毛利輝元転生 ~記憶を取り戻したら目の前で備中高松城が水に沈んでるんだが~

のらふくろう

序章 中国大返し返し

第一話 前世の記憶に目覚めたら詰んでいた

 板間に首が一つ置かれていた。禿頭とくとうの男の首だ。


 往時は才気に任せてしゃべり散らかしていた男はすべてを悟ったように目と口を閉じている。まるで高徳の僧のようだ。


 いや、私が知らなかっただけでこの男は自分の寺ではこのようだったのかもしれない。歴史に名を遺す人間の本当の姿など、同時代に生きていても見通せるものではない。


 我が家の外交僧であり、名刹安国寺の住職であり、そして将来伊予六万石の大名になるはずだった男の首。関ヶ原より十八年も前に恵瓊が死んだ。


 それは私が歴史を変えてしまったことの明白な証だった。


「確かに羽柴に内通しておった」


 沈黙を破ったのは細身で神経質そうな男だ。確か年齢は五十くらい。浅からぬ縁のある男の死を前に表情は冷静で声は冷厳だった。


「元は武田一族、さもあろう」


 苦々しげに吐き捨てたのはこの中で一番年上にもかかわらず、衰えぬ筋骨を誇る男だ。口調に反して表情には哀れみがあった。


 ちなみに両人ともに私の叔父であり、後見人の立場にある。


 現在の状況を整理しよう。私の目の前にある首は安国寺恵瓊、右に座るのが小早川隆景、左は吉川元春だ。今は天正十年で西暦なら1582年、六月四日の早朝。場所は備中で現代なら岡山県の西部に相当する国だ。


 戦国時代に詳しいものなら私が誰か分かるだろう。毛利輝元だ。中国の覇者毛利家の三代目。偉大なる祖父から十ヶ国にまたがる大国を相続し、豊臣政権の五大老に列し、関ヶ原で西軍の大将になった大大名である。


 そして徳川家康に一戦すら挑めずに敗北。勝手に徳川に内通した家臣から防長二国を恵んでもらうまでに零落した凡君でもある。


 さらに驚くべきことに前世の記憶を取り戻した転生者でもある。前世といっても1582から450年くらい未来なのだが。



 私が記憶を取り戻したのは昨日、六月三日、山上から戦場を見ていた時だった。


 西に『左三つ巴』の旗を並べている小早川隆景の陣。

 北西に『丸に三つ引き両』の吉川元春の陣。

 そしてその先には敵の大軍に囲まれた湖面に浮かぶ城が見えた。


 毛利国家の総力を挙げて織田の一方面軍にすぎない羽柴軍に対しながら、味方の城一つ救えないという戦場図。後世『備中高松城の水攻め』と言われる戦国史の大イベントだ。広島県呉市生まれの軍事史オタクにとっては垂涎の光景といっていい。


 もちろんその時の輝元わたしの気分は高揚とは反対だ。毛利の防波堤が今まさに崩壊しようとしている。皮肉にも敵が築いた堤防によって。


 私の脳裏に「待てよ。本能寺の変はもう起こってるんじゃないか?」という疑問が浮かんだのはその時だった。


 そして次の瞬間、前世と今世の記憶が混濁して私は意識を失った。




 近習たちに近くの寺に運ばれた私はパニックになりながら必死に考えた。


 今が天正十1582年六月三日ということは、本能寺の変は昨日起こっている。数日後には秀吉が中国大返しを開始し、十日後の六月十三日には山崎で明智光秀を討つ。秀吉はそこから賤ケ岳、小牧長久手を経てたった二年で織田家を簒奪。三年後には関白となる。


 下層民から天下人への日本史上最大の出世物語、そのクライマックスが開始しようとしている。


 一方、正反対の道をたどるのはこの私、毛利輝元だ。中国十ヶ国百十二万石、日本屈指の大大名である私はこれからひたすら天下人に服従し続ける人生を送る。関白豊臣秀吉により四国平定、九州討伐とこき使われ、朝鮮出兵かいがいにも駆り出される。


