第二話 毛利両川を説得する
「
「
「本当につながるかはこの後どう動くか次第であろう。兄者」
「分かっておる。撤退する羽柴を追撃…………とはいかぬな」
二人の叔父が私を無視して毛利家の方針を話し合っている。ごく自然な光景だ。この時点での毛利は両川体制だ。吉”川”元春、小早”川”隆景が事実上の首脳だ。お飾りに敬意を払うのはセレモニーだけで充分。国家存亡の緊急事態ならなおさらだ。
私はこの二人がベターな結論に達することを知っている。いや、本能寺を知った以上、さらに良い結果になるだろう。例えば清水宗治は死なないで済むだろう。
「では予定通り羽柴と和睦ということとする。よいですな御屋形様」
事実上の決定事項を告げる隆景。その怜悧で優秀な頭脳はすでに戦後処理について回転し始めている。
「いえ、羽柴を討ちます。毛利が日ノ本のすべてを治めるために」
私は戦国有数の知将に真っ向から反対した。その程度では歴史は変わらない。私の目的のためにはベストを越える必要がある。
「…………」「…………」
性格反対の二人がそろって絶句するのを見たのは初めてだ。それくらい
「もう一度たずねる。羽柴と和睦する。それでよいな幸鶴丸」
隆景の怜悧な視線が突き刺さった。相手は静かに座っているのに首筋に刀でも突き付けられたよう。さもありなん。相手は戦国屈指の知将だ。ちなみに幸鶴丸は私の幼名である。
祖父元就の息子は逸材ぞろいだが、謀神の知謀を継いだのは間違いなく
十二歳で
その後
それを分家の養子から統一し、さらに家中を完全にまとめ上げる? どうしたらそんなことが可能なのか私には想像もできない。
元就が危ぶむほどの才知は五十年の戦乱の経験によって磨かれ、ゆるぎない現実を捉える冷静な知性となった。秀吉の”勇気があったら”という評はひっくり返せば優れた現実主義者という賞賛であり、天下を差配する能力を持っていたことは歴史が証明している。
本来の歴史では隆景は秀吉に賭け、毛利を豊臣政権の五大老に列せしめる。織豊期の動乱の中、大毛利を保たせたのはこの男の力だ。もし隆景が関ヶ原まで生きていれば毛利は加賀前田家並みの待遇を得ていただろう。
「毛利は天下を競望せず。日頼様の御遺志をいかんとする」
隆景は一転してたしなめるように言った。
どうやってこの怪物を覆す?
当主は私だから従えは通じない。戦国大名は基本的に半独立の国家である国衆のまとめ役だ。
主君と家臣ではなく、少なくとも形式の上では同盟関係であるという証である。
目の前の二人の叔父も毛利家一門であると同時に国衆吉川家、小早川家の当主だ。毛利本社副社長であるのと同時に有力子会社の社長。
父隆元が「弟二人は自家ばかりを考えて本家をないがしろにしている」と愚痴った書状と、祖父元就が「兄弟三人にとにかく仲良くしてくれ、そうじゃないと家が滅ぶ」と諭した全長三メートルに達する
もし私が方針を強制しようとすれば二人は
「仮に天下を望むとしよう。しかし今は力を蓄えるときであろう。よいか織田家はこれから重臣間の争いで分裂するは必定なのだ。羽柴を姫路に戻すことでむしろ織田家中の争いを助長し、毛利は織田が疲労困憊したところを狙えばよかろう」
遂に幼子に諭すような言葉になった。この叔父に折檻された時のことを思い出す。口調は優しげだが、正論で完膚なきまでに逃げ道をつぶす。今回のもまさにぐうの音も出ない正論である。だが……。
「叔父上は真にそうとは思っておられますまい」
「…………なに」
冷徹な知者の表情が一瞬崩れた。そう、今回に限っては私はこの男の本音を知っている。
「くしくもその恵瓊が言ったではありませんか。秀吉さりとてはの者、信長をも超える力量があると。羽柴を無事に返せば織田家は羽柴により早急にまとまる。違いましょうか」
「…………」
「もう一度お聞きします叔父上。このまま羽柴と
私は意志のすべてを集めて叔父を見た。
「………………惟任は主君を討った、大義がない。羽柴が逆臣討伐を大義に上げれば池田、高山、中川といった摂津諸将はもとより細川、筒井といった惟任組下すらも中立を保つかもしれん。惟任は京を抑えているが戦においてはこれは負担。
私は驚愕した。なぜ推論だけで今後の歴史を完全に当てるのか。戦国最高の知将に内心ビビりながら、なんとか言葉を発する。
「すなわち毛利は織田家執権となる羽柴の傘下。これが最も可能性が高いということですね」
元春がギリっと奥歯をかみしめた。だが隆景は懐から扇子を取りだすと口元を隠した。
「羽柴の下で毛利の家が保たれるのならそれも良し。恨みを買うのではなく恩を売るべし」
用意されていたような言葉に思わず背筋が冷えた。もしかして隆景も恵瓊同様……そんなあり得ない考えが浮かんだ。恐ろしいのは隆景が決して毛利を裏切らないことを知っているからだ。
ちなみに将来私が起こす(起こさないが)家臣妻強奪事件でその
