第五話 海兵隊指南頭

 天正十年六月末日。安芸国呉。

 呉城の大曲輪から西を見ると南北に長い楕円形の海が見える。呉湾と島々に囲まれた静かな海は、軍港としても訓練場としてももってこいだ。この地形条件が将来呉鎮守府が設置された理由なのだとよくわかる。


 この呉城はかつては村上一族の一つが拠点としていた。だが三島村上と異なり呉の村上は大内に付いたため厳島合戦後に毛利に滅ぼされた。その後は隆景が管理していたのを譲り受けた。もちろん代りの土地は備前で給付する、まだ宇喜多たけ領だけど。


「児玉就英参上仕った」


 戸が開き入ってきた四十前の武将は、毛利直属水軍川ノ内警固衆の長だ。「私の考えた最強の軍隊かいへいたい」を現実にするためには就英の経験と能力が必要だ。


「新しい水軍のことで某にご相談ということですが」


 就英は壁際に座る私の新しい祐筆をちらっと見てから言った。


「まずはこれを見てくれ」


 私は昨日構想したアメリカ海兵隊、もとい毛利鎮守府軍の概念を説明した。もちろんこの時代の人間に分かるように書き直している。


「なるほど、つまり「兵は神速を貴ぶ」でございますな。実現できれば兵法の神髄かと思いまするが……」

 読み終わった就英は手を顎に当てて思案の構えだ。実現できれば、まさにそこだ。就英の豊富な実戦経験が実現可能性を危ぶんでいる。だからこそ意見を聞く価値がある。幸いというか海兵隊はこの時代の水軍に近い軍種である。


 もちろん違う部分をどうするかが問題なのだが。


「思うところを言ってくれ。どのような諫言でも構わない」

「御屋形様の書付では、この軍はあくまで海から陸を攻める軍。船戦は行わないとございます。目的地に敵方の水軍があれば動けませぬ。さらに深刻なのは上陸後に敵方水軍に退路を遮断された場合でございます」


 就英はいきなり本質をついてきた。海兵隊は少数であくまで陸上での戦いが目的だ。航行能力はあくまで海を通じて陸上の目的地にたどり着くため。要するに海兵隊は村上水軍に海で会ったら負ける。


 つまり制海権が確保されていない地域では海兵隊の行動は劇的に制限されるということだ。太平洋戦争でのアメリカ海兵隊の活躍も、アメリカ海軍という強力無比な戦力が背景にある。


 領内の国衆反乱ならともかく、戦国大名クラスとの戦いでは問題になる。


「それに関しては兵の調練、装備の開発、そして戦立ての三位一体で神速の兵となる。その速さでもって敵が動く前に上陸を終わらせる。上陸後に背後を遮断されることに関しては数日後には川ノ内警固衆や小早川水軍が動く」


 戦国大名相手には海兵隊はあくまで毛利軍の中で先鋒、あるいは遊撃により戦況全体の主導権をとるための戦力だ。


「なるほど。これは某の想像以上に神速であるようですな」


 就英は一度頷くが、表情はますます厳しくなっている。理屈はその通りだがというやつだ。


「では兵ですが。いかに戦に専念できるとはいえ毎回先鋒では持ちませぬ」

「なるほど。まずは二千を三組に分ける。一の組は常に戦に備え即座に出陣できる体制を保つ、二の組は訓練や教育に従事する、三の組は広島城番の名目で休ませる。小さな戦では一の組が即座に出陣する。大戦では一の組に加えて三の組も動かす。三組すべてを動員するのは毛利の滅亡時のみだな。この三組を半年ごとに入れ替える」


 訓練、実戦、休息のローテーション制は実際の海兵隊にあったことを思い出しながら答えた。実際は、早くも実働兵力が減った、と焦っているけど。


「妙案でございます。しかしそうなると兵の編成が従来とは大きく異なることになりましょう。どうやって人を集めるおつもりでしょうか」

「鎮守府では足軽かちを海兵、うまのりを海士と称する。このうち海兵に関しては給金で雇う。海士は組頭は給金、それ以上は希望により知行を与える。人は地侍の子と村で自分の田を持たぬ小作農の子を集めるつもりだ」

「なるほど部屋住みの者が御屋形様……鎮守府被官となるなら望むものはおりましょう。ですが一からとなると。鉄砲や船の扱いは一朝一夕ではとても行きませぬぞ。ましてやこの練度となるとなおさらでござる」