 秀吉が死んだ後、うっぷんを晴らすがごとく西軍大将として大阪城に入ったはいいが、徳川家康相手に一戦すらせず大阪城を明け渡す。領地安堵の約束を破られ石高が四分の一にされる。そして征夷大将軍家康の下で、財政難による家臣リストラの中天下普請に大阪の陣と服従を試され、かろうじて防長三十六万石の長州藩を残して死ぬ。


 安芸の一国衆から中国の覇者に成りあがった偉大なる祖父の遺産を食いつぶしていくだけの三代目、それが本来の歴史における毛利輝元わたしの人生だ。


 客観的にみれば大名として生き残ったのだから悪くない未来なのだろう。天下人には這いつくばっても領国では殿様だ。家臣の若妻を強奪した挙句、その家臣が秀吉こうぎに訴えようとしたのを口封じしても通るくらいの権力者ではある。


 いや、まだやってない。このドン引きエピソードは三年後の話だ。今の私は家臣の幼い娘をモノ欲しそうな目で見て、その家臣からこんな主君ロリコンにやるくらいなら早く嫁に出そう、と思われている程度の段階。


 とにかく本来の歴史なら私はこれから四十年以上ひたすら下り坂の人生を歩む。仮にそれが分不相応な大名のものだとしても、結末を知っていながらは流石につらい。


 未来の歴史の流れを知っている以上、もう少しましにできるはずだ。例えば本能寺のことで秀吉に恩を売って豊臣政権での地位を盤石なものにする。秀吉の死後にそなえて家康と友好的な関係を築き、関ヶ原で東軍に付く。これで少なくとも前田家と同じかそれ以上の立場を確保できるはずだ。


 百万石、いや百五十万石、それは流石に徳川幕府にとって大きすぎるから百二十万石かな。これくらいなら達成可能ではないだろうか。


 まあその結果幕末に長州藩が明治維新に参加しなくて、日本が欧米の植民地になるかもしれないが三百年先のことなんて気にしてられない。ただでさえ中世から近世への大転換期なのだ。私の能力ではそれに対応するだけで精一体だ。未来の日本のことは未来の日本人に頑張ってもらう。


 …………どうせ日本は四百五十年後には滅びるんだから同じだ。


 待てよ、そうなると今の段階で下手に歴史に干渉するのは悪手かもしれないな。とにかく秀吉が天下を取るまでは歴史は変えるべきでは――。


 燃える街と沈んでいく艦艇の映像がフラッシュバックした。


 鮮明で生々しい破壊の光景が前世の最後の記憶だとすぐわかった。


 第三次世界大戦、広島県呉湾に降り注いだ無数のミサイル。破壊される海上自衛隊基地と出航直後に沈んでいくイージス艦。


 あれは日本という国自体の滅亡だったはずだ。呉に集結したのは当時の日本の海上防衛力のほとんどすべてだ。海上輸送を断たれれば人口の半分も養えない食料とエネルギー事情の日本が生き残れるはずがない。つまり日本は第二次世界大戦と同じ形で滅ぶんだ。


 あの瞬間私は軍事史の知識からそう結論した。そして岸壁を越えてきた海水に飲まれて死んだ。将来仕事を辞めたら呉を中心に日本の軍事史をまとめるなんて夢を持っておきながら、歴史と戦争を俯瞰できたのは実際にミサイルが降ってきてから。


 今思い出したら実に皮肉な、そして私らしい間抜けな最期だな。


 そういえば毛利輝元になってから約三十年、ちょうど私の死んだ歳か。なるほど何故突然記憶を取り戻したのかと思ったらそういうことか。奇しくも現代という時代の終わりに死んだ私は、中世の終わりに続きを始めるわけだ。時代の変化に対応しきれず衰退していく毛利の国家元首だいみょうとして。


 幸いにも今回は未来の流れが解っているから何とかうまく立ち回って…………本当にそれでいいのか? あんな経験をしたのにそのを忘れて?


