閑話 児玉一族

 広島築城予定地近く、児玉元良仮屋敷。


 毛利譜代児玉一族の三人は、織田との戦で伸びた故就忠の法要のため集まっていた。


「就英があの羽柴に勝利してご加増を受けた。元良も新しき本城の築城奉行。児玉一党は毛利譜代中の譜代ということよのう。兄も喜んでおろう」


 赤ら顔の老人が位牌に向けて杯を開けて見せた。すでに齢七十に達しながら声は海風に負けない太さで酒量も盛んだ。


 児玉就方、毛利家譜代児玉一族の長老で厳島、九州豊前、四国伊予、山陰の出雲と毛利家直属水軍を率いて転戦した歴戦の武将だ。第一次木津川口海戦のころには川ノ内警固衆の指揮を息子に譲っているが、いまだに矍鑠たるで有様である。


「どうした元良、渋い顔をするではないか」

「…………」


 叔父の太い声に、屋敷の主である児玉元良は押し黙ったままだ。ただ干し魚をあぶった酒肴で杯を重ねている。


 元良は就方の兄である児玉就忠の息子で、つまりは甥だ。就英とは従兄弟の関係となる。毛利家での地位は就方、就英の親子に劣らない。亡父就忠から奉行の地位を受け継いで二十年その職にある。


「新城の名は広島といったか。大江広元公より『広』の字は目出たき字。相応しい名であろうな」

「…………叔父上は本城が草津に近くなってよかろうがな。家中の不満を抑え国衆に恨まれながら普請の手伝いをさせるは儂らじゃ。広い堀に高い石垣、金と人を集める苦労ばかり」


  就方がもう一度甥に水を向けた。元良は不承不承といった形で口を開いた。


「しかし本城を安芸平野に移すは元良も賛成であろう。ご英断と思わぬか」

「いうだけなら楽なものということ。そもそも小早川、吉川両家から真っ先に手伝いがきた。実際には隆景殿ごさんなんあたりの差配ではないか」


 就方はちらっと息子を見た。


「築城は御屋形様の御意志でござろう。隆景殿はこれから備前美作の戦に手いっぱい。そもそも執権福原殿を説得なされたのは御屋形様であろう。元良はその場におったのではないか」

「…………「相模の毛利もり荘から安芸の吉田荘までお移りになった先祖の苦労を思えば吉田から広島まで移れぬとは言えぬ」といいおった」

「福原殿は毛利庶家しんぞく筆頭を誇りにされておる。ただでさえ吉川ごじなん殿、小早川ごさんなん殿、穂井田よんなん殿まで備前美作そして因幡で働く。宿老筆頭として反対できぬな」


 就英は面白そうに笑ってから続ける。


「播磨までおん自ら出張り羽柴を討ったは鬼手であろう。播磨の西半分が毛利の手に落ちたからこそ宇喜田を挟撃できる」

「ちっ。……なるほど羽柴を討ったは確かに良い。だが実際に軍配を執ったのは就英であろう」

「……確かに播磨表の戦での御屋形様のご様子は見苦しいものであった。開戦前には不可能な戦立てを主張され、戦が始まり奇襲で敵の先頭を叩いたときには有頂天。敵が立て直すや途端に真っ青になりうろたえらられた。いっそ縛ってでも小早船で落そうかと思った」

「であろう。あの屋形は大将の器にあらずじゃ」

「だが、その直後まるで人変わりされたように泰然となり指示を示された。兵を動かすは我ら将の役目。御屋形様は将の将であればよい」

「将の将じゃと。将の将とは日頼様の如きお方のことじゃ。まさかあの屋形が日頼様に並ぶとでも」

「さすがにそれは言わぬが……しかし」

「そういえば就英、御屋形様から呉に呼ばれておるのじゃろう」


 息子と甥の険悪な空気に就方が話を変えた。


「はい。呉に鎮守府をお開きになることで相談したいと言われております。どうやら上方の軍に対抗できる新しい水軍を作ることをお考えのよう。石見の銀の半分をつぎ込むと」

「あの戦下手の屋形が新しい軍。毛利の宝山を半分浪費とは。これは毛利も終わりかもしれんな」

「めったなことを言うな。いくら我らしかおらぬ場とはいえ言葉が過ぎるぞ」

「就英とてかつて「戦下手の大将では毛利は危うい」といっておったではないか。淡路で孤軍奮闘しておったお主が切腹覚悟で独断で軍船を引き上げた時じゃ」

「あれはだな……」


 就英は苦い顔になった。


 世評では毛利水軍は第二次木津川口の海戦で織田家の黒船に打ち破られたという。黒船の大砲と鉄砲でいくばくかの軍船を沈められ、高い鉄張りの巨船に毛利水軍の攻撃が通じなかったため、撤退に追い込まれた。海戦として負けたのは事実だ。信長はこの勝利を大々的に喧伝した。


 だが毛利水軍は目的である本願寺への兵糧搬入は果たしている。しかも海戦後に木津川口は毛利が占拠しているのだ。その後も淡路を拠点に毛利水軍は大阪湾の制海権を確保し続けた。


 当時は三木の別所、摂津の荒木、そして石山本願寺を味方にした毛利の優勢だったといっていい。その反織田諸勢力をつなげる制海権の要にあったのが淡路岩屋の就英の毛利水軍だ。


