一髪千鈞

三鹿ショート

一髪千鈞

 彼女の傷は私が原因ではないのだが、私が動いていれば、彼女がそのような怪我を負うことは避けられただろう。


***


 彼女と私は、幼少の時分から親しかった。

 父親同士が友人関係だったということもあり、頻繁に顔を合わせていたのである。

 人見知りであるために、彼女はほとんどの時間を私と共に過ごし、それに関して、私が苦痛を覚えることはなかった。

 異性というものに対して興味を抱くようになると、当然ながら、私は彼女を一人の女性として見るようになった。

 私が彼女の胸の膨らみに目を向けるようになったことと同じように、彼女もまた、私に近付いては鼻をひくつかせていた。

 互いが互いに対して欲望を抱いているが、我々はその想いを口にしたことはない。

 何故なら、それを相手に告げたとき、相手が自分を受け入れてくれるかどうかが分からなかったからだ。

 自身が好意を抱いていると伝え、相手がそれを受け入れなかった場合、我々はこれまでのような友人関係に戻ることはできないだろう。

 その可能性を思えば、相手に対して己の想いを伝えることなど、出来るわけがなかったのだ。

 ゆえに、我々は、想像の中で相手と愛し合うことしかできなかったのである。


***


 彼女に恋人が出来たという報告を受けたとき、私は耳を疑った。

 近所の人間とも目を合わせられないような彼女に恋人など出来るわけがないと思っていたからだ。

 だが、彼女がそのような冗談を口にする人間ではないことを理解しているために、信じなければならないのだろう。

 どのような人間かと問うと、彼女は写真を見せてくれた。

 写真の人間を見て、私は言葉を失った。

 明らかに、良い性質の人間ではなかったからだ。

 人間を外見のみで判断してはならないということは分かっているが、目つきが悪く、筋骨隆々であり、派手な装飾品を身につけた様子は、少なくとも自分から近付こうと思うような相手ではない。

 何処で知り合ったのかと訊ねたところ、彼女が街中で男性に絡まれていたところに手を差し伸べてくれたことが切っ掛けらしい。

 見た目とは異なり、怪我を負った動物に接するかのような態度を見せてくれていたことに対して、彼女は心を奪われたようだ。

 男性との出来事を語るその様子は、恋する人間そのものだったために、私は彼女を祝福することにした。

 勿論、気分が良いわけがなかった。


***


 彼女と過ごす時間が減ったために、私は友人たちとこれまで以上に交流するようになった。

 その中で、彼女の恋人についての情報を得ることになった。

 話によると、彼女から聞いていた内容とは異なり、彼女の恋人は平然と暴力を振るうような人間らしい。

 あまりの暴力に耐えることができず、とある女性が別れてほしいと告げたところ、腕と脚の骨を折られ、川に放り投げられたということだった。

 それでもその女性が然るべき機関に訴えなかったのは、報復を恐れたことが理由らしい。

 確かに、暴力的な行為に及ぶ人間の返報を想像しただけで、身体が震えてしまう。

 しかし、そのようなことをしている場合ではなかった。

 彼女の恋人が彼女に優しくしていたのは、おそらく彼女を手に入れるためだったのだろう。

 彼女の恋人の本性が何時顔を出すのか、分かったものではない。

 ゆえに、話に聞いた女性と同じような目に遭ってしまうかもしれないということを思えば、一刻も早く、彼女を取り戻す必要があるのだ。

 彼女の恋人について話をするべく、自宅へ向かったが、どうやら既に遅かったらしい。

 彼女は、傷だらけだったのだ。


***


 怪我の理由について問うと、彼女は転倒しただけだと答えた。

 転倒によってそのような怪我を負うわけがないことなど、阿呆でも分かることだ。

 だが、彼女は私に心配をさせないために、そのような言葉を発したのだろう。

 また、真実を話せば、私が彼女の恋人に対して殴り込みをかけるだろうが、返り討ちにあってしまうことは確実だと考えているに違いない。

 彼女は自身の思考を口にしてはいないが、私には分かる。

 私と彼女は交際していないが、互いを大事に想っているということに変わりは無いからだ。

 だからこそ、彼女は恋人の行為によって怪我を負ったことを話さなかったのだろう。

 しかし、私は立ち止まるわけにはいかなかった。

 どれほど危険な相手だったとしても、大事な人間を傷つけられて黙っているほど、私は愚かな人間ではないのだ。


***


 結果を言えば、私は返り討ちにされた。

 それだけではなく、彼女の恋人は、私の眼前で彼女と愛し合った。

 私に見られているということに対して、彼女は恥を感じていたものの、恋人から渡された錠剤を口にしてからは、人が変わったかのように乱れ始めた。

 たとえ腕の骨を折られても、彼女は涎を垂らしながら笑みを浮かべ、押し寄せる快楽に溺れ続けている。

 見たこともないその姿に、私は夢でも見ているのかと思ったが、これは現実である。

 いっそのこと、私の生命活動を終了させてほしいと思ったが、私を徹底的に苦しめることを決めた彼女の恋人は、私を生かし続けた。

 このような人間が存在するなど、想像もしたことはない。

 私は涙を流しながら、二人の行為から目をそらした。

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一髪千鈞 三鹿ショート @mijikashort

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