「そうだな。それゆえに鎮守府の最初の仕事は訓練となる。いや鎮守府の最重要の役割がこの海兵、海士の訓練と教育だ。川ノ内警固衆から指南役を派遣してもらいたい」


 これに関しては想定通りだ。近代以降、軍隊に置いて教育機関は中核といっていい。地縁血縁を基盤とするこの時代と違い、規則や階級によって運営される軍隊では教育は必須だからだ。


 近代軍では兵の訓練、士官の教育、将官の養成と教育機関自体が階層を成し、各段階で昇進条件として一定の教育を受けることを義務付けられる。特にアメリカ海兵隊は戦場での活躍で一気に昇進、みたいなことはなくしっかりとした課程を経ることを重視していたはずだ。


 教育機関重視とはいえ現代の真似などできないので、海兵と海士の二段階だ。最初は海兵として訓練から始め、訓練と教育、そして実戦を通して海士を育成する。


「先ほどの組み分けで言えば二の組からはじまると。なるほどこの地は静かな海ゆえに調練には適しておりまするな」

「そういうことだ。だが兵は新しく集めても、それを調練するものは経験深き者がいる。就英には川ノ内警固衆から指南役を出してほしい。特に大事なのは指南役頭だ。……調練には半年は見なければならないか」


 ちなみにこの時代の兵の訓練はその半分、いや実質行われなかったりする。だからこそ同じ村のものを集めたりして地縁血縁で制御するわけだ。そして現場せんじょうに放り込む。だが海兵隊はそうはいかない。


「御屋形様のお望みの練度に達するとなれば一年でも無理かと」

「仮に最初の実戦は川ノ内警固衆の補助として働くとなればどうだ。むろんその時の海士は警固衆の指南役をもってする」

「……半年は無理として、九月あればあるいは。しかし一度に大人数は無理ですぞ。指南役を出すだけで草津が身動きできなくなります」

「なるほど…………では三百でどうだ。指南役は十五人」

「それが限界でございますな」


 予定の七分の一になってしまった。これだから「僕の考えた最強の軍隊」は……。


 この三百を将来の海兵隊の中核と考えよう。実際の海兵隊も最初は小部隊からだったしな。それに三百という数は有力国衆一つが動員する兵力の平均くらいだ。モデルケースとしては適切な規模ともいえる。


「ではこれから一年は指南頭が二組三百人を鍛える。それが終わったらこの二組を一組に昇格させ、指南頭はそのまま海兵隊将として実戦部隊の将とする。そして川ノ内警固衆の補助として戦に望む。これでどうだ」

「三百人を一年ならば何とか形になりましょう。ですが、残りの戦立てと装備は具体的にどのようなものに」

「戦立てはいわば平時から帷幄を開くということだ。次の戦のことを考えるが役目だ。例えば就英の考える次の戦はどうなる。叔父らが西方四ヶ国を平定した後の話だ」

「…………左様でございまするな。明智、いえ土岐でしたな。土岐が播磨、あるいは因幡へ攻めてくる。その際は九州の大友との挟み撃ちを画するとすれば門司も危ういかと。さらに村上水軍の動向いかんでは瀬戸内から安芸や備後も」

「それら考えられる戦について敵が攻略を狙う城とその周囲の地形を把握し、鎮守府海兵隊がいかなる航路でそこに到達するかを計画する。上陸後はどのように城を攻めるか。兵糧弾薬の補給はどうするか、すべて絵図の上に策を定めておくのだ」


 第二次大戦前のアメリカは各仮想敵国に対する戦争プランを持っていた。アメリカ海兵隊のエリス少佐の論文を基盤とした対日オレンジプランが有名だが、ほかにもドイツを想定したブラックプラン、同盟国ともいえるイギリスに対するレッドプラン、国内反乱を想定したホワイトプランまで作られている。


 かなり現実的な想定がされており、例えば日本と開戦したら最初に自国の植民地であるフィリピンが取られることを前提にしている。


「なるほど。それならば確かに敵方の機先を制するは可能かもしれませぬ。ですが戦は水物でございまする。ましてや海が相手となれば……」

「むろん出陣後は何が起こるかわからない。出陣したのちは隊将の采配が優先される。隊将は決められた目標を己が率いる海兵隊の能力を生かしてどう実現するかを考える務め。それゆえに鎮守府海兵隊を知り尽くした指南頭を将にするのだ」


