閑話 潮読み

 瀬戸の波を越えて戦船の集団が東へ走る。先頭を行くのは『丸に上』の村上紋を帆に揚げた大型の関船だ。日本の戦船いくさぶねは大きいものから安宅船、関船、小早船と続くが、最大の安宅船は速度に劣るため能島衆は使わない。


 主力は関船だ。関船は流線形の船体をもち速度に優れる。名前の由来は関所を意味して、海の関所として通行税を取るための船だ。正確に言えば、通行税を払わない船を襲撃するわけだが。


 武吉の大関船には小型の小早船がひっきりなしに接近しては離れていく。瀬戸内海の島々、津々浦々からの連絡だ。瀬戸内海に張り巡らせた武吉の情報網である。


(…………確かに羽柴は予想以上の速さで姫路へ引いていると。御曹司の読み通りか。しかしこっちも読めるものか?)


 武吉は晴天を見上げた。


「能島は羽柴に付くんじゃなかったのか……」

「そのつもりだったんだがな」


 一人の水軍武将が近づいてきた。村上元吉、武吉の嫡男であり木津川口の大海戦では村上水軍を指揮して織田海将をことごとく海に沈めた。船戦を任せるだけなら十分すぎる跡取りだ。


「あの安宅、舩腹の沈み込みから言って兵も鉄砲もたんまり積み込んでいる。それでも織田の黒船とは比べ物にならないぞ」


 武吉が底冷えを感じる目を名目主君の座乗船に向けたのを見て、息子が言った。命令あれば沈めるという意味だ。


 海賊にとって陸の大勢力はすべて敵である。厳島の合戦で毛利に味方したのは周防長門を支配する陶が武吉の海の権益を認めなかったから。そして毛利が大きく成って自分たちを掣肘しようとしたら大友、山名、浦上と組んで毛利包囲網に加わった。


 結果、毛利水軍の総攻撃を受けて服属したが、それは自分たちの存在を認めさせるための必要な手順というのが武吉の思考だ。陸の流儀に唯々諾々と従えば自分達かいぞくは立ち行かない。


 そして毛利がいなくなれば瀬戸内は自分達の庭。だが武吉は首を振る。


「安宅を沈めてもが残ってる。毛利は揺らがねえ。船数じゃ勝てねえからな」

「確かに隆景殿は侮りがたいですが」

「それにでかいだけの張りぼてと思ったあの安宅、腹に何を隠しているのか分からなくなった。御曹司の言葉を聞いただろう。あの餌をぶら下げられちゃ針にも食いつきたくなるじゃねえか」

「確かに小早川殿とてあそこまで我らを理解していません。あの方は毛利全体を考えますゆえ陸から海を見る」

「そういうことよ。御曹司の目は海からだった」

「……むしろ危険なのでは?」

「ひとまずは羽柴相手にどこまでやるか、それを見せてもらおう」

「潮待ちということですか。承知、各船にはそのように伝えます」


 元吉が合図を送るために離れる。「警固を引き受けた船を難破させたとあれば村上の名折れ。毛利殿には播磨まで無事ついていただく」元吉が部下に指示する声を聴きながら、武吉はもう一度空を見た。


 この様子だと明日も晴れだろう。


 一つだけわからないことがある。海の天候だ。あの御曹司の羽柴追撃策は海の機嫌ひとつで崩壊する。瀬戸内は海流は複雑だが、天候は比較的安定している。それでも村上水軍の教えは「天地人の天を一にする」。つまり天候には決して逆らわないと定めている。


 武吉が天候を読むに数日晴天。だが確実ではない。確信を持っていなければ毛利家当主の自分自身を賭けられるものではないはずだが……。


 武吉がそれを考えようとした時、元吉が慌てて戻ってきた。傍らには淡路に置いていた部下がいる。どうやら今小早船で着いたようだ。


「塩飽、淡路、そして上方に逃れた来島様の船団が近づいてくると。数は二百を越えます」

「来島兄弟が来たか」


 三島村上の中で四国伊予に近い来島村上は伊予古来の名族であり、伊予守護を歴任した河野家の重臣の立場にあった。早々に織田に寝返った来島を武吉が撃破したのはほんの少し前だ。


「元吉。毛利には海の戦はこちらが引き受けるがゆえ、安心して播磨に向かわれよと伝えよ。野郎ども、今更帰ってきても居場所はねえと来島に教えてやれ」


 後に塩飽沖海戦と呼ばれる能島村上と織田方水軍の海戦。それは本能寺で動揺する織田方水軍を武吉が完膚なきまでに打ち破った海戦として歴史に刻まれることになる。

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