第六話 海兵隊訓練生

 天正十年七月末、呉鎮守府。


 呉湾を望む海食崖の上には三百人を収容できる長屋が出来ていた。佐東銀山きゅうたけだ城の廃材を使ったので新木の香りとはいかないが、周囲の漁村の家々と比べると立派に見える。


 江戸時代の下屋敷、要するに参勤交代についてきた下級武士の長屋よりは一人当たりのスペースは広いだろう。


 鎮守府海兵寮と名付けた海兵隊訓練生たちの宿舎だ。鎮守府の名を冠する以上、あまりケチるわけにはいかない。まあ当初の予定よりもずっと少ない三百人分だからというのもあるが。


 海兵寮の完成を待つように一ヶ月の人員募集の成果が集まっていた。記念すべき訓練生第一期、将来海兵となるべき猛者たちだ。


 ……猛者?


 応募者たちは寮に完全に負けていた。この時代の男性の平均身長は150センチ半ばしかないが、大半の者がそれより低く痩せている。服装もボロボロの者が多い。もちろん規律は皆無だ。番号に従って整列するように言ったのだが、ミミズのようにぐねぐねとしていて、浜に座り込んでいるものもいる。


 半分が地侍の三男四男、残り半分が小作農の子だ。敢て漁村の者は選んでいない。一応は地侍は家長、村人は乙名そんちょうによる身元保証のある者だけを選んだんだがな。


 ちなみに地侍とは普段は田畑を耕しているが戦になれば動員に応じる、いわゆる足軽に近い存在だ。報酬は年貢免除なので自分の田畑という所領を持った最下級の武士といえる。実は大名家臣団の大部分がこの層だ。


 彼らの前に整列しているのが就英率いる川ノ内警固衆から選抜された海兵隊の指南役だ。警固衆の中から経験と年齢を重ねた者が選ばれている。就英の左右に綺麗に並んでいるのが見事だ。規律の乱れが即全員の死に繋がる水軍だけのことはある。


 そういう意味でも指南役は適切な人材を得たのだが、両者の落差がすごい。警固衆は風貌だけなら海賊にしか見えないから、奴隷貿易が始まりそうな雰囲気になっている。この時代実際に行われているからシャレにならない。


 募集時にそういう誤解を受けている。衣食住付きとかいって矢玉の盾にするとか、船に押し込んでそのまま南蛮に売り払うとか。


「示しを付けるため一人二人切りまするか」


 指南頭就英からすごい言葉が出てきた。いきなり処刑とか孫武じゃないか。いや孫武でも二回チャンスを与えた後だったか。まあ毛利の屋形を前に示しがつかないというのがあるのだろう。


 もちろん常備軍は訓練中も戦場にいる心構えは求められる。海兵寮は戦陣のそれに準ずる厳しさが必要だ。だが最初からというわけにはいかない。


からには「衣食足りて礼節を知る」という言葉があるそうだ。海兵隊に最も重要なのはむろん規律だ。だがそれを守らせるには最低限の扱いをせねばならん。まずはこの寮で訓練に取り組めば寝床と二食、いや三食食べられることを理解させる。法度を定めてきた」


 私は就英に自分で決めた規則を書いた紙を渡した。一の鐘、二の鐘、三の鐘とそれぞれで規則が書いてある。


「この者たちを朝から夕まで法度で縛るは……」

「そうであろうな。ゆえに一の鐘の法度だけを必ず守らせる」

「一の鐘……。これだけでございまするか?」


 就英は一転して拍子抜けしたような顔になった。私は「この法度は指南役が必ず改めるようにしてくれ」と付け加えた。


「分かりました。衣食足りて軍律を知るで行きまする」


 就英が半信半疑という顔で頷いた。


 誤解を恐れずに言えば軍隊の訓練は動物の調教と似ている。ただし海兵隊と名乗る以上、最終的には戦場の霧の中で自分で考えて戦う精鋭となってもらう。仮にこの三百人が百人以下になっても。


 ……いやせめて百人は残ってほしい。組頭しかん候補が百人出来れば第二期の訓練がずっと楽になる。





 卯のあさ5じ。海兵隊寮、一棟五房、三番村田余吉。


 早朝、自然と目が覚めた。次の瞬間城の鐘が鳴る。


 儂は筵を跳ね上げた。同じ部屋の残り五人も同じように跳ね起きている。まず寝ていた敷物を三つ折りに畳み、その上に夜着を同じように畳んでおく。褌一つとなった体に御貸着である浅黄の股引と短い小袖を身につける。最後に帯で腰を締めた。