 毛利が国を挙げて進軍じょうらくすれば、織田家を畿内から追い払えた可能性はあった。検地、城割など信長の統制に反発を覚える各地の国衆の反乱が頻発しただろう。


 だが毛利は上洛を中止した。その弱腰に宇喜多と南条は毛利を見限り織田方に転じた。瀬戸内海でも宇喜多水軍が敵に回ったことで、就英たちは後方を遮断されたことになる。


 もともと織田方になびいてた瀬戸内海の中央に位置する塩飽諸島、そして来島村上の動向も怪しくなる中、就英たちは上方に残った唯一の毛利勢として孤軍奮闘するも、周囲を敵に囲まれて追い込まれていく。


 結果就英は独断で岩屋から撤収したのだ。もし就英の決断が遅れていたら、毛利水軍の中核である川ノ内警固衆は播磨の海に沈んでいただろう。


 その後毛利が裏切った宇喜多、南条に手こずる間に三木、荒木、本願寺を打ち破った織田家が羽柴秀吉を大将に中国に攻め寄せてくる。そして毛利は鳥取城陥落、備中高松城の水攻めと滅亡一歩前まで追い込まれた。


 結果としてあの上洛中止が潮目だったと言える。


「しかしあの上洛は宿老衆も意見が真っ二つに割れたことではないか」

「じゃからこそ当主の決断じゃ。日頼様なら厳島のごとく我らに「死ね」とおっしゃったわ。それが将に将たる器じゃ。それが出来ぬのなら公方を受け入れ織田を敵としてはならんかった」


 元良いとこの舌鋒に就英は黙った。奉行として海千山千の国人たちと渡り合ってきた元良に口で勝てたことがない。岩屋寄りの無断撤退の時に、評定で擁護してもらった恩もある。


「元良の言うのもわからんではない。……じゃが元良が御屋形様を嫌うは別の理由もあるであろう」

「…………」

「先ほどの法要でかねを見たが、ますます可愛らしゅうなっておるではないか。将来どれほど器量よしになるか。御屋形様が見染めるもわからんではない」


 就方は甥を意味深な目で見た。元良が末娘を目に入れても痛くないほど可愛がっていることは一族内で周知である。


「叔父上が児玉の長老といえど、我が家のことは我が決めまする。そもそも周はまだ十二じゃ。屋形に取りいらんと幼い娘を差し出すなど児玉の名折れ」


 元良は杯に酒を注ぐと、あおった。


「もし屋形が叔父上に草津城を明け渡せと言われたらどうなさる。広島を本城とするなら草津は外港として重要になる。大人しくお返しするか?」

「日頼様から授かった城を取り上げられるとならば兵をあげてでも……。いやしかし娘一人と城を比べられても困るぞ」

「そもそも娘は就英のような勇ましい武将が好みといっておる。そうじゃな、就英が周を後妻にというなら嫁がせてもいいぞ」

「四十も近い身で十を超えたばかりの童を妻に出来るわけがなかろう」

「じゃろうが。屋形は三十でいまだご正妻との間に子供がおらぬ。女童好みなどそれこそ武家の棟梁としていかん。叔父上、就英もまさか周が男子を産めば児玉の家は毛利の一門衆、などと考えてはおるまいな」

「邪推もほどほどにせよ。そのようなこと言わん」

「ならよい。児玉はあくまで奉公をもって立つ家じゃ。主人といえど媚びてはいかん。就英も、もしも屋形が織田のような黒船を作るなどと言い出したら」

「それは無論お諫めする。あのような鈍重な船は毛利水軍に無用の長物と」

「おう。それでこそ児玉党じゃ」


 我が意を得たりとばかりに元良は勢いよく酒を杯に注ぐ。だがその腕が不意に硬直した。酒を満たした杯が床に落ちた。


「…………ぐっ。むむ……」

「いかがした元良」

「……だ、大事ござらぬ。例の発作じゃ……すぐに……おさまるゆえ……。ゼイゼイ」


 胸を押さえながら荒い息を吐く甥を見て就方は眉を顰めた。


「もう少し酒は控えんか。兄も心の臓を病んで五十そこらで逝ってしもうた。甥のそなたが儂より先になどとなれば、それこそ周の行く末も案じられるであろう」

「わ、分かってござる。ゼイゼイ……。い、今も良い薬師を探しておるのじゃ。とにかく広島築城の任は完遂して見せまする。忠義は奉公で示すが児玉の誇りでござ……ごほ、ごほっ」

「分かった分かった。我らはそろそろ暇しよう。せっかく同じ地におるのじゃ、今後はいつでも話せようでな」






 就方、就英親子が草津城へ引き上げた後、屋敷の奥では元良が娘に背中をさすられていた。


「父様。薬湯でございます。ごゆっくりと飲んでください」

「おおかねはまこと親思いの良い娘じゃ」


 心配そうに薬を差し出す末娘に、元良は相好を崩した。くりくりとした黒目がちの瞳を心配そうにこちらに向ける娘。いささか身体が細いのが心配ではあるが。親のひいき目を除いても家中一の器量よしだ。


 正直に言えば嫁に出したくない。だが父も心の臓の病で五十半ばで死んだ。自分はもうその年を越えた。死後のことを考えればやはり……。


「周には三国一の婿を選んでやるからな」

「父様。周のことよりもまずはお身体を愛うてください。父様がお元気でなければ周は安心して嫁に参れません」


 親を思う娘の言葉に、元良はあのような惰弱な男にけっしてくれてやるものかと決意を新たにした。

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