第九話 輝元出頭人Ⅱ

「石見銀山ですがオヤカタサマのおっしゃる通りでシタ」


 訛のある口調で私に告げたのは、細い口髭を左右に伸ばした男だ。家中では張唐衛門尉と呼ばれるが本名は張元至ちょうげんしちゅうごく人だ。大内家に仕えた明の医師の子で、大内氏に取って代わった毛利に仕えた。


 唐人医というと徳川信康切腹事件に関わったとされる西慶が上がるが、この時代中国からの医師に需要があったことを示している。


 この張元至、本来の歴史では私の側近として毛利国家の行政に関わった。古くは鑑真や北条時宗が招いた無学祖元など渡来僧の活躍は知られているが、大名の側近として政治に直接関与した例は他に知らない。


 跡継ぎ秀就の守り役を任されているので、よほど信頼されたのだろう。そのせいもあってか本来の歴史では関ヶ原後に悲惨な末路をたどった人物だ。


 鎮守府での張元至の役割は政治的というより家業に関係したもの。つまり医療関係だ。


 まずは石見銀山の公害病だ。石見銀山は大内氏支配時代に灰吹法が伝わったことで生産量が劇的に上がったが、灰吹法は水銀や鉛による重金属汚染をもたらす。元至の報告を見ると三十歳まで生きれないものが続出するとんでもないことになっている。


「オヤカタ様の御命令通り、吹屋の窓や入り口を大きくして気の流れを広げることを、からの知識と称して伝えましタ。また病を得た者の数や症状を記録し報告するように命じておりマス」

「明医師を親に持つ元至の言葉なら聞く耳をもつだろう。吹師にとっても育てた職人が早死にしないに越したことはないはずだ」


 銀生産は、銀鉱石を掘り出す銀堀などの鉱夫と、吹大工など精錬に関わる職人に分かれる。早急に改善できる見込みがあるのが精錬の方だ。貴重な専門技能者の犠牲は石見銀山のコストだ。これを改善することは鎮守府の財源増加につながる。


「もう一つの南蛮……下剤のことにございまスル。二階殿が南蛮船から買い付けた下剤をタマキ殿に渡しておりましたガ」

「どうなった!!」


 私は思わず声を高めた。側近たちが一斉に素知らぬ顔になった。腹の悩みを抱えていると思れただろう。だがそんなことは本当に些細な問題だ。


「不完全ながら泡立つものが出来たとのことデス」

「よし。後で私が直接確認する」


 この時代鉄砲と共に日本に入ってきた品物がある。私も博多商人を通じて献上されたことがある。その時はこんなものがあるのか程度だった。


 だが今の私にとっては絶対に手に入れなければならない文字通りの神薬だ。輸入品は高価すぎるので、国産化しなければならない。褐色火薬と並ぶ、いやもしかしたらそれ以上かもしれない装備方の重要プロジェクトである。


 元至は石見銀山関係に派遣したので、常に鎮守府にいる玉木吉保と組ませた。吉保は京都で医術を学んでいて、本来の歴史では医学書を残した。この時代の医学の水準はアレなんだが、粉末や多様な材料の扱いに関する知識がある。ちなみに向こうの方から興味を持ってきた。記録係だけというのは働いている気にならないらしい。


 あと特異な知識は「唐国渡り、南蛮渡り」と言っておけばいいのでカモフラージュに持ってこいだ。火薬は中国で発明されたし、この下剤も海外から日本に入った。


 元至が下がった後、にじり寄るようにして最後の側近が私の前に来た。


「家中の様子はどうなっている元嘉」

「吉田の福原殿、宍戸殿はお変わりなく。また三入の熊谷殿も新しいお役目に不満をもっているという話はございません。家中全体の空気も、備前美作の勝ち戦からおおむね良いかと」


 佐世元嘉が家中の様子を報告する。元嘉は尼子の家臣だったので家中にしがらみがない。また真面目でまめな性格だけあって事細かく調べてくれる。実にありがたい存在だ。


「そういえば広島の児玉元良殿について私からも一つご報告がございます」


 元嘉が声を潜めた。私は思わず耳をそばだてる。広島築城の遅れを聞いたばかりだ。


「実はご息女を仮屋敷に伴ってきております。いかがでしょうか築城の遅れを問いただす……苦労をねぎらうということで元良殿の屋敷に御成りになるのは」


 まるで一番重要な情報を伝えたような元嘉。私はこれさえなければと思った。その優秀な頭はもっと大事なことに使ってもらいたい。将来佞臣とか言われるようになったらどうする。