 播磨の戦で思い知った【戦場の霧】と【訓令戦術】を思い出す。知ってるのと経験したのでは雲泥の差だ。実はあの時の毛利軍の戦いは、海兵隊の理想に近い。


「『将戦場にある時は君命に受けざるところあり』ですな。では装備の開発とは」

「主に船と種子島だ。海兵隊は敵の待ち構える海岸に迅速に上陸し、城まで迅速に行軍せねばならぬ。それに適した船と火縄銃を揃える」

「船戦に置いては鎧も武器も地上とは違う物が求められまするからな。なるほどここまでやられまするか」

「ここまでやらねば真に神速の兵とは言えない」


 鎮守府海兵隊の中核的価値はスピードだ。訓練も装備もそして作戦原案も、鎮守府という組織はすべてがそのためにあり、そして少しでもその能力を高めるために改革していく。


 組織自体がアップデートしていく、いやアップデートが組み込まれた組織にする。単に最強の軍隊を作って終わりではない。組織の変化のスピードでも敵の追随を許さない。それが組織としての海兵隊の本当の強さだ。


「…………御屋形様があまりに無理な兵をお考えならお諫めせねばと思うておりました。正直に申せば想像以上に無理、いや無謀な策」


 就英は唸るように言った。そして私をまっすぐに見る。


「ですが、ここまで、ここまでお考えならば。まさに武略、経略、そして調略。謀多きが勝つかと。日頼様の如きものを感じました」

「はははっ。良いことを言ってくれた。まさに日頼様におよばぬ私が日頼様の如き戦をするための鎮守府だ。これを成すためにはまず第一に優れた指南頭を得る必要がある。これを推挙してほしい。役料として百貫の加増を用意する」

「かしこまりました。まずは三百を鍛えて見せまする」

「だから就英の配下の者から………………そなた自らか? 指南役は川ノ内警固衆ゆえに就英が頭を務めるは申し分ないが。警固衆と草津の城はどうするのだ」


 就英の実力は第一次木津川口の大海戦と先日の播磨での羽柴戦で折り紙付き。実力、経験、家中の重みとしてもこれ以上ない。だが海軍第一艦隊司令長官から新設の陸戦隊の連隊長くらいの降格だぞ。


「草津には父が健在。何よりこれほどの大仕事を前にして退けば児玉の名折れ。なにとぞ某にお命じください」


 就英はそういって両こぶしを床に着いた。


「わ、わかった。では役料百五十貫とする。よろしく頼むぞ」

「身命に変えても。まずは一つ進言がございます。船の方は某どもで出来ても大量の鉄砲となると我ら川ノ内衆だけでは指南に心もとない。そこで……」


 就英はある名を告げた。私は思わず震えた。完全に盲点だった。私はごくりとつばを飲み、就英に聞く。


「かなり難しい者どもと聞くが」

「淡路在陣時に兄弟の契りを結びました」

「なんとしてでも招聘してくれ。鎮守府にてしかるべき地位を約束する」


 小さな組織からと思っていたが予定以上に小さな組織になってしまった。だがその代わりに最高の校長を得た。さらに就英の言う鉄砲の名手を得られれば……。


 私の鎮守府海兵隊こうそうは現実に現れる。






「御屋形様これで如何でしょうか」


 就英が帰った後、部屋の隅にいた男が紙束を私に見せた。私と同年代のこの男は新しく鎮守府付き祐筆とした玉木吉保だ。


「……これではまるで英邁な君主と名将の会話ではないか。就英が名将なのはよいが、私がいかに間違えたのかを重点に書くのだ。例えば非現実的な数の訓練をさせようとしたとか……。ああ半年はかかることを三ヶ月でやらせようとした愚かさを強調するのも忘れないでくれ」

「しかしそれでは御屋形様の御面目が……」

「史記を記した司馬遷は武帝しゅくんへの批判もいとわなかった。そなたはこの鎮守府のあるがままを記し、将来に伝えるが役目と心得えよ」


 私はそういって吉保に議事録を返した。吉保は「どうなっても知りませんぞ」と言って書き直しを始める。


 私の目的にとって玉木吉保は極めて重要な人材だ。戦国史でこの男の名前を聞くことはまずないが、本来の歴史では『身自鏡みのかがみ』という自叙伝を残した毛利家随一の文筆家だ。


 そう吉保の本当の役割は記録係だ。この鎮守府海兵隊の記録いわば『鎮守鏡』を残してもらう。


 そう現代の歴史家が最も重視する資料だ。戦国時代の逸話なんてそのほとんどが後世の創作だからな。


 まあ輝元わたしが家臣の若妻を強奪したのは史実だが。もちろん本来の歴史なら、だけど。


 歴史と言えば本来なら清須会議が終わったくらいだろうか。上方の勢力図は完全に変わってしまったから開かれるわけがないんだが。

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