第三話 海賊の流儀

 天正十1582年六月六日。本能寺から四日後。芸備海峡の中央、能島城。


 周囲一キロに満たない瀬戸内海の小島、能島。その全体を要塞化したのが能島城だ。主曲輪の窓からは島々の間を流れる海流のうねりが見える。その名も瀬戸と呼ばれる海の難所だ。


 海賊の拠点としてこれほどふさわしい場所もないだろう。


「で、御曹司はどこの島をくれるんだ。ちなみに羽柴は四国をって言ってきたんだがな」

「なるほど羽柴筑前守は大気者との評判、誠だな」


 日焼けした髭面の男、村上武吉の乱暴な言葉は名目上とはいえ主君に対するものではない。私の背後を守る児玉就英が殺気立つのを感じる。だが私は鷹揚に頷いて見せた。我々が率いる三千の毛利水軍を播磨に移動させるには、この海賊が欠かせない。


 九州、中国、四国、そして首都圏である近畿を結ぶ西日本の大動脈、それが瀬戸内海だ。ここ芸予諸島はその瀬戸内海の海の関所。中国の安芸ひろしまから四国伊予えひめまで南北に並ぶ島々は、現代では島並海道が通っていた。


 この時代、芸予諸島には三島村上水軍と呼ばれる海の武士団が割拠している。村上武吉は三島村上の本家筋であり、芸予諸島中央にある能島城主だ。


 瀬戸内海に【村上】の名が初めてあらわれるのは十世紀、平安中期の藤原純友の乱と言われる。千隻を率いて瀬戸内海を暴れまわった藤原純友を討伐した越智好方の部下に【村上某】がいたと伊予の地誌である予章記に記されている。


 次に現れるのは十四世紀鎌倉末期の【村上義弘】だ。南朝の征西将軍宮懐良親王を九州に送り届けたといわれ、やはり伊予の大島を中心に活動した。この義弘の後を継いだといわれるのが現在の三島村上水軍の祖である【村上師清】だ。


 【師清】は清和源氏である信濃村上氏の出身で、鎌倉末期に伊予に来たとされる。ちなみに信濃村上氏は戦国時代にも大名として存続していて、武田信玄と激しく争ったことで知られる村上義清がそうだ。


 この伊予に来た師清の三人の息子が能島、因島、来島の三島村上家となった。私の前にいる能島村上武吉は師清長男の末裔だ。


 武家の家系図としてもなかなかアクロバティックとはいえ、この来歴が本当なら毛利なんて中国の新参者だ。


 もちろん十世紀の【村上某】と十四世紀の【村上義弘】がつながっている確証はないし、信濃からきた【村上師清】が本当に村上義弘の同族だったかもわからない。


 とはいえ東国武士が西に移って土着したこと自体は珍しくない。というかありふれている。


 我が毛利も大江広元の四男が相模かながわけん毛利荘を得て毛利氏を名乗ったことから始まる。本家滅亡後、越後に残った一族が安芸の吉田に移り今に至る。小早川家も同じく関東平氏の土肥氏、吉川家も関東出身だ。平家滅亡と承久の乱を経て、東国武士が西国に支配権を広げた日本史の大きな流れだ。


 とにかく現在村上氏は能島、因島、来島の三島に分かれ、芸備海峡に海の関所を形成する瀬戸内海の大水軍集団となっていて、その本家筋である能島村上の当主が目の前の髭男ということは間違いない事実だ。


 とはいえこの男が芸予諸島全体を支配しているわけではない。三島村上といっても因島村上は小早川の傘下だし、来島村上は四国の伊予河野家の重臣だった。つまり同じ村上を名乗っても、三島全く立場が異なるのだ。


 武吉は瀬戸内海の水軍の中では比較一位に過ぎない。総力なら毛利が遥かに勝る。だが毛利水軍は一連の戦でくたくた、ここに連れてきた三千は消耗したら替わりが利かない。


 瀬戸内海の東半分は未だ織田家の影響下にあり塩飽、淡路など織田方水軍が存在する。史実では山崎の合戦の前、秀吉は迅速に淡路を抑えている。本能寺の混乱があっても織田方水軍はある程度組織を維持していたと考えられるのだ。