 いや結論は変わらない。お飾りとはいえ戦国大名をやった今なら分かる。国家という複雑で大規模な組織を新世界に合わせて生まれ変わらせるのはとんでもない難事だ。この時代においてそれを成し遂げたのが信長、秀吉、家康という英傑であり、私は彼らに翻弄されるだけの毛利輝元だ。


 前世の記憶を取り戻したといっても私にあるのは軍事史の知識くらい。ナポレオンの師団編成、クラウゼビッツの戦争論、乃木希典による近代要塞攻略、第一次大戦の総力戦の概念、マハンやマッキンダーの地政学、マンシュタインの機甲電撃戦、山本五十六の空母機動艦隊の集中運用、そしてアメリカ海兵隊による水陸両用作戦。


 戦争という最も厳しい現実に対して人類が知の限りを尽くし、莫大な人命を犠牲にして検証された珠玉の知識であり理論だ。


 だがこの時代においては何一つとして実行できない。


 火縄銃を後込めに改良するだけで十年はかかる。いやこの時代の技術力でそんなことをしたら不良品だらけになるに決まっている。半分にも満たない優良品を整備不良と闘いながら運用するくらいなら旧来の火縄銃を大量にそろえる方がまし。


 兵器とは必要な時に必要な数がそろわないと役にたたない。そしてそれが出来るだけの国力を背景にした側が勝つ、それが総力戦という軍事概念だ。第一次大戦を実質的に経験しなかった日本が第二次大戦に対応できなかった理由の一つがこれだ。


 戦国末期はすでにそういう戦いになっている。鉄砲という火器の登場により国力差が容赦なく軍事力の差に変換される。祖父のような小兵が技の切れで大大名に成りあがる時代は終わり、最大勢力が有無を言わせず二位以下を押しつぶす物量戦の時代になっている。


 信長がクーデターで倒れても秀吉が数年で天下統一を成し遂げたのは、畿内の経済力と工業力を基盤にしたこのシステムを受け継げたからだ。


 では毛利が中央を制せばいいのか? これも無理だ。今の毛利家は織田家とは比べ物にならない旧式組織だ。謀神元就が智謀とカリスマで作り上げた独立国衆連合、規模の大きな中世国家だ。


 毛利が京を狙えば自壊しかねない。「毛利は天下を競望せず」という祖父の遺訓は実に正しい。私が信長になれないのはもちろん、毛利家は織田家になれない。


 そもそも仮に天下を取ってどうする。東洋で大航海時代と産業革命を先取り? 私如きに出来るわけがない。下手すれば一時は世界第二位の経済大国、第三次世界大戦直前だって五位と四位を行き来していた日本れきし以下になる。


 毛利家の行く末である長州藩は明治維新の原動力だ。西南雄藩の中で真っ先に幕府に噛みついたのは私のやらかしで防長に押し込められたうっぷんを二百五十年かけてため込んだという側面がある。下手をしたら明治維新が失敗して欧米列強の植民地だ。万が一私が天下を取っても四百五十年後は元より三百年後のコントロールすら不可能だ。むしろ悪くなる可能性の方が高い。


 私は結局大きな時代の流れに翻弄される能力しかもっていない。前世の私は迫りくる第三次世界大戦を予想もしなかった。過去の歴史に鑑みれば兆候はいくらでもあったのに。


 つまり何もしないことが最善か。大きな時代の変化に翻弄されるだけの、いや未来を知っていながらそれに合わせる道化の人生。その結果としてあの悲惨な日本の滅亡……。


 ドンッ!!


 戸板の向こうから「御屋形様、いかが成されましたか」という声「大事ない、下がっておれ」と返して、板間から腕をゆっくり引き上げる。血のにじんだ拳は、私が大国を継承しただけの凡人である証明だ。今の日本の一部、毛利国家元首ですら私の能力では到底負えない責任だ。


 だけど本当にそうか?


