第四話 播磨夢前川の合戦Ⅰ 戦場の霧

 天正十年六月八日明朝。本能寺の変より六日後。播磨国ひょうごけん


 火縄銃の轟音が耳を打ち、むせかえるような硝煙が目の前を覆っていた。


 私の背後には川が流れる。播磨平野西部を南北に貫通する夢前川ゆめさきがわ、羽柴軍が姫路城にたどり着くために必ず越えなければならないポイントだ。


 夢前川の河原に陸揚げした小早船を並べた陣地で毛利軍は押し寄せてくる羽柴兵を次々と粉砕している。


 現代で言えばハンマー投げの要領で、焙烙玉が小早船の舳先を越えていく。空中で爆発した焙烙玉が榴弾のようにその破片で敵兵をなぎ倒す、残った兵を狭間からの火縄銃が狙い撃つ。


 河原を染める赤い血はほぼすべて羽柴兵のもの。今のところこちらに被害らしい被害はない。戦場に倒れる敵兵は数百に達する。圧倒的な損害比キルレシオである。


「敵の第二波引きます。その後ろから第三陣。旗印は一柳直末」


 新たな敵の隊列が押し寄せてきた。馬上の将が上空で炸裂した散弾を浴びて倒れる。それを救おうとした馬廻が鉄砲に倒れる。また一人、羽柴の将を打ち取った。


 だが私は唖然としていた。この程度の火力密度でこれほどの煙が立つなら、間違いなく長篠三段撃ちは嘘だな、ということではない。それが知りたければ実際に体験したものがいくらでもいる時代だ。倒れ伏す羽柴兵の中にも歴史の目撃者がいるだろう。


 問題はどうしてが攻めこまれているのかだ。奇襲一撃で疲労困憊の敵が崩壊するという私の予定はどこにいった?



 思えば最初から齟齬があった。私は渡河中の羽柴軍の中央に船で突っ込むつもりだった。だが総大将である私の作戦は夢前川に入る前に止められた。渡河というのは軍勢が最も警戒する瞬間であり、三千の軍勢と多数の小早船の接近は必ず気づかれるということだった。


 奇襲の効果を最大限に上げるなら先着の利を生かし葦原にて待ち伏せが最適と児玉就英、吉川元長、乃美宗勝という三人の部隊指揮官の意見が一致した。私はそれに従った。


 日が上がり、播磨平野とそこを通る西国街道は見渡がよかった。現地に立てば部下たちの戦術が最良であることは明らかだった。


 毛利三千は鶴翼の陣を敷いた。中央が本陣で、毛利直属水軍川ノ内警固衆を児玉就英が指揮する。右翼が吉川家の精鋭を率いた吉川元長。左翼が小早川家の精鋭を率いた乃美宗勝。我らは移動の疲れをいやし、万全の陣形から羽柴軍に鉄砲で攻撃を仕掛けた。


 奇襲は成功した。一刻も早く姫路へ帰ろうと行軍してきた羽柴軍に鉄砲が集中した。秀吉の馬印が傾くのが見えた。秀吉を守るように立派な鎧の武者が倒れた。旗指物からおそらく福島正則だっただろう。


 現時点の正則は小身に過ぎないが、本来の歴史では関ヶ原後に毛利から安芸国を奪う男だ。それを開戦劈頭に倒したことで、私はこの戦の勝利を確信した。


 だが今考えればあれが最初で最後の勝機だったのかもしれない。あの時全軍を突撃させれば……。


 崩壊するかに思えた羽柴軍は今や態勢を整えこちらに攻撃を仕掛けてくる。陣地と火力で撃退しているものの、攻勢が途切れない。それどころか二波、三波と攻撃は激しくなっていく。


 小早船を削り取る鉛玉の数が明らかに増えてきている。どうやら鉄砲の準備も整ってきたらしい。こちらは焙烙玉がそろそろ切れる。鉄砲の弾薬もいつまでもつか。


 中央の本陣は前進を止められ、敵を包囲するはずの吉川隊、乃美隊の両翼は母衣を背負った騎馬隊によって動きを止められている。一応言っておくが水軍主体の我々が陸戦に弱いわけではない。この時代の水軍は全員が陸戦隊だ。城攻めも普通にこなす。


 しかもここにいるのは毛利本家、吉川家、小早川家の中から選ばれた精鋭、鉄砲だってかき集めてきた。


「あの先鋒の大将はだれだ」

「旗印から羽柴美濃守かと」


 私を守るように前に立つ就英が言った。


 秀吉の優秀すぎる弟秀長、将来は紀伊大和百万石の大納言、彼が長生きすれば豊臣家は滅びなかったといわれる男か。なるほど確かに名将だ。中堅の将を回転するように使っての波状攻撃で、こちらに息をつく暇も与えない。