 私が秀吉より先に播磨にたどり着くためにはこの能島村上武吉の協力が必要不可欠だ。


 向こうは百も承知である。三島で一番陸上から離れた武吉の行動の自由度はもともと極めて高い。武吉は東の三好、南の河野、西の大友、そして北の毛利と敵味方をとっかえひっかえを繰り返しながら勢力を拡大している。毛利とも十年前に戦っており、毛利が勝って再び服属させた関係だ。


 自分の存在が周囲の大勢力にとってどの程度の価値かを見極める能力なしに小勢力は生き残れない。大内と尼子の間で綱渡りをしきった元就そふがその最たるものだ。


 今、武吉は私自身が来たことに恐縮するのではなく、自分の価値を確信している。それでも私自身が出向くしかなかった。


 隆景ほどの交渉力は持ち合わせていない私だが、この男の見ている世界を知るという意味では誰にも負けない。


「確かに羽柴は豪気。だが人たらしであることに関しては世評ほどのことはないらしい。武吉にふさわしいのは四国ではなく淡路一国であろうに」


 私は髭面の海賊との交渉を開始した。


 お前は四ヶ国の主にはふさわしくない、一国がせいぜい。私の言葉に周囲を囲む海賊たちが殺気立つ。だが、武吉はその表情を改めた。


「俺が四国丸まるより淡路一つを欲しがると。こいつは傑作ですな」


 海賊頭目が連歌を詠む教養人の顔を出した。日焼けして顎髭だらけの野人のような男だが、私を迎える服装は烏帽子直垂という正装だ。


「つまり羽柴に勝った暁には淡路を下さると」

「長門の彦島。備前本太。そしてこれは明智との国割次第だが淡路の港一つの代官職を任せたい」

「つまり瀬戸内の東、中央、西の大港を預けてくださると。悪くはないが彦島はともかく本太、淡路は未だ織田方……」


 武吉は意味ありげに首を傾げた。


「私自ら馳走を求める以上これだけのはずがないだろう。鞆の公方様を通じ武吉に太宰大監だざいのだいげんの官位が与えられるよう朝廷に奏請しよう」

「太宰大監? そりゃどれくらいの官位で」

「正六位下」

「田舎海賊には過ぎた位だな。毛利家の当主様は今何位だったか?」

「私の右馬頭うまのかみは従五位下」

「二段上。鞆の公方が上洛となればさらに上になるな。確か将軍足利義稙を返り咲かせた大内義興は従三位だったか。あんたは堂々たる公卿で、おれは殿上にも上がれない地下人ってわけだ」


 ちなみに五位と六位には天と地の差がある。五位以上が貴族で六位以下は地下人。貴族の中でも四位と三位に大きな差があり、三位以上が公卿である。


 現代なら県知事に当たる国守がギリギリ貴族の五位に過ぎない。ただし地方の武士にとっては地方役人である六位以下ですら垂涎の地位だった。それら地方官名を名字にした家がいくらでもある。


「太宰大監には大きな意味がある。これはかつて藤原純友を討伐した大蔵春実が任じられていた官職だ」

「…………ほう」


 武吉が唾をのんだ。武吉の後ろに控えている男たちは怪訝そうな顔になる。反応したのは武吉の嫡子元吉くらいか。この官位は遥か昔から村上がこの地方の水軍の雄だったことの証明、そしてそれ以上に重要なことは……。


「つまり俺らが徴収している帆別銭に朝廷のお墨付きを得られると」


 同じ水軍でも海賊から官軍へ、正確には海上保安庁に近いかな、それが武吉に与える報酬だ。


 能島は海の真ん中に位置する、海洋権益に全ぶりしているのが能島村上家なのだ。だがそれは中央によりいつでも犯罪かいぞく行為にされてしまう不安定極まりないもの。そもそも海賊とは地方から朝廷に運ばれる税を海上で奪うから“賊”と呼ばれたのだ。