 この佐世元嘉、史実では朝鮮出兵でも関ヶ原でも私の留守の本拠地広島を任されている信頼厚い男だ。だが同時に輝元わたしによる家臣妻強奪事件の実行犯である。


「確かにこれ以上遅れるようであれば話は聞かねばならぬ。就辰、いずれ元良にこちらに来るように伝えてもらうかもしれん」


 私はそういうことで元嘉のストーカー提案をやんわりと拒否した。そして「みな担当どおりに頼む」というと装備方に向かうために立ち上がった。


 焔硝蔵に向かいながら考える。


 中国平定戦、広島築城、そして鎮守府での海兵の訓練に装備開発。多数のプロジェクトを抱えている私にとって側近団は必須だ。だが主君の側近と国家の重鎮の権力争いはいつの時代でも組織の宿痾だ。


 重鎮は毛利というに仕え、側近は国家元首であるに仕える。重鎮は毛利国家が安泰なら私はどうなってもいいし、側近は毛利国家が揺らごうと私の関心を買おうとする。


 祖父元就は重臣十五人に推戴されて毛利家を継いだが、自分の意志を通すために五奉行を置いた。これは側近に近い。だが私に家督を継がせるときには福原、小早川、吉川という一族重鎮を後見人として配した。


 創業者カリスマなら自分の手足となる側近を通じて家中を動かせるが、頼りない孫は重鎮で支えて安定させるということ。


 本来の歴史では元春と隆景の死後、私は輝元出頭人と呼ばれる先ほどの五人を使って当主独裁を目指す。五人はその立場も出自もばらばらだ。一門衆、譜代家臣、大内家旧臣、尼子家旧臣、はては中国人だ。


 毛利家の複雑な血縁地縁ネットワークを振り切ろうとした意図は分かる。五人とも忠実に役目を果たしていることから人選に誤りもなかったのだろう。


 だが成功したとはいいがたい。関ケ原の合戦時、輝元わたしは大阪城にあってこれら五人の側近を使って中国、四国、近畿にまたがる多くの戦線を指揮していた。関ヶ原には毛利秀包、吉川元長、そして福原貞俊など一族の重鎮が置かれた。


 結果として大阪城の私と、関ヶ原の毛利本軍は正反対の行動をした。私が優柔不断だったというのは大きな原因だが、家中が分裂していたのは間違いない。


 ちなみに関ヶ原で私の権威が失墜した結果、堅田元慶は幕府に処刑されそうになりそのあとも終生罪人として扱われた。張元至に至っては秀就の乳母との密通という理由で失脚、切腹という最期を遂げている。切腹したという記録が残る唯一の中国人かもしれない。状況と罪状を考えるとおそらく冤罪だろう。


 側近と重鎮、そのバランスをとることが課題だ。


 広島築城は重鎮中の重鎮である福原と譜代筆頭格の児玉元良に任せるが、私の側近である二宮就辰を目付にする。中国平定は叔父達に任せるが、近習である堅田元慶が使い番として連絡役をする。鎮守府で軍を指揮するのは譜代児玉就英だが、予算管理の榎本、秘書役の佐世を配する。


 もう一つは世代交代だ。元就そふと共に毛利を中国の覇者に押し上げた者たちは多くが五十を超えている。いわば私の父親世代だ。次世代の人材が必要だ。


 五人の中で一番年上の二宮就辰でも四十。一番下の堅田は元服したばかり。これからの毛利はこの世代が担う。この五人は活躍開始が歴史よりも七年くらい早い、経験と実績を積んでもらおう。特に一番若い元慶には期待だ。


 彼らには【輝元出頭人】などという絶妙にダサい名前ではなく【鎮守府五奉行】的な名前で後世に記録されて欲しい。まあそれも含めてこれからだ。


 光秀が織田家残党と争い、将軍との二頭体制の矛盾に苦しむ間に、私は毛利の組織の基礎を固める。

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