 私は役立たずかもしれないけど私の知識はそうではない。確かにこの時代には無線も航空機もない。だが軍事史とは兵器の進歩の歴史でも戦術の進歩の歴史でもない。もちろん知将勇将の英雄譚でもない。


 そこには時代を問わず活用できる概念がある。無線機がなくても、航空機がなくても、どんな時代にも通じる真理がある。軍事史とは人間組織の歴史だからだ。国家の意志と力を体現する巨大で複雑な軍隊という組織が時代の変化に対応して変革してきた歴史だ。


 四百五十年後の未来などコントロールできない。しようとすれば失敗するだろう。だけど未来に教訓いや戦訓を残すことはできる。私、いや毛利という軍事国家の歴史として。


 それさえできれば三百年後の明治維新だろうと四百五十年後の第三次世界大戦だろうと、その時代の日本人が頑張って何とかする。それくらいの自負を私は自分の国に対して持っている。日本人という人間集団は信じがたいほどの精度で時代の変化を乗り切ってきた。


 まいったな、天下統一でもまだ足りない目標じゃないか。


 だがこれを成すためには時間が必要だ。毛利家百二十万石ではなく天下統一、いやそれ以上の為の時間だ。それを得るために今使えるのは一つだけ。織田信長が死んでいるという情報だ。これを時間に転換するにはどうすればいい?


 私は日本地図を頭に思い浮かべる。今いるのは中国地方の備中国おかやまけん、秀吉はこの後播磨ひょうごの姫路まで撤退し、山崎の合戦に向かい天下統一への道をひた走る。それが今から起こる未来だ。この秀吉という将来の中央権力の成立を防げばどうなる?


 明智が畿内を制する。だが中世から近世への脱皮を試みた織田信長を否定した光秀はその政策を継承できない。秀吉の真似は出来ないのだ。つまり中央は混乱、少なくとも弱体化する。そして私に時間が生まれる。


 少しだけ見えてきた。だが、どうやって毛利こっかを動かす? 


 私は毛利家当主だが毛利の国家方針を決める権限はない。実際に毛利を動かすのは二人の名将おじ。彼らは憶測では決して動かない。この時代の通信速度で京に確認していたらアドバンテージは消滅する。


 おそらく今頃、隆景を中心に織田毛利間の和睦交渉が進んでいる。いや実質的には羽柴毛利間か………………。


 そうか待てよ、このタイミングならあるいは“確認”できるんじゃないか。


「誰か。日置山の隆景さえもんざと庚申山の元春するがのかみに急ぎ使いを……」




 駆けつけてきた二人の叔父に私は一芝居うった。「祖父元就にちらいさまが枕元に立って、明智光秀これとうひゅうがのかみの謀反により織田信長と信忠が共に自刃したと告げられた」と言ったのだ。


 当然正気を疑われた。後方で大人しくしていればいいのに前線に顔を出した挙句、敵の大軍に気を失い、目覚めたら都合がいい妄想にすがっている総大将。毛利家滅亡という冷厳な現実に向かい合っている二人にとって悪夢だ。「真に恐れるべきは有能な敵ではなく無能な味方である」という名言を実感しただろう。ナポレオンはまだ生まれてないけど。


 とにかく私は隆景に羽柴との和睦交渉から戻った安国寺恵瓊を問い詰めさせた。結果としてこの妄想おつげが正しいこと証明されたのだ。信長が本能寺、信忠が二条城で自刃した、という内容があまりに正確だったことで恵瓊は観念したらしい。


 要するに恵瓊は秀吉と内通して、信長の死を隠しての和睦交渉に一役買っていたわけだ。のちに秀吉から六万石もらえるわけだ。


 私が持っている特大の軍事機密、敵国元首がクーデターで死んだ、が裏打ちされた。問題はこれからだ。恵瓊が処刑されたことでは既に私の知識からは外れ始めている。何より、私自身が歴史を変える決意をしている。


 この戦場の勝敗を変え、毛利家を変え、戦国の日本の結末を変える。そして最後には……。目の前にいる二人の叔父、毛利両川という知将と勇将はその為に必須であり同時に最大の障害でもある。

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