 史実でも武吉は秀吉の海賊停止令に背いて瀬戸内海から追われている。


「こちらが欲してるものがよくわかっておいでだ。だが解せませんな。内懐である瀬戸内にそんな勢力があったら後々困るのでは?」

「帆別銭は商人に課すもの。毛利軍の海上活動は当然掣肘させるつもりはない。また関料を取る以上は村上水軍、いや村上警固衆には海上の保安を義務付ける。例えば嵐で船を失ったものを保護し、元の港に送り届けるなどだ」

「そりゃ中々の苦労ですな」

「陸の関所も関料の代償として道の整備を行う。海の関でも同様にするが道理であろう。瀬戸内の海上交易が盛んになれば、より多くの船が瀬戸内を通る。現在土佐沖を迂回している船も含めて」

「船が増えれば帆別銭が増える。それに毛利様の領地もいろいろと儲かると」


 私は頷いた。中国の経済活性化は毛利の国益そのものだ。武吉が単に船を襲う海賊ならこの交渉は通じない。だがこの男は芸予諸島という海の関所を中心に瀬戸内海に帆別銭という経済ネットワークを構築した本人だ。


 この時代においては極めて先進的なシステムだ。それが解っているから私は武吉が最も必要とするものを提示できる。


「…………俺達は何を馳走すればいい」

「わが軍を播磨まで警固していただく。一日だけ」


 私の言葉に髭の海賊は破顔した。そしてまじまじと私の顔を見る。


「まいったな。俺が知ってる毛利の御曹司は爺さんの言葉を継げるような器じゃなかったんだが。よろしいでしょう。この能島武吉、御主君を播磨までしっかり警固しましょうぞ」




 晴天の中、海風は荒く、瀬戸の海流は激しい。


 瀬戸内海を東進する毛利家直属水軍川ノ内警固衆の船団。旗艦である安宅船上に私はいた。ちなみにわが船団は周囲を村上水軍に囲まれている。八十艘に満たない毛利に対して、周囲を囲む村上水軍は二百艘近い。武吉が織田との戦で毛利に協力せず、戦力を温存していたことを現している。


 まあそれが幸いするんだからわからないよな。


「御屋形様。お見事な調略でございました。あの難物をよく説き伏せられた」


 児玉就英が言った。毛利直属水軍、川ノ内警固衆の指揮官である四十近い武将だ。毛利家譜代家臣児玉一族で、織田方水軍を完膚なきまでに破った第一次木津川口の海戦にも参加している。


 無理やり例えると毛利海軍第一艦隊司令官だ。


「我ら陸の武士と水軍衆はありようは違う。だがそれでも望みは同じ。先祖代々命がけで切り取ってきた権利の保持。我らにとってそれが領地で、武吉にとっては航路の関所」

「感服仕りました。しかれど、最後まで油断なされますな」

「そうだな。今の我らは海賊の腹の中だ」


 島々の間を縫う海流の中を整然と航行する村上水軍。ちゃんとついていける川ノ内警固衆も決してまずいわけじゃないが、練度の差は歴然だ。そして武吉の旗艦である大関船に瀬戸内海の津々浦々から小早船の連絡が来ている。


 これを見ておきたかった。


 武吉を味方に引き入れなければいけなかった理由がもう一つある。


 海上の要衝チョークポイントである島や港を点で支配、その点の間にネットワークを巡らせることで瀬戸内海の制海権を取る。さらにそれを海運利権に変える。


 これはかの大英帝国、そしてアメリカ合衆国が世界を支配したのと同じシステムだ。地政学的にはシーパワー戦略と呼ばれるものだ。


 能島村上のノウハウは海洋国家日本を作ろうとする私にとってはまさに垂涎であり、そして今後の最大の敵になりうる。


 私は武吉以上に武吉のことを評価しているのだ、今回の調略こうしょうがなったのはそれが理由だな。

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