て直した組がありましたな。頭ではなく兵の進言で踏みとどまっておりました。しかも率先して怪我をした同輩を助けておりました」
「……それは見込みがあるかもしれんな。覚えておこう」
就英は部下から聞いた訓練生の名前を心にとどめた。
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