第三話 三つの矢
天正十年六月二十五日。安芸国南西、将来広島と呼ばれる地。
私の知っている現代のと比べて半分くらいの面積しかないが、将来広島と呼ばれる地だ。
広大な平野の農業生産力と広島湾の水運はかつて安芸最大勢力であった安芸武田氏の基盤だった。安芸の一部を支配した分郡守護に過ぎない武田家はこの経済力を背景に四ヶ国太守である大内と長く渡り合った。
祖父元就の名が初めて知られたのが、この安芸武田当主信繁を討った戦い、西国の桶狭間とまで言われる有田中井手の戦いだ。
その後大内に従って武田家を滅ぼすのに大活躍したのが祖父で、大内家から与えられた旧武田領は本家の直轄地として私が継承している。湾の西には草津城がある。姫路で共に戦った児玉就英の父就方の城で、毛利直属水軍川ノ内警固の本拠地だ。
さらに西に浮かぶ大きな島が厳島、祖父が陶晴賢を打ち取った厳島合戦の舞台で、毛利家の氏神である厳島神社がある。その宗教的権威は極めて大きい。
湾の反対側、東に目を向ければ島に囲まれた湖のような海が見える。前世の私の生まれ故郷であり、死んだ場所でもある。思わず天を仰いだ。死の瞬間の光景を思い出してしまった。
個人の感慨など歴史の大きな流れの中では意味はない。むしろ重要なのはあの地が長い間海軍の要衝であったということだ。
「鎮守府将軍など何処から出てきた」
背後から厳しい声がかかった。振り返るといつもの謹厳な叔父隆景の顔。その隣には無言で威圧感を放つ叔父元春。護衛の者たちは少し離れた場所で私達を円形に取り囲むように立っている。
「公方様が鞆にあればともかく京にもどれば副将軍など役に立たないでしょう。むしろ明智と公方様がぶつかったとき、副将軍だから駆け付けろと言われれば迷惑千万、という話だったではないですか」
義昭の帰洛はもちろん副将軍辞任も当然二人との打ち合わせ済みだ。何の問題もない。
「副将軍に任じられた時は浮かれに浮かれ、吉田で披露の祝宴まで開いたではないか。それはともかく明智に一方的に譲歩しては今後の手札がなくなる」
試すような視線が突き刺さる。こんないいわけで誤魔化せる相手じゃない。
「明智、いや土岐光秀は播磨を東西に二分。羽柴残党がこもっている但馬は自分達で平定したいということでした」
私は石谷頼辰が持ってきた国分案、すなわち明智毛利国境を持ち出した。官位うんぬんよりもずっと現実的で重要だ。
鞆に向かう前に叔父たちと話し合った段階ではもう少し欲張るつもりだった。播磨は全部毛利、淡路ももらうって感じだ。光秀の勢力が予想以上だったので譲歩する形になっている。ただし淡路に関しては確定させず、交渉継続ということになっている。
私は基本的にこれでいいと思っている。おそらく二人の叔父もおおむね満足しているはずだ。毛利国家にとって最重要なのは中国の覇権維持だ。この国分なら中国の大部分は毛利が抑えられる。
「明智が上方で旧織田勢と争う間に毛利が中国十二ヶ国を抑えきることが何より肝要です」
「その通りだがどう固める」
まるで試験だな。戦国屈指の知将と勇将が試験官、合格できる人いるのか? まあ意見を聞かれるだけましになったか。
「最大の問題は宇喜多でしょう。もともと宇喜多は外様として抱えるには大きすぎました。仮に毛利に服従するといっても将来は明智と天秤にかけるは必定。此度の経緯を考えても滅ぼさねばなりません」
隆景と元春は表情を変えずに頷いた。備前美作は合わせて五十万石。現在の毛利が約百万石である。宇喜多が織田に
腹立たしいことに宇喜多は完璧に近いタイミングで織田、いや秀吉に寝返った。播磨、美作、備前の三ヶ国守護という名門赤松氏の守護代浦上氏のそのまた家臣から一代で二ヶ国を制した梟雄直家の真骨頂だ。だが恐るべき男はすでに無い。