 他の者が同じように準備を整えたかを互いに確認する。


「こ、これ弥吉、小袖がずれておる。筵の真ん中になっておらん」

「これくらい構わんじゃろ」


 煩わしそうに手を振る弥吉。儂は無言で壁の木札を見やる。弥吉はしぶしぶ夜着を畳みなおした。それを確認して房を出る。


 儂らが部屋の前に立っている間に指南役が中に入り敷物と寝床着がきっちりと畳まれているかを確認する。これが儂らの最初の仕事、一の鐘の法度だ。


 この一の鐘の法度は、一番厳しい。朝こんなめんどくさいことをやってられるかと繰り返し破った者は追放された。同じことを考えたので危なかった。しかも一人でも怠ったものがいると房全員が罰を受ける。


 この法度は将軍様の厳命だという。将軍様というのはこの安芸の国、いや周辺の国全てのお殿様だ。部屋にある木札には花押が記されている。


 そのお殿様が言うには「最初の仕事を全うすることが、その一日の働きを決める」らしい。最初は理解できなかった。寝床を整え服を畳むことのどこが仕事なのか。そんなことをしても米も麦も実らん。


 ただ半月経つと、きちんと畳まれた筵と小袖、そしてぴったりとそろった自分たちの隊列に一日が始まったと感じるから奇妙じゃ。


 まあたったこれだけの仕事で朝飯が食えるのが一番奇妙なのじゃが。


 指南役の許可が下りたので寮の前に用意された朝餉を受け取る。近くの漁師村の女房衆が用意した飯と汁だ。飯は麦と米が半々、汁は濃い味噌で煮た魚のぶつ切り。


 初日にこれを食った時は儂らを手なずけようとしているのだと思ったが、毎日出てくる。魚のように群れを作って海を渡れる兵になれ、という将軍様の御命令だという。ご馳走を食えという命令は初めてだ。


 「これだけの飯を与える以上は戦になったら死ね」と言われると思うと恐ろしゅうてたまらん。


 食事を終えると二の鐘が鳴った。いよいよ戦調練の開始だ。まず同じ房の者と隊列を組んで砂浜を歩く、そして走るを繰り返す。次に同じ棟の者でまとまり同じことをする。


 早駆けは求められないが、隊列を乱したり途中でやめると叱責される。皆より速く走ったり遠くまで走ると指南役から叱責される。とにかく皆と同じ速さで、決められた時間を走り続けること、それだけが求められる。


 先週から砂を詰めた袋を前後に掛けて走らされるようになった。戦で使う道具と同じ重さだという。畑を耕すより体がきつい。近くのお城の普請で石運びをやらされた時よりはましじゃろうか。


 まあ出てくる昼餉は比べ物に成らんほどこちらが良いが。


 昼飯を食べた後、三の鐘に合わせて海に入って泳ぎを覚える。村長むらおさの話だと戦舟に乗るという話だったがまだ一度も櫂に手を触れていない。指南役の言うには海に落ちただけで死ぬかもしれないものには早いそうな。


 それが終わったら夕餉の前に砂浜で文字の読み書きだ。教えてくれるのは玉木様というお城の文字達者。なんでこんな無駄なことをと聞いたら、手柄を立てた者は士分に取り立てられるからだという。


 仮に戦があっても数十人に一人もそんな者は出んことは知っておる。何のために全員にこんなことをと思う。


 ええっと今日の文字は「兵は国家の大事にして死生存亡の道」。ええっと兵というのは儂らや儂らが行う戦のことじゃったな。死生というのは生きるか死ぬか、存亡というのは村……じゃなかった国が滅ぶかじゃよな。道は道理とかそういうのはず。


 戦に負けたら国が滅びて儂らの命も危うくなる、当たり前のことじゃ。その大事が儂らにかかっておるということか。いやそれを決めるのはえらい侍やさらに偉い殿様じゃろう。そうか分かった、戦になったら儂らは死ぬまで戦え、ということじゃ。なんと恐ろしい。


 最後の鐘が鳴り、夕餉を終える。寮に戻りながら考える。


 法度は厳しいし煩わしい。そもそも儂らが今しておることに何の意味があるのかもわからん。寝床を整え、ただ走ったり歩いたり、そして泳ぎ文字を覚える。先日の休みの日に広島の町に行った時分に「鎮守府は御屋形様の遊びじゃ」と偉そうな侍が言っておった。


 じゃがここから離れる気はとうに失せている。戦で矢玉の盾にされるのは怖くてたまらんが。戦で死ぬまでは安心して眠れる寝床、うまい飯、そして来月からは銭まで手に入るのだ。やっこ同然の村の暮らしにはもう戻れん。


 儂の名前の余吉は吉と付いていてもあまり。いらんのに出来た子じゃからな。もしも生まれた年が不作じゃったら赤子のうちに死んでおったと思えば。


 昔は戦に出ていた村の老人が言うには負け戦でも死ぬのは十人に一人くらいらしいし……。


 もちろん手柄を立てて侍になるなどという夢は見ん。水争いで鍬を手に隣村の若衆とにらみ合ったことくらいしかない儂には無理な話よ。

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