 それが前衛に過ぎない。背後に秀吉本隊がいる。損害比で言えばこちらが圧倒しているのに、すでに形勢は向こうに傾きかけてるのではないか。もともと兵力は相手が三倍だ。どうしてこうなった。


 …………答えは分かっている。総大将の差だ。


 三英傑の中で一番の戦上手は羽柴秀吉であることは知っていたはずだった。三木城、鳥取城、高松城、そして小田原城まで、戦国の名城が彼の前でなすすべなく落とされた。だが私の印象は古代ローマ並みの土木工事で勝ってきた城攻めの名手だ。野戦においては小牧長湫で家康にしてやられた印象が強い。


 だが考えてみれば秀吉は山崎、賤ケ岳と芸術的な勝利を積み重ねていく野戦の名将でもある。それも同僚といってよかった雑多な諸将を率いて。一方、今私が相手にしているのは純粋な羽柴軍団。


 つまり目の前にいるのは純軍事的に言えば最強の羽柴軍じゃないか。


 そんな当たり前にやっと気が付いた私の勝てる相手じゃない。必勝のつもりで必敗の戦場にのこのこと現れた愚か者が私だ。いや私がここにいること自体が毛利の動きを邪魔している。


 本来なら羽柴包囲に動かなければならない両翼が動けないのは、予想以上の攻勢の前に、私がいる本陣の脇を開けるというリスクを犯せないからだ。


 この時代の軍隊で大将が討たれることは致命傷だ。


 現代の軍隊なら主は規則だ。司令官が戦死しても次席指揮官が指揮を受け継ぐ。規則は戦死しない。だがこの時代の軍隊はすべてが人と人、家と家のつながりで組織されている。ましてや私は毛利国家の元首でもある。


 そう、これまでは死なないことだけが戦場での私の役割だった。


 私は十歳で家督を継いだ。祖父元就が亡くなってから十一年間毛利家の当主をやっている。臨んだ戦場の数は十ではきかない。そのほとんどすべてが勝利だ。数万の大軍を率いたことも何度もある。


 だが本当に戦場で指揮を執ったことなど一度もなかったのだと気が付く。国衆の反乱や尼子や大内の残党は祖父が築いた圧倒的な兵力と優秀な二人の叔父を中心とした練達の指揮官の敵ではなかった。私は彼らが決めた戦場に運ばれ、彼らの作戦に頷くだけだった。


 だからいざ自分が全てを考える立場になればこんなに無力なのだ。


「御屋形様、そろそろご決断を」


 私の動揺を察したように就英がいった。今なら撤退可能だという意味だ。彼の中では私が考えたようなことはとっくに考え終わっていたのだろう。背水の陣ではあるが、我らは水軍なので川は退路だ。残った小早船で川を下れば撤退は可能。


 眼前の硝煙にけぶる戦場。小早船の合間から見えるのは敵の前衛秀長隊の大まかな位置程度。


 煙の濃淡が敵兵に見える。小早船の間から今にも槍を構えた足軽が突っ込んでくるのではないか。いや、実はすでに秀吉本隊が我々を包囲しつつあるのではないか。あるいは後方の姫路城から敵の援軍が背後に……。


 三百六十度、すべてが危険に見える。何もかもが解らない。今自分が戦場のどこにいるのかすらおぼつかなくなっている。


 現代の軍事知識? 役に立つわけがない、この場には衛星はもちろん航空機、いや無線通信すら存在しない。現代兵器なんていらないからドローン一機とスマホ一つが欲しい。そんな非現実的な思考まで頭をよぎった。


 皮肉にもそれで気が付いた。


 ああなるほど、これがそうなのか。


 今私の目の前にあるのが『戦場のNebel des Krieges』だ。軍事学上もっとも重要で、そのすべての基盤となる概念。


 天候、地形、敵味方の配置と数とその動き。総司令官は戦場全体を俯瞰する必要がある。だが同時に戦場とは霧の中にあり、そんなことが出来る人間は誰もいない。完全に俯瞰した情報なんて現代戦ですら存在しない。


 もちろん霧の中が見えないのは私だけではない、敵将秀吉も配下の三将も全員がそうなのだ。この戦場に居る全員が同じ霧の中で戦っている。


 そしてうろたえているのは私だけ。


 これまでこの霧に挑んできたのは祖父元就であり叔父の元春、隆景だったからだ。


 撤退はいぼくの二文字がやっと現実感を持った。


 視界の隅で就英が左右に目配せするのが見えた。いつの間にか背後の川に一艘の小早船が用意されている。本陣の将である就英の最大の役目は私を死なせないことだ。必要なら無理やりでも船に押し込むだろう。


 就英は自分が何をすべきかわかっている。彼自身戦場の霧の中で本陣を指揮しながら。


 じゃあ総大将である私の役目はなんだ? これまではまさしく死なないように逃げることだった。だが今回だけはそれではいけない。これは毛利国家の元首としての私が決定した戦いだ。


 私自身が戦場の霧に挑まねばならない。

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