現当主秀家は幼く家を継いだばかり。そして後見人だった秀吉も討った。しかも播磨の西部は毛利の占領下。
「播磨の元清叔父上と叔父上が東西から備前を挟み撃ちにし、北から吉川叔父上が美作を攻めれば宇喜多は瓦解します」
姫路城に入れた穂井田元清は毛利元就の四男、つまり隆景の下の弟だ。妾腹のため元就が「もしこの虫けらが多少でも役に立ちそうなら遠国の代官でもやらせておけ。使えなければ好きに処分しろ」と三子教訓状に書いた。
まあ本音は「遠国でもいいから領地をやってくれ」だけど。
で元清は有能だった。元春、隆景ほどではなくとも備後、備中で活躍した良将だ。対明智との国境、播磨二十万石のまとめ役として申し分ない。本来の歴史で播磨はもちろん秀吉庇護下の宇喜多に手を出せなかったのとはだいぶ違う。家臣たちも宝の山を前にすればもうひと働きという気になるだろう。
「備前は私。美作は兄者が抑え、姫路の元清とつながれば山陽は毛利の手に入る」
「そうなれば山陰の伯耆の半分、因幡も取り返せるでしょう」
「東伯耆の南条は当主出家を条件に毛利に帰参したいといってきている。南条を先鋒に鳥取城を取り戻せば因幡も毛利の手にもどる。経家も浮かばれるな」
元春が言った。山陽と山陰それぞれの担当地域でこれからどうするか、そんなことは二人の中で決まっている。私が口を出す必要など一つもない。
「では存念が一致したということで、東中国の平定はお任せします。とりあえず美作伯耆は吉川叔父上、備前は小早川叔父上を私の名代とします」
二人の表情から警戒心が少し薄れた。毛利にとって一番大事な中国平定戦略において、私がおかしなことを言いださなかったからだ。実際、鎮守府将軍はこの件とは関係ない。
ちなみに名代とは当主代行だ。したがって単に軍事指揮権ではない。闕所処分権、つまり敵から奪い取った領地をどう分配するかを決める権限だ。これがないと武士たちに言うことを聞かせることができない。
一番大事な領地という褒美を与える権限がない指揮官のために命がけで戦えないし、領地を安堵するという言葉を信じて降伏したのに、本国の指令でひっくり返るなんてことになれば、帰属交渉も上手くいかない。
まあこれまでも実質的にこの二人は名代だったようなものだけど。今回は私が国内改革に集中するために明示する。私が形だけの権限を行使しても、毛利家当主である私の力は高まらないし、毛利国家の組織構造もこれまで通りだ。
もちろんこの二人が毛利本家をないがしろにしないことが解っているからできることだ。隆景にいたっては本来の歴史では秀吉から与えられた伊予国を、わざわざ私経由で受け取ることで、秀吉の直臣ではなく毛利の家臣であることを明確にした。
「四ヶ国平定よりも大事なこととはなんだ」
「新しい毛利の本城をここに築くことです」
私は眼下に見える平野を指さしていった。ちなみに本来の歴史でも毛利は将来広島に本拠を移す。
「今の毛利に吉田が不便であることは叔父上らも承知のことのはず。東を平定すればさらに不便になります」
「……その通りだが、本家の者どもは総じて反対するぞ」
「叔父上達が四ヶ国もの戦をするのです。残ったものが普請を務めるのは道理」
家臣にとって普請に人を出すのは軍役に並ぶ義務だ。福島正則が「なんで家康の息子の城を俺たちが作るんだ」と愚痴り加藤清正から「嫌なら謀反するしかないぞ」と返された逸話が有名である。
まあ当時の毛利はせっかく作った広島城をこの正則にとられた挙句、天下普請に駆り出されるんだけどな。しかも石高が四分の一になった状況で。
「吉田郡山城はどうする。不便とはいえ山陰山陽を結ぶ要地ぞ」
元春が口を開いた。