「吉川の叔父上も同じお考えか」
黙ったままの吉川元春に水を向けた。鳥取城を落とした羽柴秀吉が勢いに乗ってさらなる侵攻をこころみた際、背水の陣を敷いて五倍の敵を追い返したという経歴持ち。毛利家一の勇将だ。
「羽柴が兵を引くなら必ずや足守川の堤を切り、あたりを泥土とする。無傷の宇喜多一万の人数が背後を守る。これらを越えて羽柴を追う力は今の我らにはない」
吉川元春は奥歯をかみ砕かんばかりの表情で言った。
歴史では吉川元春は秀吉嫌いだったと言われる。和睦後に本能寺の変を知り秀吉追撃を主張したとも。私の持っている輝元の記憶からも確かにこの叔父は秀吉を嫌っていた。
だがさっきの二人の議論でもちゃんと「羽柴を追撃は出来ない」といっていた。こちらが真実だ。
吉川元春は猛将と伝わるが猪武者とは正反対の存在だ。勝てる戦いは必ず勝ち、勝てない戦いは回避する、そのうえで勝てないけど避けれない戦いは引き分ける。それも隆景同様に養子としてのっとった吉川家を率いて。
この一族は本当にチートなのだ、私以外。
史実では毛利は敢えて追撃しなかったといわれるが、実際には追撃したくてもできなかったが実情だ。仮にも当主だから知ってるが毛利はボロボロだ。四倍以上の石高と十倍近い経済力をもつ織田家相手に二回の木津川口の海戦、鳥取城、そして今回の高松城という大戦を続けていたのだ。毛利の財政は破綻寸前、配下の負担は限界で離反の動きが広がっている。
すでに元就の娘を娶った一門衆上原元将が寝返っている。毛利の陣中にある諸将の何人が羽柴とお手紙交換しているか。
毛利家は国衆組合の組合長だ。自分の会社を日本一にするために、お前らつぶれる覚悟で従えという組合長についてくる組合員はいない。
本能寺の変を知っても二人が羽柴追撃を主張しないのは歴史の強制力じゃなくて冷徹な現実だ。だが私はその現実を越えなければいけない。
「日頼様から授かった戦立てがあります」
二人の反論がそろった今こそ切り札を切るときだ。
私は地図を広げる。安芸を中心にして日本の西半分、西は九州北部、東は京都までの範囲だ。現代人の感覚からは粗すぎるが日本の形は捉えている。
私には確かに現代知識がある。残りの生涯をかければあるいは蒸気機関を作れるかもしれない。だが今は今の毛利軍だけで秀吉を討たなければならない。本来なら絶対に不可能なこの軍事行動が今この瞬間だけ成立しうることを私は知っている。
「我らは織田家と和睦し、西へと引き上げることで羽柴を油断させます。しかし軍を引くは備後まで。そこに川ノ内警固衆の軍船を呼び瀬戸内を東進します。そして姫路前で疲労の極みにある羽柴を要撃する。これなら五千、いや三千の兵で羽柴を討てるはず」
私は播磨姫路城の直前を指さした。中国大返しの前半、秀吉はまず全速力で本拠地にもどる。これは軍事上絶対に変わらない一手だ。その速度が想像を超えるのだが、それは私にとっては想定内、いやむしろ想像を超える強行軍をするからこそ、疲労のピークをつくことが出来る。
「羽柴を討ち姫路を押さえれば織田家に奪われた中国三ヶ国備前、美作、因幡を取り戻す拠点になります」
私は現代の兵庫県、この時代は播磨と呼ばれる国を指さす。秀吉が『三木の干殺し』と呼ばれる凄惨極まりない戦で平定して二年しかたっていない。これまでの国衆の自立性を否定する織田家の政策に反発もある。信長、信忠が死に秀吉も討てば国衆は毛利に次々となびくことは間違いない。
そして播磨の半分も押さえれば、宇喜多領の備前美作、現代なら岡山県東部は毛利に囲まれた状態になる。宇喜多の現当主秀家は幼く、秀吉の後見で家督を継いだばかり。
「惟任は畿内を抑えても、背後に柴田など織田の宿老、信長の息子という敵を抱えます。そして大義のない惟任は我らが鞆にて抱える
姫路は中国戦線における織田家勢力の急所だ。本来なら厚く守られているこの急所が今このタイミングだけは攻め口が開いている。播磨五十万石に備前美作五十万石、そしておまけで因幡二十万石。
これは百二十万石の一手だ。
二人の叔父の頭が下がった。私の作戦に感服して頭を下げているのではなく、床の地図にくぎ付けになっている。怖いほどの沈黙の後、二人の叔父は顔を上げる。
「これが出来れば確かに中国全土毛利の手の内」
「羽柴の首を取り、因幡を取り戻し、経家を初め多くの者どもの犠牲に報いるか」
毛利という
隆景は羽柴との和睦交渉。元春が毛利本軍の統率のため帰陣した。私は硬い板間に尻を置いて考える。秀吉を討って姫路攻略は現時点での最善の一手だ。軍事的には十分成算がある。
だがこの軍事作戦の実現のためには一つ必要なことがある。備後から播磨までの瀬戸内海の制海権だ。その確保が私の次の仕事だ。すなわち日本一の海賊大将の
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