「宍戸隆家に預けます。これで山陰の吉川叔父上、吉田郡山の宍戸、三入の熊谷、広島の私、山陽の小早川叔父上と毛利にとって最も信頼できる家で繋げることになります」
宍戸隆家は私の、熊谷信直は元春の義父だ。元春の妻は不美人と言われていたが私の知ってる限りむしろ美人だった。
「ここに出るにしても銀山城ではないのか。平地に城を置いて事あればどうする」
元春が軍事的な指摘を続ける。武田家はすぐ北の山に居城を置いた。大内が本拠を置いた山口は、周囲全てを山に囲まれた盆地だ。
武田も大内も軍事的経済的な海の重要性について毛利などよりもはるかに熟知していた。それでも本拠は守りを優先したのだ。
だがそれは国衆同士が国内で戦をしていた時代の話。戦国大名規模になると本拠地の周りは分厚い領土で守られる。逆にその広い領域を維持管理するため、海に面した平地に城を作り交通と通信、そして経済を抑えなければらない。
各地に割拠する武士団から戦国大名という領域権力へという流れが本拠地に求められる条件を変えたのだ。織田家では秀吉の長浜城、光秀の坂本城は水運を抑える平地にある。安土城は山の上だが琵琶湖のすぐ隣だ。柴田勝家の北ノ庄城も朝倉氏の本拠だった一乗谷から平地の真ん中に移動している。
私の広島築城は本来の歴史より七年早いが、織田に比べると大きく遅れている。
「広島への本拠地移転はこれからの毛利に必須。家中の反対を押しても成し遂げねばなりません」
「では小早川から堤づくりに精通したものを貸そう。小早川が今の身代を築いたのは川を埋め立て田地を広げたからだ」
「吉川からは木と石を太田川を下らせて運ばせよう」
あれだけ文句を並べながら必要な要件を考えていただと。力説した私がばかみたいじゃないか。
さて最後に質問の答えだ。これは歴史の教科書には書いていない。それが鎮守府将軍の使い道だ。
「この新しい本城の守りも兼ねて新しい軍を設立します。これを鎮守府と称するつもりです。私が公方様に鎮守府将軍の官位を求めたのはこのためです」
「新しい軍を作るのに鎮守府将軍など必要あるまい」
「いえ、この軍は私直属で運用も独立して行います。それが鎮守府というわけです」
「つまり鎮守府将軍であるそなたが自由に動かせる兵を欲すると」
「その軍の数はいかほどだ」
二人の顔から同時に表情が消えた。当主である私に直結する軍。これは毛利本家の宿老であり、同時に国衆である二人にとって重大な問題だ。
「数は二千を考えています。ただし……」
私が鎮守府軍について今考えている概略を告げた。二千と聞いて僅かに緩んだ元春、隆景の顔が驚愕に染まった。性格反対の二人の叔父が揃って絶句するのは、そう言えば二度目だな。
「鎮守府はあそこに置きます。草津城と対となり新本城を守れましょう」
私は広島湾の東岸を指さした。その地の名は呉という。将来東洋最大の軍港と称された呉鎮守府が置かれ、現代でも海上自衛隊の重要基地だった。
実は新しい軍をどういう名目で設立すればいいのか途方に暮れていたのだが、鞆へ行く途中に呉を通った瞬間ハッと思いついたのだ。
単なる言葉遊びではない。新しい軍を作っても「毛利家古来の陣法では……」「それは慣例に反し……」と言われたら私の目的は達成できない。
中国十二ヶ国平定、新しい本城広島の築城、そして私直属の鎮守府軍の設立。これが今後の毛利国家の三大政策、いや毛利らしく三矢政策だ。
後世に毛利輝元の三失政と言われないように頑張ろう。まあ一本目と二本目はしかるべき人間に任せるから、問題は三本目の矢なんだけど。
鎮守府軍、いや鎮守府海兵隊の設立、これが私の軍事史知識から導き出される毛利国家改革のための第一歩だ。
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